昭和56年仙台で借家の庭に野良猫が来るようになり、付き添い風のばあちゃん猫まで現れた。チーズをやると猛烈に食べたがアジサイの下でゲッとモドしてしまった。なんとアジサイの下から小猫。乳離れの頃の小猫に与えたのだった。というわけで、飲み会の残りの刺し身などをやっていたら小猫になつかれてしまい「うちねこ」になってしまった。
「くろた」は短い命だったが「とらきち」は東京東大和、仙台、武蔵小杉、また仙台、今の利府と転勤、引越しにずっとついてきた。新幹線と高速道路はトンネルが嫌いで二匹で鳴きっぱなし。
「くろた」は素直なかわいい子だった。川崎にいたとき昭和63年3月沈丁花が咲く頃7歳で死んでしまった。「とらきち」はボクの落ち着き先までついてきて平成11年3月、18歳まで長生きした。仲のよかった二匹の命日は、年月は大きく離れるがわずか二日違い。
東京さすが首都圏で、僕の住まいはなんと1DKの広さ(狭さ?)、仕事の帰りはいつも真夜中十二時すぎ。妻は仕事をやめて生活も変わり知らない土地で余り友達もいない。はじめはねこだけが話相手だったという、そのころの写真。
この後戻った仙台、「くろた」「とらきち」がドアの隙間から逃げ出して、「とらきち」のほうはすぐにつかまらなかった。毎晩塀の上で眼は光っているが、捕まえようとすると逃げる。
4ヶ月も上げ膳・据え膳。妻の「とらちゃん帰ってきて」は猫雑誌「猫の手帖」に載った。おなかの大きくなってきた妻といっしょに、やっとつかまえたのが寒くなってきた11月中旬。ケージに入れた瞬間、妻は地面にへたり込んで大声で泣きだした。
年明けて昭和62年、2月大雪の降った日に息子が産まれた。
僕はまたまた東京転勤辞令が出て二日間顔を見ただけで赴任。
引越し後レンタルしたベビーベッドは、ねこ二匹にすぐ占領されて彼はほとんど使えなかった!
1歳半になった息子と兄貴分の、とらちゃん、川崎にて。
妻がムスコのベタベタおしりを洗面台で洗ったらむずかって泣いた。とらちゃんが飛んできて「やめろ!」と妻の足に噛み付いたことがあった。
とらきち 2000.12.25 byまきこ
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