釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

根津さん・・・笄川の源流を発見

2009年11月21日 03時44分11秒 | お散歩日記/東京地名の話
我が家から道へ一歩足を踏み出すと根津さんの森が見えます。
親しみを込めて呼ぶ「根津さん」は正確には根津美術館とそれに付属する庭園のこと。
まだ東武鉄道の根津家のお屋敷があったころからの呼び名のまま地元では呼んでいます。
子供のころはよく庭に遊びにいきました。椎の実を拾ったり、池でザリガニを捕ったり・・・・池に落ちたこともありました。
地元の子供たちは、「あの池は底なしだ!」なんて恐れられていましたが、吸い込まれた奴の話なんか一度も聞いたことがありませんでした。今、思えば笑い話です。
だから、子供のときの「根津さん」は池のある遊び場という印象で、美術館はほとんど印象には残っていません。
実際、美術館に始めて入ったのは中学生以降だと思います。
青銅器がたくさんあった印象ときれいな時計があったことを覚えています。
その後も庭園には年に一二度伺いましたが、美術館は数えるほどしか入館していませんでした。
最近、美術館や庭園に非常に興味を持つようになってから、根津美術館は改装に入ってしまい再開場を心待ちにしていました。

以前、庭園にはほぼフリーパスで入れました。実際は昔は10円、近年は100円または美術館の入場者限定という触書はありましたが、改札があるわけでもなく、近隣の人間は勝手に入っていました。

しかし再開場からは、美術館に入場しなければ庭園には入れないシステムになってしまい、庭園だけの入場は不可のようです。
ちょっと残念ですが、警備上や安全の上からも致しかたないのでしょうね。

再開場早々にお伺いしてみたかったのですが、何かと野暮用の多い身、再開場記念の展覧会にぎりぎり間に合って新装になった美術館に出かけました。

真っ先に懐かしい庭に行きました。
館からの出口付近は相当変わりましたね。
美術館前の広々とした庭は少し手狭になった感じがします。
茶室口の周辺から、右奥はまったく違う感じの庭になってしまいました。以前は鬱蒼とした藪のような感じで、お堂のようなものがあったような気がします。
新しくできた「ほたらか山」といわれる辺りに江戸時代の子供の墓が林立しているのが不気味でした。
でも全体的にはあまり変化した気がしません。特に茶室の周りはあまり変わっていないように思います。もちろん園路は整備されていましたが・・・。


素敵な風情の庭

そういえば、根津さんの池は笄川(古川の上流部)の水源の一つだったはず・・。
今はどうなっているのだろうか、気になったので池の最上部へ行くとまだ水が湧いているようです。
水道水を流している池もあるので、本当に湧いているか知りたくなりました。
たまたま庭師の方がお仕事をしていたので、お聞ききすると、まだ水が湧いているというお答えでした。
ほんの些細なことですが、とてもうれしくなってしまいました。


水が湧いています。ほかにも二箇所ほど石組みの周りが湿っていました。

お仕事の手をしばし休めさせてしまったのですが、近所に住んでいて子供のころよく池に落ちた話などしていたら、その方は昔からお庭の手入れをしていらっしゃるようで、うちの両親のこともよく知っていらしたのでびっくりしました。
震災で根津邸の竹薮に避難した祖父、昔のおおらかな時代に銀杏や胡桃を拾った母、そしてザリガニを捕って遊んだ私と三代に渡って根津美術館にはお世話になったわけです。

それにしても笄川の源流のひとつが今も生きていたことには驚かされました。
庭の隅にある池尻には、水の流れ出すところも確認できました。
川は我が家のある根津坂のしたに吸い込まれているのです。
まさしく川はまだ生きているのですね。


池尻の様子・・・この先に根津坂の坂下があります。

庭は全体的にあまり手が入れられていなかったのが幸いです。もう少ししたら紅葉が見事ですよ。


改装前の紅葉の様子
コメント
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