釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

写真展 記憶の中の新宿 

2013年01月21日 20時28分09秒 | 美術館・博物館めぐり
昨日は、新宿歴史博物館に「写真展 記憶の中の新宿 ~昭和30年代を中心に~」を見に行きました。

館が所蔵する写真資料の公開で、昭和30年代を中心にしたものでした。
昭和30年代といえば私の子供時代、そして新宿区は港区の隣ということで、ご縁も深い土地柄です。

例えば、よく遊びに行った神宮外苑の半分は新宿区。
買い物に行った伊勢丹、酉の市の花園神社、そこに行くまでの都電・・・・本当に懐かしい場所です。

どんな懐かしい写真があるのかと楽しみに出かけたら、たくさんありました。
新宿の町並み、新宿駅、酉の市、都電、トロリーバスなどなど。

最高に懐かしかったのは、絵画館前のプールの写真。

子供の時に、神宮外苑の絵画館の前のプールに入った印象があったのですが、大きくなってからはただの池だったので、なにか勘違いをしていたのかとずっと思っていたのです。
その後、昭和34年から36年の三年間だけ、絵画館の前の噴水のある池がプールとして開放されていたことを知りました。
記憶は間違っていなかったわけです。
今回、その当時の写真を見ることができました。
あの池の中は大人や子供でいっぱいでした。
でも、どこで着替えていたんだろう。

いろいろと楽しめる写真展だと思います。
お時間があればぜひいらしてみてください。
無料です。

新宿歴史博物館


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月亭遊方のCrazy ナイト vol.6

2013年01月20日 19時07分04秒 | 演劇・演芸
昨日は神保町らくごカフェで月亭遊方師匠のCrazyナイトでした。

挨拶トーク 月 亭 遊 方
時うどん 鈴々舎八ゑ馬
老婆の宝くじ 月 亭 遊 方

中入り

遊方✖八ゑ馬 トーク
干物箱 月 亭 遊 方

久々に遊方師匠の爆笑落語を生で聞くことができました。
二人のトークも爆笑させていただいたり、そうだそうだと納得させられたり、楽しかった。


終演後、打ち上げに参加させていただきました。
お二人やほかの見物の方から楽しいお話を伺うことができて、時間が立つのも忘れてしまいました。
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巳年ネタ

2013年01月19日 14時18分14秒 | お散歩日記/東京地名の話


突然、蛇でごめんなさい。

数年前の初夏、浜離宮の築地川に面した「将軍お上り場」の近くで撮影しました。
「将軍お上り場」は徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで負けたあと、軍艦「開陽丸」で大坂を抜け出し、ここから上陸した場所です。
浜離宮の正門は、浜大手門といいますから、江戸城の海の玄関だったわけですね。

この蛇、



ゆっくり築地川を泳いで行きました。



そして向こう岸の石垣で日向ぼっこ。

東京にもまだまだ蛇の住める環境はたくさんありそうです。


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筑波山もお忘れなく

2013年01月18日 14時05分00秒 | 旅日記
東京で遠くに見える山の代表はやはり富士山でしょう。

でも忘れてはいけない山がもう一つあります。
それは筑波山です。

江戸の町は、「山当て」という手法で作られているといわれています。
それは、正面に山や城がくるように道を作るというものです。
江戸の場合、道だけではなく、水路もそのようにして作られたようです。

その時の山が、富士山であり、筑波山であったのです。
また、江戸城や上野の山、愛宕山などもその目当てにされました。

江戸の町は北から南西には目当てになるものが多くありますが、東側には筑波山しかありません。
筑波山は西の男体山(871m)と東の女体山(877m)の二つの峯がある独特の形をしています。
標高はあまり高くあありませんが、関東平野の中に島のようにありますので、どこからもよく見えます。

母が茨城県の出身なので、昔から筑波山はよく見ていました。
思い入れも深いです。
母のふるさとの霞ヶ浦の近くから見る筑波山が、峯と峯の間隔がよく、一番美しいかもしれません。


夕方、常磐線の車内(石岡付近)から。
(この間隔が一番綺麗だと思います。)

常磐線はもちろん、東北線、東北新幹線からもよく見えます。

今でも、冬の晴れた日なら都内からでもよく見えます。
数年前、正月に羽田空港から撮影した画像です。



遥か彼方に霞んで筑波山の独特の形が望めました。

昨年の初冬にも、日暮里舎人ライナーが足立区に入ったあたりから右手にはっきりと筑波山が望めました。
スカイツリーや高いビルなどに登る機会がありましたら、富士山を見たあとはぜひ反対側に目を転じ、筑波山を探してみたください。
寒い冬、絶好のチャンスです。

筑波山もお忘れなく。


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新笄

2013年01月17日 12時37分04秒 | 西麻布の話題
西麻布二丁目の外苑西通りと立山墓地の間に古い民家がぎっしりと並んでる場所があります。
正確に言うとあったといったほうがいいのかもしれません。
つい最近、大半が取り壊されて、マンション工事が始まっています。

子供の頃、この辺りのことを「しんこうがい」と呼んでいました。
これは昔のこのあたりの町会の名前で漢字では「新笄」と書きます。
今は「西麻布二丁目東町会」と名前が変わってしまっています。

もともとは、「上笄町会」の一部だったそうですが、戦後、いろいろな経緯で別れたようです。
その時に、神輿は「新笄町会」が引き取ったそうで、「上笄町会」には子供神輿しか残っていません。(これは、都市伝説かもしれません。)

太平洋戦争の時、今の西麻布二丁目の大半は、昭和二十年三月十日の空襲で焼失してしまいました。
しかし、この「新笄」の区域は数度の空襲にも、墓地にはさまれた地形が幸いして、被害をまぬがれました。
ですから古い佇まいの民家がたくさん残っていたのです。
ポンプ式の井戸や物干しのある風景は昭和を思い出すものでした。
(画像の井戸も今は上部が取られています。)

近年は地上げが進み、住宅もまばらになって、空き地には雑草が生い茂って、郷愁を誘っていました。
書籍やネットでも、西麻布のラビリンスと何度も紹介されて、見物に来る人もいたほどです。

この街の中に、二軒の駄菓子屋がありました。
夕方近くなるとたくさんの子供が路地を行き交い、まさに昭和三十年代を過ごしていたのです。
ソース煎餅やハッカのタバコ型の菓子、いろいろなくじ引きをして楽しんだ場所です。

ここには新しく森ビルの低層マンションが建つそうです。
昭和の香りがする西麻布の風景がまた消えていくのは寂しい限りです。






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ケーク・サレ

2013年01月16日 23時23分16秒 | 料理の話


ケーク・サレを作りました。
日本語にすると「塩ケーキ」、甘くないケーキです。

キッシュに似てるけど、小麦粉を使います。
今日の中身はきのこ。

後で試食します。
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降る雪や 昭和も遠く なりにけり

2013年01月15日 23時26分40秒 | 日々雑感


子供の頃の家の前です。
奥の方が根津美術館になります。

小学生ぐらいまではよく雪が積もった記憶があります。
青南小学校でも、雪が降ると青山墓地まで雪合戦をしに行きました。
まだ青山陸橋(青山橋)ができる前だったんじゃないかな。
もちろん、外苑西通りもなくて、なだらかな斜面が墓地から続いていました。
そこが雪の斜面になってそこで遊んだんじゃないかな。

外苑西通りができたのが、オリンピックの頃だとすると、昭和39年より前の記憶ということになりますね。

そういえば、青南小学校にゆかりの中村草田男の
「降る雪や 明治は遠く なりにけり」
は、昭和九年、草田男が大学生の時に、母校の青南小学校を訪れた読んだく句だそうです。
青南小学校に句碑があります。

明治だけじゃなく、昭和も遠くなってしまいました。

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大雪

2013年01月14日 19時00分32秒 | 日々雑感
成人式は七年ぶりの大雪。



スカイツリーも全く見えません。




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志村あたり

2013年01月13日 18時30分03秒 | お散歩日記/東京地名の話
今日は板橋へ。
板橋の中山道板橋宿の辺りは何度も訪れたことはありますが、その先の志村は未踏の地でした。
ただし、子供の頃に伯母の一家が住んでいたので行ったことはあるんですが、なにしろ未就学児の時代でまったく記憶がありません。
その頃はたぶん都電で行っていたと思います。

今日は、三田線で本蓮沼。
この辺りから志村坂上までは旧中山道が新道と一緒になっているので、板橋宿辺りのような風情はあまりありません。
でも、一歩裏道にはいると寺や神社が多く歴史を感じさせるものが多くあります。
また、武蔵野台地が新河岸川、荒川の氾濫原に接する場所に当たり、起伏にとみ、いくつもの湧き水が見受けられました。

部分的に残った旧道の清水坂、志村一里塚や志村城あとの高台など、中世から江戸時代の遺構も見受けられ楽しい街歩きとなりました。


志村一里塚


見次池

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今年は巳年

2013年01月12日 15時46分56秒 | 旅日記
今年は巳年ということで蛇ネタ。

去年の夏、奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りしました。
ここの御使いは蛇。



拝殿はあるのですが、ご神体は三輪山。
その三輪山全体を蛇がとぐろを巻いているとか。
日本でも最古の神社とか。

芸能でも、能「三輪」文楽・歌舞伎「妹背山婦女庭訓」などで三輪の数多くの伝説が取り上げられていて、興味深い神社です。
また、酒ともふかいかかわりがあります。
神前には、その酒と蛇の好物の生卵が供えられています。

お参りが終わって帰り道、参道で蛇を発見。



石垣の中から顔を覗かせていました。
ありがたや。

今から40年前、歌舞伎の妹背山に興味があった私は自転車で天理方面から山辺の道を大神神社に向かっていました。
大神神社に近づいた山道で金色の蛇に遭遇しました。
当時は大神神社の御使いが蛇だとも知らずにひきそうなりました。
罰当たりな。

そして今回二回目の訪問でまた蛇に遭遇。
運がいいかも。

あとで知ったのですが、この神社ではよく蛇に遭遇できるそうです。
また、いつかお参りした時にも蛇に遭遇できるのでしょうか。

そんな巳年のネタでした。

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