「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

そうだ妙見山に登ろう1~のせ電「妙見口駅」周辺~

2016-05-07 20:25:14 | 日記
訪問日:平成28年5月7日(土)

 大阪府と兵庫県の府県境にそびえる「妙見山(660m)」。妙見山には、主に「新滝道」「上杉尾根」「初谷渓谷」「天台山」「大堂越」の5つ登山コースと「妙見の森ケーブル」が通じる。3往復で各コースを極めようと思うが、各コースともスタート&ゴール地点の能勢電車「妙見口駅」と「妙見山頂」は共通するので、重複を避けるため2回に分けて「妙見口駅」と「妙見山頂」の周辺を紹介することにする。


 1回目は、能勢電車「妙見口駅」周辺。その名のとおり妙見山への入り口だ。阪急梅田駅から「川西能勢口駅」で乗り換え約1時間(590円)で着く。付近には里山風景が広がる。
 

 能勢電車。通称「のせ電」は、阪急電車の系列であるため、阪急カラーである「マルーンカラー」の車両が走るが、妙見線と日生線の分岐点である「山下駅」からそれぞれの終点を結ぶ2両編成の連絡便は、ダイヤにより復刻塗装車両が往復する。
 

 駅の片隅には、長らく放置されている保線用車両。
 

 終着点。ここは、大阪府最北端の駅でもある。
 

 改札の外へ。自動改札の無人駅だ。ただ、田舎の駅とは違い、概ね10分ごとに電車が発着する。
 

 待合室は、ギャラリーになっている。
 

 中には沿線の四季折々の写真などが飾られている。
 

 コインロッカーもある。
 

 町家風にリニューアルされた木造の駅舎。駅前の郵便ポストも四角い現代風のポストから昔懐かしいポストに変えられている。
 

 駅前には「花折街道」を表す石のモニュメント。「花折街道」とは、参詣者の増加に伴い、寛政年間(1789~1800)、現在の能勢電「一の鳥居駅」から「妙見口駅」までの尾根伝い、つまり現在の国道477号線に沿って開かれた妙見山への参詣道である。
 

 駅トイレは、清潔な水洗トイレで改札の外にあるので誰でも利用できる。
 

 「駅前広場?」を囲むようにお店が3店。右に「妙栄軒」。妙見さんへの参詣客を相手にした仏具店のようだ。今は自販機とタバコや新聞などを扱い、どちらかと言えば「駅の売店」と言ったところ。「妙見口駅」は、休日はハイカー達で賑わうが、平日は「通勤駅」でもある。私もその通勤客のひとりだ。
 

 左に「津の国屋」。ここは、売店はなくお食事処。「駅前食堂」という感じかな。
 

 その隣に「かめたに」。食事・喫茶のほかお土産も扱っている。ここは、いわゆる観光客相手の「お土産屋さん」。
 

 すぐ近くに、バーベキューテラス風の別館。以前は、料亭だったのが改装されたようだ。なお、いずれの店も弁当やおにぎり、サンドウィッチなどのテイクアウト物はないので、食料補給の最終ポイントは、川西能勢口駅構内のコンビニだろう。
 
 
 「かめたに」の向かいには、ログハウス風の「豊能町観光案内所」。地図やパンフレットをもらおう。
 

 駅前に立つ案内標識。「稜線コース」とは「上杉尾根コース」のこと。まずは右の「初谷渓谷コース」「天台山コース」方向へ進んでみよう。
 

 すぐに古い民家跡。昔は「取り次ぎ屋さん」だったようだ。奥深い山村だったため、このような商いが成り立ったのだろう。
 

 その先には「初谷川」を渡る「城之下橋」。
 

 その名のとおり、かつてこの橋の上には、戦国の武将「吉川長仲」の居城である「井戸城」があったそうだ。
 

 少し進んで右には、阪急バスの「妙見口駅」バス停。平日の出勤時間帯には、ニュータウンからの通勤バスが着く。他にも本数は少ないが、能勢方面への定期バスやケーブルまでの連絡バスなども発着する。詳しくは、阪急バスのホームページで。
 

 バス停から少し進むと「浄土真宗本願寺派西方寺」。お寺前の三叉路は、かつて大坂から妙見山への参詣道として、池田から能勢街道と分岐した「妙見街道」別名「長尾街道」と「花折街道」との合流点である。
 

 さらに進めば左に「大自然天地日之大神教」という神道系の宗教本部が立つ。この裏山に先ほどの「井戸城」遺構が残るらしいが、一般に公開はされていない。
 

 ここから先は、国道477号線を渡り「天台山コース」「初谷渓谷コース」への登山口へと続くので、あとはそれぞれのコースをご覧下さい。


 再度、妙見口駅前まで戻り「かめたに」と「観光案内所」の間を北へ進む。ここは「新滝道コース」「上杉尾根コース」「大堂越コース」への入り口だ。


 そして、この道は「妙見山」だけではなく「高代寺」という古刹への参道口でもある。参道の分岐点には「高代寺」への町石。町石とは、寺社までの距離と方向を示す石標である。「高代寺」とは逆の方向に進む。
 

 すぐ右の民家は、造りからしてかつて参詣客相手の旅館だったのだろう。建物の端には古い「コカ・コーラ」の看板が。
 

 すぐ隣には「吉川公民館」。その前には「常夜燈」。この常夜燈は、かつて「長尾街道」と「花折街道」の合流点である「西方寺」の前に文化5(1808)年に設置され、長らく民家の庭に放置されていたものを修復し、ここに移設したそうだ。
 
 
 案内板がないのでわかりづらいが、公民館の敷地に入り建物に向かって左奥にも「常夜燈」が2基並ぶ。これは、旧能勢街道脇に立てられていたものを移設したもので、右のものには嘉永6(1853)年、左のものには安永3(1774)年の刻がある。
 

 「花折街道」に戻りさらに進む。ここでは毎年3月「雛のつどい」という催し物が開かれ、妙見口駅からケーブル黒川駅までの間、「雛人形」や「竹雛」「雛暖簾」などを飾り観光客をお迎えする。
 

 大きな屋根の旧家横を通り過ぎる。
 

 隣の民家にある蔵横にも立派な「常夜燈」。
 

 これは「西の石灯籠」と呼ばれる。かつて吉川の集落は3度の大火に見舞われ、山中に防火・鎮火の神である「愛宕神社」と「秋葉神社」を勧請、その時に建立されたものと伝わる。そして、この「常夜燈」に対して「東の石灯籠」が「初谷渓谷コース」「天台山コース」に行く途中に残る。
 

 少し進めば「旧吉川中学校」。今は「オイスカ」という海外からの農業研修生を受け入れる機関の研修センターとして利用されている。「山の学校」という雰囲気で、春は桜がきれいだ。
 

 「旧吉川中学校」を過ぎて、すぐ右に入り、木造の旧校舎を見ながら進む。
 

 すぐに「浄土宗考䦰寺」。「こうきゅう」寺と読む。「きゅう」は、門がまえの中に亀と書く。
 

 「雛のつどい」の際には、立派な雛壇が飾られる。
 

 元に戻り、左に「町立吉川小学校」を見ながら、ゆっくりと坂を登っていく。正面の山の頂上には「井戸城」に居住した武将吉川長仲の出城である「吉川城址」が今も残る。
 

 右手の駐車場敷地内には「白龍大神」が祀られていた。
 

 小さな橋を渡れば左に、いかにも元旅館というような佇まいの建物。
 

 「たまや」といい、かつて草団子の茶店として繁盛したらしい。長らく空き家であったが、今は国産蜂蜜にこだわったお店として生まれ変わっている。
 

 福祉施設を過ぎれば「吉川八幡神社」への分岐点に出る。ここまで駅から15分くらいかな。
 

 「雛のつどい」では、田んぼの泥で作られる「土雛」が、石のモニュメントとして立てられている。ここを左折して神社に向かおう。
 

 参道の左には「吉川」の集落と里山風景が広がる。「吉川」は、豊能町では「余野」「高山」とともに山間部における盆地として開けた集落のひとつだが、妙見山への入口として、また、近年「のせ電」が開通したことで発展した。しかし、少し進めば、やはり山間の小さな集落である。
 
 
 2~3分で鳥居の前に。「八幡」の名のとおり「応神天皇」を祀る。
 

 清和源氏の祖、源満仲の3代目、源頼国の7男源頼仲が、吉川城に在住した冶歴年間(1065~1069年)に創建されたと伝わる。
 

 覆屋で覆われた本殿は、享保20(1735)年と嘉永5(1852)年の2度の火災で焼失し、安政3(1856)年に再建されたという。
 

 本殿の左脇には「弁財天社」「多賀社」「稲荷社」「皇大神社」が末社として並ぶ。
 

 境内は「吉川城跡」を経て「高代寺山」へ続くハイキング道の入口でもある。本殿右に50mほど進めば「吉川城址」への入口。
 

 そのまま真っ直ぐ進む。すぐ右に「台場くぬぎ」。「台場くぬぎ」とは、燃料としての木炭を産出するため、クヌギの幹の数m上の枝を伐採し、くぬぎの再生力を利用して繰り返し使う、先人の知恵である。
 

 竹藪を抜ける。
 

 すぐに「国道477号線」と「花折街道」の合流点に出る。
 

 その角には、妙見山への丁石(町石)。大阪方面には、妙見山に参拝する多くの「妙見講」と呼ばれる「講」が存在し、横の案内板によると、これは十三の「妙正講」という「講」が寄進した丁石で、妙見山まで22丁(約2.4km)あることを示している。
 

 国道を渡れば、それぞれ「上杉尾根コース」「新滝道コース」「大堂越コース」への登山口へと続くので、ここで引き返すことにする。多くのハイカーが下って行く。
 
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