釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

亀戸天神で節分を考える

2007年02月10日 07時09分33秒 | 季節
二月三日は節分である。
毎年、日本各地の寺や神社では、豆まきが行われる。

今年は亀戸天神の豆まきを見に行った。
そこで色々と節分について考えてみた。




節分は季節の別れ目、次の日は立春である。
立春は二十四節季のうちで重要な八節(立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至)のうちの正月節と呼ばれるもので、二十四節季の正月に当たるものである。
現在では立春の前の日を節分と呼ぶが、過去には四季それぞれの節分があったようだ。

なぜ節分が年越と呼ばれるのか。

現代において、年は12月31日の大晦日から1月1日の元旦になることで変わる。
現在の年越である。
もうひとつ、日本には江戸時代まで使われていた旧暦(太陰暦)による正月がある。旧正月である。
この正月にももちろん年越がある。
現在でも、韓国・中国・ベトナムなど東アジアの諸国が旧暦を用いていて、こちらの正月が正式な正月となって、盛大に新年の行事や休暇が行われる。
しかし太陰暦では、今の太陽暦のように毎年一定の時期に正月がやってくるのではなく、年によっては、立春が前の年になってしまうこともある。
これは年内立春と呼ばれていたが、このように新年が同じ時期に来ないのである。

二十四節季を考えの基本とする節分は、年により日が前後することがない。
二十四節季は、太陽暦の夏至と冬至・春分や秋分(二至二分)を基点として、その間を二等分して、八節(立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至)とし、その間をさらに三等分したものであるから、節季と季節感が合致するのである。

宮中で大晦日の夜に行われていた追儺式(ついなしき)という行事がある。
中国から奈良時代に伝わった行事で、悪鬼を祓い、疫病を封じる方相氏(ほうそうし)呼ばれる人が、黒い着物に黄色の四つの目を持つ仮面をかぶり、矛と楯をもって、宮中を回り、邪鬼や禍を祓ったものだ。
この行事が、節分の年を越す行事として合体したという説が有力である。

節分の豆まきを追儺式というのはここからきている。
また、今でも大晦日に追儺式を行う社寺もある。
比叡山延暦寺では、大晦日の夜に追儺式が行われる。
新年なる1時間前に、人間の心の悪業である、三毒といわれる、貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(ねたみ)を現わす鬼を修行僧が改心させるというものである。

また、ところによって「星祭節分祭」などと、星祭と一緒に行われることがある。
「星祭」とは、生まれ年の干支を北斗七星に重ね合わせた本命星と、その人の数え年によってきまる当年星に除災招福を祈る法会のことで、年の変わり目に当たる節分に行われる。

兵庫県の中山寺では、「星祭節分会」といって、堂内に星曼荼羅を掲げて星祭の法要を行い、その後、追儺式が行われ、貪、瞋、癡の三人の鬼が、改心して、福・禄・寿へと変化する寸劇が行われる。

福豆を歳の数だけ食べる。(正しくは歳+1粒を食べる。)というのも、年越によって、新たに歳の数が一つ増えるということや、新しい年が始まるということを強く意識したことことである。


さて、亀戸天神の節分追儺式についてみていこう。

東京の各地の寺社が、日中に豆まきを行うが、亀戸天神では、日没後に行われる。
年越の夜に行われるのが、豆まきの本来の姿であるから、より元の姿に近い。
豆まきは家族そろってやるから夜やるのではない。
年が変わるという一大事件に、魔物が出やすくなるので、そこで豆をまくのであるからやはり夜でなくてはならない。
ほかの寺社も有名人を集めたり、参詣人を集めるために昼間やらないで、見習って欲しい。


提灯にも「節分追儺祭」の文字が。


篝火がともされ、社殿では福男たちのお払いが行われる。
後ほど、奥に見える橋を渡って鬼がやってくる。

豆をまく福男のお払いが終わると(福男が多すぎるのが興を削ぐ。百人以上いる。)
神主が社殿の前に据えられた四方に竹を立て注連縄を張った台の上に現れる。


結界を張った台上に現れた神主。
周りにたくさんの福男。(待ちくたびれて豆を喰ってる奴がいてどうかと思った。)

すると、鬼が境内の太鼓橋を渡ってやってくる。
(うなり声上げてるけど、マイク通してるし。)


鬼登場。
鬼が四つ目なのは、方相氏(鬼を追う役)が四つ目だったので、それと混同したのだろうか。
写真を撮影していた方が、ここは鬼が四つ目なのが珍しいといっておられた。


鬼は社殿に向かい、神主が怪しく見慣れぬものが来た・・・・と鬼に問う。
鬼は禍をもたらした・・・・と答える。
(神主ももちろんマイク持ってる。興ざめ。)

この問答が、能の名乗りや掛け合いにすごく似ていて、演劇的な感じを受けた。
非常に古風で、芝居を見ているような感じ。
郷土芸能といえばわかりやすいかと思う。
そのようにことが運んでいく。


最初は立っていた鬼も・・・・


神主の「日本は神国・・・」で納得したのか、跪く。


そして終いには退散。
そこへいっせいに豆を打ち付ける。

会場は豆を拾おうとする人で大混乱。
豆がこちらにも当たって痛いし。
そんな混乱にまぎれて、いつの間にか鬼は闇のかなたに消えていった。

全体的には、儀式的であり、演劇的な面もあり、非常に楽しく見物できた。
でも、豆をまく人が多すぎたり、儀式の最中も子供たちがうるさく騒いだり、興をそぐ点も多く見られたが、節分の豆まきを考えるのには良い行事を見ることができたと感じている。








コメント
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