ほぼほぼ、私たちは
禅にしても
何らかの祈りにしても
アドヴァイタにしても
奇跡講座にしても
ノンデュアリティにしても
何とかヒーリングにしても
この世界から脱出するための、もしくは平安で生き抜くための
攻略方法として利用しようとしている事実に
気がつく時がくる。
攻略方法として利用するのは自我なので
とても認めたくないことなのだけど。。。
それって、ちゃんとできていない自分を認識することだから
要するに負けなので、認めたくないのだけど
とてもパラドックスで
認めないことによって、幻想の目的が隠されて
時間が長引くと言うことが生じている。
だから、わざわざ負けを認めるようなことを受け入れてしまうと
サッサと時間の遅延が終わってゆく。
負けを認めることが、いかに自分にとって有益なのかを
心の底から理解し始めると
逆転が起き始める。
攻略して逆転させてゆくことではなくて
自我の抵抗そのものの中に今もドップリであることを認識してゆくことで
逆転が起きてしまう。
自分が逆転させるのではなくて
勝手に逆転が起きる。
なぜ起きるのかというと。。
神の上に今も乗っかりたいという野望が隠されていることを
ずっと繰り返し企み続けていることを
最後の最後で、救済を受け入れる瞬間に、神に勝つことを試みていることを
認めてしまうから、、、
自分で自分が握っていた企みを、自分に暴露するから
逆転が起きる。
魔術師が、マジックのタネ証しをみんなの前で見せてしまうようなものだな。
その時点で、みんなを驚かせることは不可能になる。
騙し続けることが不可能になる。
魔術師が、自分の魔術のパワーを維持したい時は
絶対にやりたくないことだろう。
私たちも、そうだったはず。
魔術のパワーを維持しながら
世界を攻略したかったし、悟りという何かを獲得したかったし、覚醒して神と一つになる感じを得たかった。
その攻略方法として、しばらく道具を使おうとする。
その攻略方法として、祈る。
その攻略方法として、赦す、実践する。。
それも悪じゃないのだけど、自分の中で暴露が起きてゆく。
攻略を諦める。
ほんとうに、全託する。
全託する私も全部捧げる。
地べたに頭がつく。
いつまでも、いつまでも、地べたに頭。
なぜなら、全託なのだから。
そうなってしまうはずなんだよね。
全託したなら、
どのような悪魔のような想念が自分の周りを包囲しても
全託。
自我満載であることを、素直に認めてしまって
全託。
苦しくても、全託。
悲しくても、全託。
絶望でも、全託。
全託するしか、選択肢がなかったのだから。。
けど、もしも全託できないなら
それも仕方がないと思う。
だったら、
苦しみ抜くしかない。
悲しみきるしかない。
絶望し続けるしかない。
極限まで行けば、必ず終わりがくる。
その時点で、全託したくなったらそれを選ぶことができる。
最終的に、選択ができるのは全託。
それ以外に何一つ選択肢がなかったことに気がつき
爆笑するかもしれない。。
爆笑にもしがみつかず
全託にもしがみつかない
ほんとうの、全託
世界の何もかもが、錯覚だった。
.
禅にしても
何らかの祈りにしても
アドヴァイタにしても
奇跡講座にしても
ノンデュアリティにしても
何とかヒーリングにしても
この世界から脱出するための、もしくは平安で生き抜くための
攻略方法として利用しようとしている事実に
気がつく時がくる。
攻略方法として利用するのは自我なので
とても認めたくないことなのだけど。。。
それって、ちゃんとできていない自分を認識することだから
要するに負けなので、認めたくないのだけど
とてもパラドックスで
認めないことによって、幻想の目的が隠されて
時間が長引くと言うことが生じている。
だから、わざわざ負けを認めるようなことを受け入れてしまうと
サッサと時間の遅延が終わってゆく。
負けを認めることが、いかに自分にとって有益なのかを
心の底から理解し始めると
逆転が起き始める。
攻略して逆転させてゆくことではなくて
自我の抵抗そのものの中に今もドップリであることを認識してゆくことで
逆転が起きてしまう。
自分が逆転させるのではなくて
勝手に逆転が起きる。
なぜ起きるのかというと。。
神の上に今も乗っかりたいという野望が隠されていることを
ずっと繰り返し企み続けていることを
最後の最後で、救済を受け入れる瞬間に、神に勝つことを試みていることを
認めてしまうから、、、
自分で自分が握っていた企みを、自分に暴露するから
逆転が起きる。
魔術師が、マジックのタネ証しをみんなの前で見せてしまうようなものだな。
その時点で、みんなを驚かせることは不可能になる。
騙し続けることが不可能になる。
魔術師が、自分の魔術のパワーを維持したい時は
絶対にやりたくないことだろう。
私たちも、そうだったはず。
魔術のパワーを維持しながら
世界を攻略したかったし、悟りという何かを獲得したかったし、覚醒して神と一つになる感じを得たかった。
その攻略方法として、しばらく道具を使おうとする。
その攻略方法として、祈る。
その攻略方法として、赦す、実践する。。
それも悪じゃないのだけど、自分の中で暴露が起きてゆく。
攻略を諦める。
ほんとうに、全託する。
全託する私も全部捧げる。
地べたに頭がつく。
いつまでも、いつまでも、地べたに頭。
なぜなら、全託なのだから。
そうなってしまうはずなんだよね。
全託したなら、
どのような悪魔のような想念が自分の周りを包囲しても
全託。
自我満載であることを、素直に認めてしまって
全託。
苦しくても、全託。
悲しくても、全託。
絶望でも、全託。
全託するしか、選択肢がなかったのだから。。
けど、もしも全託できないなら
それも仕方がないと思う。
だったら、
苦しみ抜くしかない。
悲しみきるしかない。
絶望し続けるしかない。
極限まで行けば、必ず終わりがくる。
その時点で、全託したくなったらそれを選ぶことができる。
最終的に、選択ができるのは全託。
それ以外に何一つ選択肢がなかったことに気がつき
爆笑するかもしれない。。
爆笑にもしがみつかず
全託にもしがみつかない
ほんとうの、全託
世界の何もかもが、錯覚だった。
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