今回から舞台はソウルから釜山へと変わります。ソウル~釜山は現在であれば航空機の国内線か韓国の新幹線にあたる「KTX」で移動するのでしょう。当時でも韓国の二大都市を結ぶ「京釜線」という日本でいえば東海道本線にあたる鉄道に「セマウル号」という特急列車が走っていました。しかし私は「高速バス」を利用して釜山へ向かいました。写真はバスチケットの半券です。漢江の南側にあった「高速バスターミナル(コソクポストミノル)」からバスに乗りました。覚えていませんでしたが半券を見ると441.4kmの旅。料金は5780ウォンだったんですね。当時の日本円で1000円以下です。安いですね。
また私は車内で軍服を着た同年代の男性と知り合いになりました。日本人であるにもかかわらず韓国語が喋れた私に興味を持ったようです。当時の韓国では私のように怪しげな韓国語を話す日本人はまず「キョッポ(僑胞)ヤ?」と聞かれます。「僑胞」とは彼らから見た「在日韓国人」のことです。適当に「ネ(はい)」と答えればそれで済むことも多いのですが「アニ。イルボンサラミヤ(いや日本人だよ)」と答えると急に親近感を持って話しかけてきます。そんな時代でした。
彼は釜山の出身でしたがソウルの「建国大学校」に進学。その後、休学し兵役に就いているそうです。「下士(伍長=三曹)」の階級章を付けていました。どこの部隊にいるのかは「軍の秘密」と言って教えてくれませんでしたが、夏季休暇を利用して帰省する途中だったようです。ただ兵役中に実家が引越したため新しい家に帰ったことがなく、釜山に到着後私と二人で住所を頼りに彼の実家を捜し歩きました。スマホのない時代です。その日は釜山の居酒屋で酒を飲みました。将来の夢は建築家になることだそうです。
彼と住所の交換をしたのですが、その後、お互い住所が変わったため音信不通です。
また私は車内で軍服を着た同年代の男性と知り合いになりました。日本人であるにもかかわらず韓国語が喋れた私に興味を持ったようです。当時の韓国では私のように怪しげな韓国語を話す日本人はまず「キョッポ(僑胞)ヤ?」と聞かれます。「僑胞」とは彼らから見た「在日韓国人」のことです。適当に「ネ(はい)」と答えればそれで済むことも多いのですが「アニ。イルボンサラミヤ(いや日本人だよ)」と答えると急に親近感を持って話しかけてきます。そんな時代でした。
彼は釜山の出身でしたがソウルの「建国大学校」に進学。その後、休学し兵役に就いているそうです。「下士(伍長=三曹)」の階級章を付けていました。どこの部隊にいるのかは「軍の秘密」と言って教えてくれませんでしたが、夏季休暇を利用して帰省する途中だったようです。ただ兵役中に実家が引越したため新しい家に帰ったことがなく、釜山に到着後私と二人で住所を頼りに彼の実家を捜し歩きました。スマホのない時代です。その日は釜山の居酒屋で酒を飲みました。将来の夢は建築家になることだそうです。
彼と住所の交換をしたのですが、その後、お互い住所が変わったため音信不通です。
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