いつごろからだったか、やはり今年から急に体感が色濃くなったのか?
いつからかはまったく覚えていないのですが、幻想のあらゆるウソの中でも
「時間」っていう概念も、ほんとうに巧みに作られたウソだったんだなー。。という感覚が
どんどん増してきています。
ああ、ほんとうにすべてが同時にあるんだ。って
過去・現在・未来って、単なる考えにすぎなくて、それらの時系列は
つながっているように見せかけられているだけなんだ。って
信じた分だけ、それらを、よりリアルに体験するんだ。って。。。
妄想・空想というレベルの想念は、すべてが過去なんですね。(神の想念だけが現在)
この世界は空想ですから、すべてが過去なんですね。
この過去というフィルター(比喩です)の向こう側には、実在している「真の現在」がありますから
まったく思考にとらわれていない時、その現在を(より正しく)感じているわけですね。
あるのは、永遠なる今だけ。
今日、信号待ちをしていて時間という幻想の種明かしが、ダダダーーーーーっと流れてきて
ああ、ほんとうに、一個も、、
この瞬間と瞬間の間は、ガッチリとつながりきってなんかいないし
瞬間という幻想自体が、もともと無なんだ。
自分で自分に仕掛けたトラップなんだ。
自分で自分に仕掛けた落とし穴なんだ。。
最近、「普遍的な実践」という言葉を、ゲイリーの著書:不死というあなたの現実で読んだのだけど
これなんだよね!!と、とても心に刺さってきました。(P148)
「たいていは実践している」では、充分じゃない。
「ここから脱出する真の唯一の切符は普遍的な実践だけ」
この幻想世界は、どの瞬間も、自分が自分に仕掛けたトラップだらけなんですね。
ほんのちょびっとの、気がつかないような微妙な優越感も、イラつきも、
普遍的な実践体制になってくると、常に拾い上げて赦してゆくようになるのだと思います。
それをするのは、とても自然で当たり前のこととして。
そうなってゆくための、今の訓練なんだなー。と。
狂気から、ほんとうの正気になるための訓練。
そしてそれは、終わっている。
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いつからかはまったく覚えていないのですが、幻想のあらゆるウソの中でも
「時間」っていう概念も、ほんとうに巧みに作られたウソだったんだなー。。という感覚が
どんどん増してきています。
ああ、ほんとうにすべてが同時にあるんだ。って
過去・現在・未来って、単なる考えにすぎなくて、それらの時系列は
つながっているように見せかけられているだけなんだ。って
信じた分だけ、それらを、よりリアルに体験するんだ。って。。。
妄想・空想というレベルの想念は、すべてが過去なんですね。(神の想念だけが現在)
この世界は空想ですから、すべてが過去なんですね。
この過去というフィルター(比喩です)の向こう側には、実在している「真の現在」がありますから
まったく思考にとらわれていない時、その現在を(より正しく)感じているわけですね。
あるのは、永遠なる今だけ。
今日、信号待ちをしていて時間という幻想の種明かしが、ダダダーーーーーっと流れてきて
ああ、ほんとうに、一個も、、
この瞬間と瞬間の間は、ガッチリとつながりきってなんかいないし
瞬間という幻想自体が、もともと無なんだ。
自分で自分に仕掛けたトラップなんだ。
自分で自分に仕掛けた落とし穴なんだ。。
最近、「普遍的な実践」という言葉を、ゲイリーの著書:不死というあなたの現実で読んだのだけど
これなんだよね!!と、とても心に刺さってきました。(P148)
「たいていは実践している」では、充分じゃない。
「ここから脱出する真の唯一の切符は普遍的な実践だけ」
この幻想世界は、どの瞬間も、自分が自分に仕掛けたトラップだらけなんですね。
ほんのちょびっとの、気がつかないような微妙な優越感も、イラつきも、
普遍的な実践体制になってくると、常に拾い上げて赦してゆくようになるのだと思います。
それをするのは、とても自然で当たり前のこととして。
そうなってゆくための、今の訓練なんだなー。と。
狂気から、ほんとうの正気になるための訓練。
そしてそれは、終わっている。
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よい言葉ですね・・・(*'▽')
真実は、とてつもなく美しいですね。
富士山は、真実の象徴ですね☆