釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

遊郭・歌舞伎小屋・牢屋

2007年02月03日 04時09分53秒 | お散歩日記/東京地名の話
蛎殻町の水天宮のすぐ隣は、人形町。

元吉原・堺町・葺屋町・芳町

人形町には、明暦の大火で浅草に移転するまで、吉原の遊郭があった。
元吉原である。
水天宮の通りの東側の道を大門通りといって、元吉原の大門があった通りだ。
人形町付近には、天保の改革まで葺屋町に市村座、堺町に中村座と江戸三座の内の二座があり、また芳町の花街はいまでも存在している。
昔から繁華な町であった。


人形町の交差点近くにある「うぶけや
「うぶけや」さんの背後が元吉原、前あたりが芝居町だった。

水天宮を北上する。
江戸通りに出る一本手前が旧・日光・奥州街道。
そして江戸通りと水天宮通りの交差点が小伝馬町。
伝馬町といえば、牢屋である。

伝馬町の大牢

地下鉄の小伝馬町駅の一帯が江戸時代の伝馬町の牢屋敷のあとである。 
小伝馬町駅を出て、すぐ北側に小さな公園がある。中央区立十思公園で、隣には大安楽寺、身延別院の二つのお寺が並んでいる。
牢屋敷とは現在の拘置所に当たるもので、未決の罪人が収容され、少ないときでも二百人、多いときでは千人以上が 在牢したという。
常盤橋にあった牢屋敷が移転してから、明治に市谷監獄に移転するまで、270年間で10万人が収容され、1万人以上が獄死、あるいは刑死したといわれている。

つづく


コメント
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