4月の合宿(2日目の数時間)で、どういうわけかラファエルはホワイトボードを使って形而上学レベルの講義をすることになった。
これについてはラファエルにとってもかなりなレッスンで、本来そういうものをやりたいタイプではないのにも関わらず
それがガイドされていると感じて彼は講義をしたらしい。
ラファエル的にも私的にも、その講義はそこまで深いところまで斬り込んでいるわけではなくて
自我の力動の詳細について深く焦点を当てているわけでもない。という見解だった。
そうだったのだけども、そこに参加していたみんなの反応が薄かったことに私もラファエルも多少驚いたのでした。
この6〜7年間かなりの時間や回数を使って形而上学レベル、心の4分裂などについて講義してきたし
それがベースとなって毎月学び合っていると思っているのだけれども
もちろんこの学びが腑に落ちていくまでには10年〜20年、下手すると30年以上、自分が自分に教えて学んで行かなければならないのだと思う。
それは当然のことなので
もう一歩、ここらへんで、しっかりしっかり形而上学レベルの学びを深めて行かないとならないのだなあ、、と実感したのでした。
もちろん、形而上学レベルの学びや理解ばかりが深まったとしても、それでも足りなくて
私たちは兄弟同士で投影し合って歪んだ知覚をみていることを認めて行って
さらにコミュニケーション、コラボレーションしあい助けあっていく実践も非常に重要になってくる。
そういうガチの実践と、形而上学レベルの理解から
実際にどんなに壮大なレベルでの赦しや癒しが起きているのか?
ということを、
夢見る者が夢見る者としての自覚と共に、どんどんその決断のパワーが復活していくのだと思う。
夢見る者が、夢見る者としての自覚が本当に本当に復活するまでには
相当なダークネスが浮上するもんだし、かなりたじろぐような訓練が連続することもあるようだ。
特に私の中では2018年から具体的なレベルでも巨大なダークネスを認識するようになってきている。
そしてまた
ダークネスと同時に一方では、毎日が奇跡の連続であることにも気がつくわけで、、
結局のところ、「自分の幸せを阻んできたモノは、自分の心の中にしかない」
ということにトコトン気が付いていく。
誰も何も私の真の幸せを阻んでなどいない。
これに気がつくには、形而上学レベルの概念を、概念としてだけではなくて
実際的なこととして(完全に目覚めるまでは)視界が上昇していくことになるのだと思う。
もしも私たちが肉体で、人間なのであれば
その時点で不幸は確定している。
もしも私たちが心で、幻想か真理かを選ぶ力を持つ決断の主体なのであれば
その瞬間、私たちの幸せは絶対的なものだ。って
そう思う。
これらの両輪を、しっかりしっかりやって行きたいと思う。
2020年は本当に重要な年となるだろう。
2020年の5月6月からは、徐々に勉強会の あり方やり方が
ガイドにより変容していくんじゃないかなと思う。
実際に、5月は新しい試みを始める