奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

人間じゃなくなっていく感じ

2019年08月15日 10時53分58秒 | ACIM奇跡のコースという生き方


だんだんと、着実に、
人間としてこの世界に生きている感覚が薄れている。

私は行為者ではなく、人間でもないなんて
平安だ。



「この世界の実在性が無だ」


という無意識レベルからの受け入れ状態が
今の感覚に反映されているのではないかと思う。


「常識」て、なんなのだろう?
「非常識」て、なんなのだろう?


今、兄は彼の人生の幕を閉じる準備中なのだけど
ある親族が「お墓をどうするか?」と相談してきた。

どれほど兄が、その親族に愛を注いできたか?
というストーリーを知っている「私」を知覚した。


お・は・か・を・ど・う・す・る・か


今まで私にまとわりついていた自我システムからは
「今このときに、そんなことを言う非常識な奴は裁け、正せ、敵対せよ」
と指令している。
愛ではなく、憎しみで関わらせようとするシステム。


数年前の私なら間違いなく彼女を正そうとしていただろう。
けど、今はそのやる気が起きない。

どの瞬間も
世界を審判する権限を
私は持ってなどいない。



もう、自我からの指令とは同一化する必要がない。
同一化の意欲がなくなってしまっている。


なぜなら、彼女は人間ではなくて肉体でもない
兄とも私とも同質の神の光だから
良い人間、常識的な人間に、正す必要性などないと感じる。

もしも必要性があるように見えるとしたら、
そのイメージは夢見る者が考え出し映し出した過去の映像だったわけだ。
ただそれだけのこと。

一瞬の欲望、一瞬の決断、一瞬の憎悪、

しかし、それは当然取り消された。

全てはすでに終わっている。



それで、私からの返事は
「以前、私たち兄弟で話していたことは、もうお墓は必要ない。私たちも散骨してもらいたいね。それでいいね」
と話していたことを伝えた。



なんだか、「人間じゃなくなってゆく」


そもそも、この世界が分離空想ゲームの世界だったなら
常識ってなんなのだろう?

不思議な世界、不思議な肉体、不思議な設定。
そもそも、この設定こそが非常識だったわけだ。


「神からの分離劇場」という、究極の非常識が
この世界だった。。。


何がどうあれ

幸せでいることができる。

この自由こそが、幸せで平安の源だなあ。



これからも浄化、癒し、奇跡を拒まず受け入れて行きたいです。
ありがとうございます。





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