奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

邪魔をやめて、退くこと

2016年05月09日 20時36分55秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
JACIMで5/7更新がありました。奇跡・啓示についてですね。
そしてまた、新しく書籍が出版される準備に入っているとのこと。
ありがたいことですね。
http://www.jacim.com/acim/?page_id=197


奇跡と啓示について、この3年余りの学びと実践・体験から
こういうことなんだな~。。と、しみじみ感じていることがあります。
聖霊のカリキュラムの中、多くの兄弟たちとの学び合い、JACIMサイトの情報などを経由して
自分自身が降参していった分、より正確に学びが浸透してゆくようです。

現時点で感じることを記します。



「私」は、神がなさっている完全なる創造に対して、常に邪魔をしてきました。

自分が主になって、神の座を横取りしたかったからであり
その結果が、この世界なのですが

その横取りは、そのままで

啓示体験・神の愛の体験だけを抜き取って欲しがる。
というチャレンジが「私」の中で起きることは、結構あります。

まずは、その横取りをしようとする誤った決断が退かれなければなりません。
それが、真の赦しであり、心が正気になるという奇跡です。

その奇跡が完成されれば、最終的には何も頑張らなくても
真の知覚・啓示は永続するわけです。
それが復活です。

これは、ものすごいことではなく
極々当たり前のことです。
一生懸命努力して、勝ち取る何かではありません。

そのゴールにたどり着くには
まずは、自分自身が、常に毎瞬、神の愛の体験の邪魔をしているのだと
神の愛の体験を、自分が創造(作出)した何かに仕立て上げたがっているのだと
学ぶ必要があるわけです。

学び進んでいって「私」が本当に降参していって
神と聖霊に完全に信頼を置くようになった時

実相に対して何ら邪魔することなく、完全に退いたので
神の愛の体験・真の知覚・啓示が永続する実相世界を知覚するわけなんですね。

真の知覚・正しい知覚を感じた心は、「すべての知覚が不要であった。」
ということがわかると言います。


どれほど、自分が勝ち取りたがっているのか、、ということを認める必要があったんですね。
認める気になってきた時、とんでもない屈辱感や挫折感、惨敗感を感じるかも知れません。
しかし、その時こそが真に退くことができる心としての「私」は
準備が整ってきている状態なのだ。とも言えるのではないか。

そんな風に感じる日々です。


結論として
「啓示があったかないかはさほど重要ではない。」
ということが言えます^^
あったら、あったで、、夢見の時間が長引く場合も無きにしも非ずです。

もっと言えば、

今 知覚が歪んでいるかどうかも、さほど問題ではないです。
憎悪満載でも、怒り沸騰でも、問題ではないです。
小学校1年生なのに東大に、一発合格するなんて不可能です。

淡々と心の訓練をしてゆくことに焦点を当てるべき。
これは、本当にそうだと感じています
粘り強さが、一番求められるのだろうと、、そう思っています。


苦しみは、とうの昔に終わっています。
すでに、すべてが取り消されています。

その真実への信頼を思い出す粘り強さですね






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