「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

大阪24区を歩く~はじめに

2013-09-20 00:56:13 | 日記
 「大阪市」。古くは、645年「大化の改新」により難波宮が置かれ、平城京・平安京よりも前に日本の「都」となる。

 中世に入り、石山本願寺の「寺内町」として、その後、豊臣秀吉により大坂城が築かれ、江戸時代には天領となり「天下の台所」として栄える。近代に入ってからは、「商業の町」として発展するが、第二次世界大戦の空襲により焦土と化す。そして、現代。見事に復興を成し遂げた。

 人口こそ「横浜市」に抜かれたが、経済規模、総生産量のほか関東地方の各市と異なり、ほとんど「東京への依存度」がないことから日本最大の「市」と言って良いだろう。

 明治12(1879)年、郡区町村編制法の施行により「東」「西」「南」「北」の4区が置かれ、明治22(1889)年、市制施行により、この4区を中心として「大阪市」が誕生する。

 その後、分割・合区を繰り返し、現在「24区」。東京23区のような特別区ではなく、単なる地域の区分けかも知れないが、それぞれの「区」には、古くは1300年を越える歴史に刻まれた「顔」がある。そんな24区を歩く。

 区の順番は、大阪市のホームページに従ったが、訪問日は順不同である。区名の前に記したテーマは、私なりに、その区を「一言」で言い表したつもりだ。
 
 また、各区には、特色あるアーケード街が数多くあり、265万の人々の生活を支える「商店街」も訪ねて見た。東京・神戸・横浜などと違い、上町台地を除いてほとんど坂道はない。もちろんトイレ・給水・食事には困らない。ただ、大阪市は「街路樹」が少ないので、夏場は熱中症対策をしっかりと。


 今回の「歩紀」の資料として、昭文社「街ごとまっぷ大阪府~市区町村別地図(2012年版)~」を使用した。
 

 座標式の地図では、同一区内でもページが変われば地図をあちこち繰らなければならないが、この地図は、1区ごとに見開きで編集されているので、全体像をつかむのには非常に便利だ。また、このシリーズで記載されている人口などのデーターは、本書に登載されている2011年12月1日現在の「大阪府毎月推計人口」に基づくものである。
 


 野里町歩紀「摂河泉をゆく」「思いつくままに」で、大阪の町を縦横に歩いているので重複する部分もあるが、別のページとして開いたので、それぞれ参照していただければうれしいです。

 まず最初に、大阪についての基礎知識。
 
 地理的には、ほぼ正方形で、西は大阪湾に面し、東は奈良県との府県境である生駒山地まで大阪平野が続き、守口市・門真市・大東市・東大阪市・八尾市と、北には淀川が流れ、淀川北部には西淀川・淀川・東淀川の「淀川3区」のみが存在し、豊中市・吹田市・摂津市・兵庫県尼崎市と、南は大和川を隔てて堺市・松原市と接する(一部、飛び地あり)。
 

 市の中心部に、「JR大阪環状線」が東京の山手線のように一周し、JR「東海道本線」「関西本線」「阪和線」のほか、北摂・神戸方面からは「阪急」「阪神」、京都方面からは「京阪」「阪急」、河内・奈良方面からは「近鉄」「南海」、和泉・和歌山方面からは「南海」の大手私鉄と交わって「大阪(キタ)」「京橋」「鶴橋」「天王寺」の、そして「南海」「近鉄(阪神)」が交わる「難波(ミナミ)」などのターミナルを構成する。

 また、市の中心部は、ほぼ「碁盤の目」になっており、南北に走る道を「筋」、東西に走る道を「通」と呼ぶ。市営地下鉄も概ね各道路の下を走るため「碁盤の目」になっているが、各私鉄に乗り入れたり、環状線を飛び出して市外へと放射線状に伸びる。特に、地下鉄「御堂筋線」は、大阪を南北に縦断する大動脈で、「新大阪(新幹線)」「梅田」「本町(中之島)」「難波」「天王寺」という主要ターミナルを結ぶ。

 いわゆる「大阪」と呼ばれるのは、概ね「御堂筋」に沿った地域で、それ以外は、結構、閑静な住宅や古い街並み、レトロな建物、史跡などが残る。

 大阪に遊びに来る人。進学や就職で大阪に住むことになりそうな人。そして、大阪に興味がある人も。また、もし、「大阪都」となり現24区が再編成されてしまった時には、かつての「大阪」を振り返る参考としてください。

 ほな、歩きまひょ。 
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