約30年前、父は
私と母にむかって「地獄の底まで呪ってやる。」
だったか、「地獄の底まで落としてやる。」だったか
そういうニュアンスの言葉を吐き捨て、自分の部屋に帰っていった。
その出来事があって以降、常に衝突があり いつか私は彼を殺してしまうのではないか。
という日々を過ごして、大人になってもどうしても彼を許すことができなかった。
(今は完全に彼を赦していて、愛している)
最近、赦しを実践していてわかってくるのだけど、
自我の思考の根底に、この言葉が流れている。
「地獄の底に沈んでしまえ!(沈めてやる!)そこがおまえにはお似合いだ。」的な想念。
これを捉えては、愕然とするのだけど
自我という間違った心を作出して以降、
その自我の思考は、常に神の子の死を望み続けていて
もっと言えば、死よりも恐ろしい苦しみが神の子に妥当だと信じている。
あの時も、あの時も、
父が言っていたのではなく、彼は単にロボットのように動かされていただけだったし
まるで、呪いを吐いたかのように見えたあの時、彼が言っていた本心(聖霊目線)の一方は
「ああ、ごめんよ。本当は、愛しているんだよ。」
だったし
あの時の、本心(聖霊目線)のもう一方は(真の姿の彼は)、神の子そのままだった。
あの頃の私は、彼の自我に対して自分も自我となって反応していたに過ぎなかった。
そして、それは聖霊から見たら、何ら失敗でもなくて
必ず越えなければならないシナリオであり、レッスンであって
その時にレッスンをクリアできずとも、君たちには必ずこの往古の憎悪関係を
世界で一番神聖なものにすることができるんだよ。
というレッスンだった。これが奇跡でなくて、何が奇跡だろう?
彼は、人生をかけて私にレッスンを差し出してくれた。
私は、彼を芯から赦すことによって
自分を芯から赦すことができた。
今後、一生を聖霊に捧げる気持ちになった体験の一つ。
闇は、光によって一掃される。
まずは、その闇を見ることなんだな。
父との関係を使って、聖霊が教えてくれる。
どのレッスンも、本当にありがたい。
それがなければ、目は覚めない。
お父さん、ありがとう。
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