奇跡講座を数年間学んでいらっしゃって
最近、実践コースのエア受講をスタートなさったI.Nさんからのご質問。
自分と、関わりのある人が、病気になっていて
その人のために祈りたいと思うのだけれども、どのように祈ることなのかな。
というニュアンスの~ご質問~をいただきました。
~のりこ~
I.Nさん、ご質問ありがとうございました。
なかなか、
「真の赦し・真の祈り」というものが
なんであるのか?
が、わからない私たちの実践段階では
一筋縄ではなく、
右往左往しながらの日々の赦しと祈りを繰り返しつつ
繰り返しの学び実践のさなかで、
あらゆる確信が生まれてくるものですね。
ですから、今のI.Nさんのように気づきながら実践しながら
また、気が付いてゆくという状態で間違いないのだと思います。
真理は、シンプルで
私たちが真に受け入れるべきことは
きわめてシンプルですね。
「神からの分離は起こらなかった。」
「見ているこれは、私があの往古の一瞬に分離を願い、分離は起こると信じた結果=夢だった」
「私が、この夢を作った者であり、私が夢見る者であった」
ということは、
観ているすべては、実在しない世界であり、何も本当の意味では起きていない。
過去に思い描いた思考である。
であれば、
私が、その事実を思い出す以外に
私にできることは無い。
ということを受け入れることになります。
自力で思い出すことは不可能ですから
「真実を教えてください。」
と、願い出て沈黙することになります。
「兄弟が、本当は誰であるのか、どうか教えてください。」
と、願い出て沈黙することになります。
イエスが、私たちに求めているのは
「この夢を、聖霊と共に見たい。と望むこと」
なのだろうと思います。
「こうなって欲しい。」
と、思うことは悪ではないですが、
執着を手放す必要はあるんですね。
私は「こうなって欲しい。」「ああなって欲しい。」と、思っています。
と、正直に、
聖霊に自分の想いをさらけ出してゆきつつ
その想いも、自分自身も、聖霊に預けてゆくことだと思います。
(今できる範囲内、できる限りで)
そして、
「兄弟が、本当は誰であるのか、どうか教えてください。」
「真実を教えてください。」と、願い出て沈黙。
もしも、できそうだったら試みてくださいね。
奇跡講座マニュアル編(中央アート出版社)
付録:祈りの歌
「セクション1.真の祈り」
P.5~8
ここらへんを、自分に教えるように少しずつ繰り返し読んでみて
メモをとってみると良いかも知れません。
のりこ
奇跡講座マニュアル編(中央アート出版社)
付録:祈りの歌
「セクション1.真の祈り」
S-1.1.4:1
真の祈りの秘訣は、あなたが自分に必要だと思っている諸事を忘れることにある。
5:5
祈りとは奉げ物であり、愛とひとつになるためにあなた自身を手放すことである。
☆一般公開中奇跡講座勉強会☆
動画一覧
https://www.youtube.com/user/norikoheart
☆真我なるハートホームページ
http://shingaheart.jimdo.com
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最近、実践コースのエア受講をスタートなさったI.Nさんからのご質問。
自分と、関わりのある人が、病気になっていて
その人のために祈りたいと思うのだけれども、どのように祈ることなのかな。
というニュアンスの~ご質問~をいただきました。
~のりこ~
I.Nさん、ご質問ありがとうございました。
なかなか、
「真の赦し・真の祈り」というものが
なんであるのか?
が、わからない私たちの実践段階では
一筋縄ではなく、
右往左往しながらの日々の赦しと祈りを繰り返しつつ
繰り返しの学び実践のさなかで、
あらゆる確信が生まれてくるものですね。
ですから、今のI.Nさんのように気づきながら実践しながら
また、気が付いてゆくという状態で間違いないのだと思います。
真理は、シンプルで
私たちが真に受け入れるべきことは
きわめてシンプルですね。
「神からの分離は起こらなかった。」
「見ているこれは、私があの往古の一瞬に分離を願い、分離は起こると信じた結果=夢だった」
「私が、この夢を作った者であり、私が夢見る者であった」
ということは、
観ているすべては、実在しない世界であり、何も本当の意味では起きていない。
過去に思い描いた思考である。
であれば、
私が、その事実を思い出す以外に
私にできることは無い。
ということを受け入れることになります。
自力で思い出すことは不可能ですから
「真実を教えてください。」
と、願い出て沈黙することになります。
「兄弟が、本当は誰であるのか、どうか教えてください。」
と、願い出て沈黙することになります。
イエスが、私たちに求めているのは
「この夢を、聖霊と共に見たい。と望むこと」
なのだろうと思います。
「こうなって欲しい。」
と、思うことは悪ではないですが、
執着を手放す必要はあるんですね。
私は「こうなって欲しい。」「ああなって欲しい。」と、思っています。
と、正直に、
聖霊に自分の想いをさらけ出してゆきつつ
その想いも、自分自身も、聖霊に預けてゆくことだと思います。
(今できる範囲内、できる限りで)
そして、
「兄弟が、本当は誰であるのか、どうか教えてください。」
「真実を教えてください。」と、願い出て沈黙。
もしも、できそうだったら試みてくださいね。
奇跡講座マニュアル編(中央アート出版社)
付録:祈りの歌
「セクション1.真の祈り」
P.5~8
ここらへんを、自分に教えるように少しずつ繰り返し読んでみて
メモをとってみると良いかも知れません。
のりこ
奇跡講座マニュアル編(中央アート出版社)
付録:祈りの歌
「セクション1.真の祈り」
S-1.1.4:1
真の祈りの秘訣は、あなたが自分に必要だと思っている諸事を忘れることにある。
5:5
祈りとは奉げ物であり、愛とひとつになるためにあなた自身を手放すことである。
☆一般公開中奇跡講座勉強会☆
動画一覧
https://www.youtube.com/user/norikoheart
☆真我なるハートホームページ
http://shingaheart.jimdo.com
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無心になることですね(^-^)
自我を捨てること・・・。
難しいですね!
詩を書いています。
はじめまして、こんにちは。
そうですね。
一切の「私」の想いを捧げてしまうと
真実だけが残りますね。
いつも、いつまでも
創造主と被造物だけがあった。
天国は失われていなかった。
ということに気がつくための
祈りですね。
ある
ということです
思考(エゴ)を消そうとする修行をしてる方々がおられますが
ところが実存しないものは消すことが出来ないのです。元々分離は無いのですから。
私や私からはじまる分離世界
は
分離という発想から生まれています
それはどのように癒されるのでしょうか
精神統一されていると気づくことによってです
この気づきがなければ
分離という信念は続くのです
‘私’がどうやって静か(精神統一された状態)にできるでしょうか
この最後の分離という信念に気づいて
ただ癒されていることに気づくだけでいいのです
それは
分離したものを排斥したり
精神統一させようと分離を信ずることでもなく(静かにしなければならない・想いを源にモドサなくてはならないというのでもなく)
精神統一(いつもある)に還っていると気づくだけでいいのです
いつもありがとうございます。
いつもいつも
愛して下さってありがとうございます。
私も、あなたを愛しています。