釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

前進座劇場

2013年01月09日 12時14分44秒 | 演劇・演芸


今日、2013年1月9日で吉祥寺にある前進座劇場が閉場します。

ご存知のように、私は1979年(昭和54年)から1993年(平成5年)まで前進座に在籍していました。
前進座劇場ができたのが、1982年(昭和57年)10月ですから、その時に劇団員として在団していたことになります。

当時、戦前に建てられたお化け屋敷のような稽古場が老朽化し、新しい稽古場に建て替えるという話が持ち上がり、ちょうど創立50周年を控えていたことや、同じような劇団で俳優座が老朽化した劇場を建て替えて、ビルの中に新しい劇場を立てたことなども刺激となり、劇場付きの稽古場兼事務所を建設することになったのです。
吉祥寺の住宅地の中にあった劇団の敷地は、井の頭通りに面した部分以外は高い建物が建てられませんでした。
まず、近隣の皆さんに趣旨をお話することから始めて、まだペイペイの私なども各家々をまわり、説明したり、東京都に提出する請願に署名していただいたりしました。

もちろん資金的にも問題があって、敷地の一部を武蔵野市の公共施設のために売却したり、後背地を宅地用に売却したりして資金にしました。
それでも不足した分は、各地の演劇鑑賞団体や個人のお客様にお願いして、募金を集めました。
確か二億円ほど集まったと覚えています。

計画から完成までは二年ほどあったのではないでしょうか、それ以上かもしれません。
そうだとすると、私が入座してからすぐに計画が始まったのではないでしょうか。

舞台機構の設計は、演出部に所属していた私たちが中心になって、各地の使いやすい市民会館や劇場の平面図を収集して、比較検討し計画を立てた記憶があります。
ですから、裏方としては使いやすい劇場でしたが、そのために各席に入るために一度舞台袖の下を通過しなくてはならないとか、ロビーが狭い、楽屋が地下など、ほかのところにしわ寄せがいってしまったかもしれません。

柿落としの公演は10月だったと思います。
三部制で歌舞伎中心のもの、書き下ろし、青少年向けの3っつの演目を上演しました。
しかし私は、地方公演中で参加していません。
でも、その後、色々な作品でお世話になりました。
嬉しいことも、悔しいことも、楽しいことも、泣いたこともいろいろ。

前進座劇場というと、中村翫右衛門さん(梅之助さんの父上)を思い出します。
劇団創立メンバーで、新しい劇場を楽しみにされていたのですが柿落としの少し前に亡くなりました。

翫右衛門さんは、古い稽古場の最後の日、大稽古場に集まった劇団員に話をされたあと、みんなで稽古場に「ありがとう!!」と唱和を即されたのです。
その時は、あまりの唐突さに失礼ながら笑いそうになってしまいました。

今では、翫右衛門さんの気持ちがよくわかります。
今度は本当に劇場に「ありがとう!!」を言わなくてはいけませんね。
なんか、私の青春が詰まってますからね。
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