奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

求めれば、絶対に助けられ救われるのだから、それを求めればいいと思う。そして、同じように助けを与えるんだ。

2021年01月21日 11時51分23秒 | ACIM奇跡のコースという生き方




求めれば必ず助けは与えられるのに、なぜ人は助けを求めないんだろう???と、不思議に思う。
求めないとき、まだ本当に欲している自分を自覚していないからか
その自覚が麻痺してしまっているからなのだろう。

自覚しない理由、麻痺している理由は
「助けを求めること」は、負けであり自分は負けるくらいなら死んでしまった方がマシだと信じているからだろう。





私は子供のころ(多分3歳とか5歳とか?)スーパーで迷子になったら必ず泣いた。
泣いて「お母さーん」って大声で叫んだら、100%確実に誰かが助けてくれて
迷子センターかなんかに連れていってくれて、母が迎えに来てくれてホッとして泣いたものだ。。


逆に、私は絶対絶命の絶望的な人のことも、いつも助けたと思う
そうなる理由はイエスが連れて来たからだと思う。
例えば、2016年11月は見ず知らずのある人(彼は死を考えてた)を徹底的に助けた。
イエスに、何がどうあれあなたに従います。と祈った3時間後に助ける状況ストーリーが発生した。



2012年7月ある若い男性が運転する乗用車が、私の旦那さんが運転しているバイクに激突してしまった。
視界の悪い、夜の大雨の日だった。旦那さんは、その数時間後集中治療室で息を引きとった。

後から思うと信号(の時差の表示のされかた)にも問題があってやむなく、ぶつかってしまったのだと思う。
でも、私も私の家族も、交通事故の相手のその男性を怒ったり裁くつもりが1mmもなかった。
なぜか、起こるべくして起きたものだと感じていた。
旦那本人も無意識レベルでそれを察知してたとしか思えないような、別れのための言動が1週間前から続いていた。

私は「あなたは罪悪感を感じるだろうし、辛いと思います。でも、幸せに生きて。」
「不幸になる必要はないと思います。あなたが好きなその看護師の仕事をして、みんなに献身してください。」
って、事故の相手である彼を精神的に助け支えたと思う、私は相手が自分に見えたのでそうしたかった。
彼も彼のご両親も「罵られたり怒られたり責められた方が、気持ちがマシだと感じてしまいます。」とおっしゃっていた。

「でも、幸せに生きてくれた方が私の旦那さん(娘にとっての父)は、嬉しいはずです。」と言った。
旦那さんがそう思うのは本当だと思うし、加害者役の彼にはそれを信じて欲しいな、と思った。
彼に最後に会った日は、彼の顔に柔かな笑顔があった。私はそれが嬉しかった。

そして、実は加害者役の彼に私も旦那さんも感謝している。
大雨の中、横たわる身体、即死ではないが長く維持できないであろう身体に対して
逃げずに心臓マッサージをやり続けてくれた。救急車が来て隊員の人と入れ替わるまでずっと心臓マッサージをしていたのだと
警察の方だったか、病院の方から教えてもらった。
旦那さんは見捨てられなかった。最後まで慈しまれていたと感じた。
事故を起こした本人や看護師であればその行為は当然のことと言えるのかもしれないけど
それがとても嬉しかったし感謝が溢れた。



今から約15年前、私が15歳のときに別れたままになっていた父が、ある日突然ホームレス姿で青森で登場して、
それまでの過去の恨みは全部落ちてしまって、私も兄も徹底的に父を助けた。

父は、白髪のヒゲがボーボー伸びてて、お金も服もほとんどなかった。
服を買い与え、入院させてもらえる精神病院を探し手配して、往復12時間の運転をしながら父を青森から栃木の病院に連れていった。
毎月の入院費とお小遣いを送金したし、彼が生きてる間は彼のための備品をあれこれ買った。
ささやかな彼の望み(歯医者に行きたい、脱腸の手術をしたい、英会話を習うためにあれが欲しい、こうして欲しい、羊羹が食べたい、鯖缶が食べたいetc)
にも答え続けた。私の知覚だけども、彼にとっての最後の10年弱は、それまでの人生の中でも一番平安な時間だったように見えた。
彼は2014年6月に肉体を脱いだ。お父さんと私はまさかの「神と神の子として一つだった」と知らされた。




2018年8月、私の心は絶望的な悲しみの中
デンバーからソルトレイクシティー行きの飛行機に一人で乗ってカースティンに会いに行こうとしていた。
ソルトレイクシティーに着いたとき、16歳くらいの白人の男の子に助けてもらった。

私が悲しみを抱えながら、空港のチェックを通って出口に向かおうとしたら、看板に書かれている英語のどれも私が知らない英語で
(出口はEXITとは書かれていなかった)仕方がないので翻訳アプリで調べようとしていたら、
16歳くらいの男の子がまるで彼のに話しかけるかのように

「ねえ、どうしたの?どこに行きたいの?」って聞いてくれて、
私が「迎えの車が来てくれてるので、ロータリーに行きたいんだけど空港からの出口がわからなくて、、」
と言ったら「それなら、もう大丈夫だよ、そこを右に曲がってあとはまっすぐ行けばいけるよ。」って
慈しみに満ちた眼差しでその男の子は言った。
その時のことを思い出すといつも泣く、彼はイエスの遣いにしか見えなかった。


そして空港を出たら、エリックが待ってくれていて、絶望を感じている私を助手席にのせてくれて
運転中、私の話を静かに聞いてくれた。
そして、そっと優しく手を握ってくれた。

エリックの運転でユタのコミュニティーまで着くと、カースティンが待ってくれていた。
その時は、彼女たちのコミュニティーの大きな夏のイベント終了の次の日だった。

カースティンと3日間くらい毎日数時間、話をした。
エクスプレッションをする時間だったり、2ヶ月後に日本の私の家でリトリートを開催するのを急に決めたときでもあったので
リトリートのためのミーティングもした。

そして
デイヴィッド、フランセス、スヴァヴァも私が滞在してる場所の近くに一目会いに来てくれて
ハグしてくれて「I Love You Noriko」 って、、全員が包み込んでくれた。

猛烈に絶望していた私の心に、たくさんの愛と希望の光が差し込まれて浸透されたと思う。
なんてありがたすぎる転換期なのだろう。そう思った。


自分が助けが必要な時は、必ず助けられている。

誰かが助けが必要な時は、必ず助けている。

結局、一つなる自分が、一つなる自分に
愛と助けを差し出しあうようにできているんだな。と思う。


ずっと、与え合い、助け合っているんだな。。




こうやって、優しい方法で「助けは必ず与えられる。」「見捨てられてないんだよ。」っていう経験を与えてくださる。

私たちはそういう経験を積んで、聖霊からの助けに対する信頼を強めていくのだろうと思う。

そして、心のレベルで聖霊に助けを求めていけるようになるのだとおもう。
その救済は、すでにここにあるのだから。。。










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