訪問日:平成27年5月31日(日)
出 発:門真試験場
到 着:地下鉄「門真南駅」
5年に一度の運転免許更新の時期がやってきた。地元の警察署で手続きをすると平日を2日間潰さなければならない。そこで、日曜日に即日交付の手続きができる「門真試験場」を訪れた。しかし、そこは「長蛇の列」。おまけに蒸し風呂のような中、空調はなし。免許更新は断念し、「河内蓮根」の産地といわれる門真市内をぶらつくことにする。いたるところにコンビニ・スーパーがあるので、給水・トイレには困らない。
「門真試験場」。正式には「門真運転免許試験場」と言うらしい。私は16歳で原付免許を取ったが、その頃から「門真」に試験場があった。ただ私たちは、最寄りの駅名をとって「古川橋」と呼んでいた。京阪本線「古川橋駅」から歩いて20分ほどだ。
免許更新をあきらめ、午前9時45分、いざ「門真試験場」を出発。こんなことでもない限り、わざわざ門真市まで来ることはないだろうな。
まずは、試験場を出て左に。次の「試験場前南交差」を左折する。数分で「北島大橋」で「古川」を渡る。
橋を渡って右へ。すぐに石燈籠の道標が現れる。再建されたのだろう新しい石でできている。「右 大阪、左 のざき 奈ら」と刻まれている。大「坂」ではなく大「阪」なので、やはり新しいのだろう。
右に写っている消防団倉庫の手前に「堤根神社御旅所」がある。今日は、ふたつの「堤根神社」を訪れるが、ここは、最初に訪れる「堤根神社」の御旅所だ。今日一日の安全祈願をする。
「北島大橋」の東詰まで戻り、墓地を抜けて真っ直ぐ北へ進む。途中に水門。門真市は、内海が旧大和川の運ぶ砂で埋め立てられ、河内内湖を経て形成された湿地帯跡であり、今も多くの水路が残り、このような水門も方々に見られる。
家並みを抜け左へ。「打越一番橋」で川を渡る。「古川橋」という地名の由来となる「古川」だ。
「一番公民館」の前を入る。すぐに「幣原(しではら)兄弟の碑」。幣原家とは、この付近の豪農で、戦前は東京帝国大学教授や台北帝国大学総長などを務めた名士であったらしい。
この辺りには、古い「河内野」の面影が残る。
再度、「古川」沿いに出る。個人宅敷地内であるが大きな「クスノキ」がそびえる。
そのまま「古川」に沿って歩く。「河内の内海」から「河内内湖」へ、そして大和川支流が流れ込む湿地帯「河内野」へと変化し、その真ん中を「古川」が流れる。
そのまま北へ上ると「門真大橋」という橋に出るので、橋を渡ってすぐに左折、北へと進む。
しばらく「古川」に沿って歩く。淀川から別れ「河内野」を潤し、現在の東大阪市徳庵で寝屋川と合流する。ただ、正直言って「どぶ川」だ(大阪24区を歩く「鶴見区」編参照)。
途中、右にそれる。こんな「遊歩道」もかつての川跡なのだろう。
道をふさぐように大きな木が。
根元には神様が祀られている。
この「大木」を過ぎて角を左へ。「古川」を小さな橋で渡り、突き当たると道標が。昭和?明治?38年に大阪府が建てた道標で「右 守口街道 左 徳庵 八尾」などと刻まれている。
先ほどの小さな橋で元の道に戻る。
先ほどの辻を左折し、北へ進んでいくと、左には立派な「質屋さん」。
質屋さんを過ぎれば京阪電車のガードに出るので右折する。
適当にガードをくぐって京阪電車の北側に出る。そのまま進めば京阪電車「大和田駅」の前に出る。
駅前を過ぎて左折し、次の四つ辻を右に入れば「堤根神社」。
彦八井耳命、菅原道真を祀るが、この後、訪れる「茨田堤」の守護神として約1600年前に建立された式内社である。
そして、神社の裏は「史跡広場」という公園になっている。
ここが「茨田堤」の跡らしい。
「茨田堤」とは、仁徳天皇の時代に築かれ、「古事記」「日本書記」に出てくる、文献上、日本最古の堤防だ。
「まんだのつつみ」「まむたのつつみ」などと呼ばれる。辺りは「旧河内國茨田(まった)郡」である(大阪24区を歩く~「鶴見区」編参照)。
「史跡公園」の東側の筋を南へ。再度、京阪電車のガードをくぐる。
変電所の横を抜け、南へ進んでいくと、おそらく水路の跡だろう、遊歩道を進んで行く。
割と古い家も残っているようだ。そして、ここは「門真市野里町」。私のブログ名と同じだ。
正に「野里町歩紀」だな。
歩いていると、なぜか「ビワ」の木をよく見かける。
街路樹や庭木として、あちらこちらに植えられている。
「野里町」を抜け、「市立上野口小学校」の北側を抜けていくと水路に出る。
この水路も湿地帯の名残だろう。
水路を眺めながら住宅街を抜けていく。
「国道163号線」に突き当たるので右折。次の「野口東」という交差点を渡ろうと思うと、目の前に「饂飩倉」という「うどん屋さん」の駐車場が見える。他にも駐車場があるようだが、肝心の店が見えない。
すると「野口東交差」と「野口中交差」の中間にお店が。ビル1階の小さな店だが、こんなに駐車場があるということは、流行っているのだろう。時間は、午前11時30分。昼食としよう。
釜揚、手焼あごだしうどん「饂飩倉(うどんくら)」。「きつねうどん(700円)」を注文。店内の写真を見るとグルメ番組でも紹介されたようだ。
昼食を終え、国道163号線を渡って2つ目の路地を左に曲がると、再度、水路に突き当たる。
さらに水路に沿って歩いて行くと・・・
何やら水門のようなものが現れる。
これは「バッタリ」と呼ばれ、蓮根畑、水田の中を縦横に走る水路が交わる所で、水位が異なる水路に田舟を渡すための装置らしい。
ここには、昭和時代末期まで現役として活躍していた「バッタリ」がそのままの姿で残されていたが、平成22年3月に開通した「第二京阪自動車道」の開通に伴い、水路が改修されたため、今は当時の「バッタリ」を復元して、このような形で残されている。
その「第二京阪自動車道」をくぐり、南へ歩いて行く。
「下島頭北交差」を左折すると水路に出る。
住宅街を迂回し、水路に沿って歩く。
こんな遊歩道も水路跡だろう。
通りに突き当たり右に折れると「スーパーライフ」に突き当たるので左折。次の信号を右に曲がると「第二京阪自動車道」に突き当たるので、左折して高架に沿って歩く。
左に水田。
いや。これは「蓮根畑」だ。植えられたばかりの蓮根の苗が並ぶ。
その横には、成長した蓮根畑が広がる。
遠方には「生駒連山」。
ここは「河内蓮根」と呼ばれる蓮根の産地だ。
「北島東交差」を左折し、小さな農道に進むと水路には「蓮根畑」を往き来する「田舟」が係留されている。
「第二京阪自動車道」で分断されてしまったが、ここ門真市の「北島」「三ツ島」地区にまたがって、400m四方ほどの「蓮根畑」が残る。
縦横に水路が走る。
しばらく高架に沿って歩くが、ここは蓮根ではなく「田んぼ」が広がっている。
すぐ右に高架をくぐるトンネルがあるのでくぐろう。
高架の西側にも「蓮根畑」が広がる。
耳が赤いので外来種だろう。
高架沿いに北に戻り、ローソンのある交差点を左折して「市立第二中学校」前を進む。
第二中学を過ぎた所で左折し、グランドの手前を左に入る。ここにも水路が走る。
グランドに沿って歩くと通りに出るので右折。このグランドと建物は、元「府立門真南高校」だったようだ。今は閉校し、「門真市民プラザ」として利用されている。
「門真市民プラザ」前バス停から農道に入る。
広大な「蓮根畑」の中を歩く。
水田や溜め池。昔のままの姿なのだろう。
農家の向こうには「田舟」が。
隣の駐車場に入れば、間近に「田舟」を見ることができる。
「蓮根畑」に戻り「田舟」の横まで行く。半分、水没しているところを見ると、今は使われていないのだろう。
名もない橋。
橋からの眺め。
そのまま真っ直ぐ進むと大きな水路に突き当たるので右に曲がり橋を渡る。
そのまま左に進めばアンダーパスで「第二京阪自動車道」をくぐることができる。
再度、高架の東側に戻る。
しばらく歩けば左に水門が見える。
前方の「府営門真三ツ島住宅」の西側に南北に流れる水路。ここは「砂子水路」と呼ばれ、桜の時期には満開の桜の下を「田舟」が花見客を乗せて往復する。
「砂子水路」に沿って南下し、途中、橋で水路を渡り、さらに南下する。
水路が交わる所で、道も交わるので右折しよう。
そのまま真っ直ぐ進み「三ツ島北交差」で「第二京阪自動車道」をくぐる。
道なりに北へ戻ると、先ほどの高架をくぐった水路の延長線上に出るので左折、水路に沿って歩く。
ここにも朽ちた「田舟」が。
案内表示に沿って左折する。
古い街並みに出る。
そこには「三島神社」。「天照大神」「大己貴命」「素戔嗚尊」を祀る。
境内には「薫蓋樟(くんがいしょう)」と呼ばれる楠が。国の天然記念物に指定されている。
推定樹齢1000年。高さ24m、幹回り13.1mの巨樹。ただただ「でかい!」
神社前の旧家。「大国さん?」
神社の横には「地車庫」。
「三ツ島」の集落を北に抜ける。
先ほどの水路に突き当たるので左折。
この水門で、水路は「古川」と合流する。手前には「田舟」。
左折し、次の信号で通りを右へ。「三ツ島大橋」で「古川」を渡る。
「桑才(くわざい)」という集落に入っている。
すぐに「忠魂碑」が現れるので左折。「稗島(ひえじま)」の集落に入る。
ここも古い村のようだ。
「稗島自治会館」の前には「妙見宮」への道標。
突き当たりを左に。さらに左に行けば「稗島のくす」。高さ10m、幹回り8.8mの楠は、先ほどの「薫蓋樟」に次いで門真市第二の巨木。府の天然記念物に指定されている。
道を戻れば、すぐに神社。今日2つ目の「堤根神社」。
式内社を名乗るが、由緒の詳細は不明。
最後の神社で参拝を終え、南側の橋で「古川」を渡る。すぐ前には、先ほどの「稗島のくす」がそびえる。
水田と畑の間を抜ける。
ビワの向こうには「近畿道」と「第二京阪道」が交わる「門真JCT」。
この辺りにも「蓮根畑」が残る。
高架に沿って歩けば、本日のゴールである地下鉄「門真南駅」の入口。
一旦、地下道をくぐれば、目の前に大きなドーム。「なみはやドーム」だ。平成9年、大阪で開催された「なみはや国体」のメイン会場。古代の河内内湖に突き出た半島(現在の上町台地)の北側は、潮の干満によって大きく渦が巻いたと言われる。そのため「なみはや」と呼ばれ、それが今の「浪速」になった伝わる。
午後2時40分、先ほどの地下鉄「門真南駅」に到着。かなり宅地化が進んでいるが、ここ門真市には、旧大和川の支流に沿って広がったかつての「河内野」が残る。本日の歩紀「23150歩」(19.90km)。免許更新は、後日、休暇を取って行くことにする。
出 発:門真試験場
到 着:地下鉄「門真南駅」
5年に一度の運転免許更新の時期がやってきた。地元の警察署で手続きをすると平日を2日間潰さなければならない。そこで、日曜日に即日交付の手続きができる「門真試験場」を訪れた。しかし、そこは「長蛇の列」。おまけに蒸し風呂のような中、空調はなし。免許更新は断念し、「河内蓮根」の産地といわれる門真市内をぶらつくことにする。いたるところにコンビニ・スーパーがあるので、給水・トイレには困らない。
「門真試験場」。正式には「門真運転免許試験場」と言うらしい。私は16歳で原付免許を取ったが、その頃から「門真」に試験場があった。ただ私たちは、最寄りの駅名をとって「古川橋」と呼んでいた。京阪本線「古川橋駅」から歩いて20分ほどだ。
免許更新をあきらめ、午前9時45分、いざ「門真試験場」を出発。こんなことでもない限り、わざわざ門真市まで来ることはないだろうな。
まずは、試験場を出て左に。次の「試験場前南交差」を左折する。数分で「北島大橋」で「古川」を渡る。
橋を渡って右へ。すぐに石燈籠の道標が現れる。再建されたのだろう新しい石でできている。「右 大阪、左 のざき 奈ら」と刻まれている。大「坂」ではなく大「阪」なので、やはり新しいのだろう。
右に写っている消防団倉庫の手前に「堤根神社御旅所」がある。今日は、ふたつの「堤根神社」を訪れるが、ここは、最初に訪れる「堤根神社」の御旅所だ。今日一日の安全祈願をする。
「北島大橋」の東詰まで戻り、墓地を抜けて真っ直ぐ北へ進む。途中に水門。門真市は、内海が旧大和川の運ぶ砂で埋め立てられ、河内内湖を経て形成された湿地帯跡であり、今も多くの水路が残り、このような水門も方々に見られる。
家並みを抜け左へ。「打越一番橋」で川を渡る。「古川橋」という地名の由来となる「古川」だ。
「一番公民館」の前を入る。すぐに「幣原(しではら)兄弟の碑」。幣原家とは、この付近の豪農で、戦前は東京帝国大学教授や台北帝国大学総長などを務めた名士であったらしい。
この辺りには、古い「河内野」の面影が残る。
再度、「古川」沿いに出る。個人宅敷地内であるが大きな「クスノキ」がそびえる。
そのまま「古川」に沿って歩く。「河内の内海」から「河内内湖」へ、そして大和川支流が流れ込む湿地帯「河内野」へと変化し、その真ん中を「古川」が流れる。
そのまま北へ上ると「門真大橋」という橋に出るので、橋を渡ってすぐに左折、北へと進む。
しばらく「古川」に沿って歩く。淀川から別れ「河内野」を潤し、現在の東大阪市徳庵で寝屋川と合流する。ただ、正直言って「どぶ川」だ(大阪24区を歩く「鶴見区」編参照)。
途中、右にそれる。こんな「遊歩道」もかつての川跡なのだろう。
道をふさぐように大きな木が。
根元には神様が祀られている。
この「大木」を過ぎて角を左へ。「古川」を小さな橋で渡り、突き当たると道標が。昭和?明治?38年に大阪府が建てた道標で「右 守口街道 左 徳庵 八尾」などと刻まれている。
先ほどの小さな橋で元の道に戻る。
先ほどの辻を左折し、北へ進んでいくと、左には立派な「質屋さん」。
質屋さんを過ぎれば京阪電車のガードに出るので右折する。
適当にガードをくぐって京阪電車の北側に出る。そのまま進めば京阪電車「大和田駅」の前に出る。
駅前を過ぎて左折し、次の四つ辻を右に入れば「堤根神社」。
彦八井耳命、菅原道真を祀るが、この後、訪れる「茨田堤」の守護神として約1600年前に建立された式内社である。
そして、神社の裏は「史跡広場」という公園になっている。
ここが「茨田堤」の跡らしい。
「茨田堤」とは、仁徳天皇の時代に築かれ、「古事記」「日本書記」に出てくる、文献上、日本最古の堤防だ。
「まんだのつつみ」「まむたのつつみ」などと呼ばれる。辺りは「旧河内國茨田(まった)郡」である(大阪24区を歩く~「鶴見区」編参照)。
「史跡公園」の東側の筋を南へ。再度、京阪電車のガードをくぐる。
変電所の横を抜け、南へ進んでいくと、おそらく水路の跡だろう、遊歩道を進んで行く。
割と古い家も残っているようだ。そして、ここは「門真市野里町」。私のブログ名と同じだ。
正に「野里町歩紀」だな。
歩いていると、なぜか「ビワ」の木をよく見かける。
街路樹や庭木として、あちらこちらに植えられている。
「野里町」を抜け、「市立上野口小学校」の北側を抜けていくと水路に出る。
この水路も湿地帯の名残だろう。
水路を眺めながら住宅街を抜けていく。
「国道163号線」に突き当たるので右折。次の「野口東」という交差点を渡ろうと思うと、目の前に「饂飩倉」という「うどん屋さん」の駐車場が見える。他にも駐車場があるようだが、肝心の店が見えない。
すると「野口東交差」と「野口中交差」の中間にお店が。ビル1階の小さな店だが、こんなに駐車場があるということは、流行っているのだろう。時間は、午前11時30分。昼食としよう。
釜揚、手焼あごだしうどん「饂飩倉(うどんくら)」。「きつねうどん(700円)」を注文。店内の写真を見るとグルメ番組でも紹介されたようだ。
昼食を終え、国道163号線を渡って2つ目の路地を左に曲がると、再度、水路に突き当たる。
さらに水路に沿って歩いて行くと・・・
何やら水門のようなものが現れる。
これは「バッタリ」と呼ばれ、蓮根畑、水田の中を縦横に走る水路が交わる所で、水位が異なる水路に田舟を渡すための装置らしい。
ここには、昭和時代末期まで現役として活躍していた「バッタリ」がそのままの姿で残されていたが、平成22年3月に開通した「第二京阪自動車道」の開通に伴い、水路が改修されたため、今は当時の「バッタリ」を復元して、このような形で残されている。
その「第二京阪自動車道」をくぐり、南へ歩いて行く。
「下島頭北交差」を左折すると水路に出る。
住宅街を迂回し、水路に沿って歩く。
こんな遊歩道も水路跡だろう。
通りに突き当たり右に折れると「スーパーライフ」に突き当たるので左折。次の信号を右に曲がると「第二京阪自動車道」に突き当たるので、左折して高架に沿って歩く。
左に水田。
いや。これは「蓮根畑」だ。植えられたばかりの蓮根の苗が並ぶ。
その横には、成長した蓮根畑が広がる。
遠方には「生駒連山」。
ここは「河内蓮根」と呼ばれる蓮根の産地だ。
「北島東交差」を左折し、小さな農道に進むと水路には「蓮根畑」を往き来する「田舟」が係留されている。
「第二京阪自動車道」で分断されてしまったが、ここ門真市の「北島」「三ツ島」地区にまたがって、400m四方ほどの「蓮根畑」が残る。
縦横に水路が走る。
しばらく高架に沿って歩くが、ここは蓮根ではなく「田んぼ」が広がっている。
すぐ右に高架をくぐるトンネルがあるのでくぐろう。
高架の西側にも「蓮根畑」が広がる。
耳が赤いので外来種だろう。
高架沿いに北に戻り、ローソンのある交差点を左折して「市立第二中学校」前を進む。
第二中学を過ぎた所で左折し、グランドの手前を左に入る。ここにも水路が走る。
グランドに沿って歩くと通りに出るので右折。このグランドと建物は、元「府立門真南高校」だったようだ。今は閉校し、「門真市民プラザ」として利用されている。
「門真市民プラザ」前バス停から農道に入る。
広大な「蓮根畑」の中を歩く。
水田や溜め池。昔のままの姿なのだろう。
農家の向こうには「田舟」が。
隣の駐車場に入れば、間近に「田舟」を見ることができる。
「蓮根畑」に戻り「田舟」の横まで行く。半分、水没しているところを見ると、今は使われていないのだろう。
名もない橋。
橋からの眺め。
そのまま真っ直ぐ進むと大きな水路に突き当たるので右に曲がり橋を渡る。
そのまま左に進めばアンダーパスで「第二京阪自動車道」をくぐることができる。
再度、高架の東側に戻る。
しばらく歩けば左に水門が見える。
前方の「府営門真三ツ島住宅」の西側に南北に流れる水路。ここは「砂子水路」と呼ばれ、桜の時期には満開の桜の下を「田舟」が花見客を乗せて往復する。
「砂子水路」に沿って南下し、途中、橋で水路を渡り、さらに南下する。
水路が交わる所で、道も交わるので右折しよう。
そのまま真っ直ぐ進み「三ツ島北交差」で「第二京阪自動車道」をくぐる。
道なりに北へ戻ると、先ほどの高架をくぐった水路の延長線上に出るので左折、水路に沿って歩く。
ここにも朽ちた「田舟」が。
案内表示に沿って左折する。
古い街並みに出る。
そこには「三島神社」。「天照大神」「大己貴命」「素戔嗚尊」を祀る。
境内には「薫蓋樟(くんがいしょう)」と呼ばれる楠が。国の天然記念物に指定されている。
推定樹齢1000年。高さ24m、幹回り13.1mの巨樹。ただただ「でかい!」
神社前の旧家。「大国さん?」
神社の横には「地車庫」。
「三ツ島」の集落を北に抜ける。
先ほどの水路に突き当たるので左折。
この水門で、水路は「古川」と合流する。手前には「田舟」。
左折し、次の信号で通りを右へ。「三ツ島大橋」で「古川」を渡る。
「桑才(くわざい)」という集落に入っている。
すぐに「忠魂碑」が現れるので左折。「稗島(ひえじま)」の集落に入る。
ここも古い村のようだ。
「稗島自治会館」の前には「妙見宮」への道標。
突き当たりを左に。さらに左に行けば「稗島のくす」。高さ10m、幹回り8.8mの楠は、先ほどの「薫蓋樟」に次いで門真市第二の巨木。府の天然記念物に指定されている。
道を戻れば、すぐに神社。今日2つ目の「堤根神社」。
式内社を名乗るが、由緒の詳細は不明。
最後の神社で参拝を終え、南側の橋で「古川」を渡る。すぐ前には、先ほどの「稗島のくす」がそびえる。
水田と畑の間を抜ける。
ビワの向こうには「近畿道」と「第二京阪道」が交わる「門真JCT」。
この辺りにも「蓮根畑」が残る。
高架に沿って歩けば、本日のゴールである地下鉄「門真南駅」の入口。
一旦、地下道をくぐれば、目の前に大きなドーム。「なみはやドーム」だ。平成9年、大阪で開催された「なみはや国体」のメイン会場。古代の河内内湖に突き出た半島(現在の上町台地)の北側は、潮の干満によって大きく渦が巻いたと言われる。そのため「なみはや」と呼ばれ、それが今の「浪速」になった伝わる。
午後2時40分、先ほどの地下鉄「門真南駅」に到着。かなり宅地化が進んでいるが、ここ門真市には、旧大和川の支流に沿って広がったかつての「河内野」が残る。本日の歩紀「23150歩」(19.90km)。免許更新は、後日、休暇を取って行くことにする。
京阪沿線の風景から郊外住宅都市だと思っていた門真の、沿線から少し離れた北島や三ツ島あたりに水路のある農村地帯が広がっていることは地図で知っていました。
しかし第2京阪の建設でこのあたりの田畑も壊滅してしまったものと思っていたら、名産の河内レンコンを作っている方が今もたくさんおられて、値段はお手ごろではないようですが料亭に出荷されているそうですね。
子供を対象にした農作業体験や水路での花見舟など町おこしイベント等の地元団体の活動が積極的になされていることも他のサイトの検索ではじめて知りました。
いまや観光用にしか価値がないのかと思っていた田舟もここでは何艘かが現役なのに強烈に嬉しくなりました。
水に浸かった田舟は、同じ写真をアップしている他の方のサイトによると、『子供にいたずらされないためにわざとそうしてある』のだそうです。とても温かいコメントだと思いました。
コメントありがとうございます。週末しか時間がなく、返信遅れて申し訳ありません。
地名って本当に難解ですね。市町村もそうですが字(あざ)レベルになると、もっと凄いですね。昔、国語学の教授から聞いた話しでは、漢字が伝わる前からある地名に、後になって漢字を当てはめたのも理由のひとつだそうです。
大阪や近郊をたくさん歩きましたが、なかなか良いところですね。古い街並みや自然も豊かで。これからもどんどん歩くつもりです。
あっ、それから「お菓子の三松」ですが、ご指摘されるまで全く意識していませんでした。ただ、
石橋は、私の通勤ルートですので、また、訪ねてみます。