”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

企画展「ガリ版のある風景―学校に刻まれた手刷りの温もり―」・ガリ版伝承館(東近江市)

2019-11-06 10:00:00 | 東近江ライフ

東近江市蒲生岡本町のガリ版伝承館で11月16日(土)から12月1日(日)まで企画展「ガリ版のある風景―学校に刻まれた手刷りの温もり―」が開かれる。

 

 簡易印刷機「謄写版」(通称・ガリ版)は1894(明治27)年に同市出身の堀井新治郎父子によって発明され、明治~戦後の大衆文化の隆盛を支えた。
 特に教育分野では識字率の飛躍的向上に寄与し、教育の近代化や各種技術の西欧化を可能にした原動力となった。

堀井新治朗については当ブログで以下紹介済みである。

【滋賀・近江の先人第50回】謄写版(ガリ版)印刷の父・堀井新治郎(滋賀県竜王町・東近江市)


 今回の企画展では、学校教育でガリ版の果たした役割を3テーマに沿って展示する。
(1)「学校のガリ版あれこれ」
(2)「アンドー・トーシャと学校」
(3)「教師たるもの、謄写版を持つべし」

開催期間:11月16日(土)~12月1日(日) 10:00~16:30
入館無料。火曜休館。
問い合わせ:蒲生コミュニティセンター(TEL0748―55―0207)

 


尚、11月17日(日) にガリ版作家水口奈津子さんを講師に、アンドー・トーシャ店主・安藤さんの文章「ノスタルジー」から図案化した展覧会ポストカードが作製できるガリ版体験イベントを行う。
(1)10:00~
(2)11:00~
(3)13:00~
(4)14:00~
各回定員5人、参加費500円(予約優先)

11月17日(日)10:00からは同館とガリ版ホール、ごはんとおやつsouで「ガリ版祭り2019」が開催される。

ガリ版と地域をめぐるクイズラリーや手作り雑貨マーケット、ワークショップ、蒲生の美味しいもの市、音楽パフォーマンスが行われる。

詳しくは新ガリ版ネットワークのHP(https://www.gariban-archives.com/)へ。

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近江建部城・書家でもあった「建部伝内」屋敷跡(東近江市)

2019-11-06 06:00:00 | 近江の歴史文化・探訪

10月1日(火)午前、改めて「建部城・建部伝内屋敷跡」(東近江市五個荘木流町)を訪れた。

「建部伝内屋敷跡」は、法蓮寺の前(南側)周辺が跡地となる。現在は、五個荘木流町会議所や「地蔵堂」等が建ち、遺構は確認できない。

建部伝内屋敷跡
所在地: 滋賀県東近江市五個荘木流町(法連寺前)
形式: 居館
築城者: 建部伝内賢
築城年代: 戦国時代


建部城は、近江三筆の一人「建部伝内賢文」の居館だ。

箕作城の北麓にあり、居館の遺構は何も残っていないが、家督を譲った観音寺城主六角義賢が隠居所とした法連寺の南側一帯に築かれていた。
法連寺は、永禄11年(1568年)に信長の先鋒隊によって箕作城と共に兵火により焼失しているが、この時の箕作城守将は賢文の父建部秀明であった。

建部城は、戦国時代に建部賢文によって築かれた。賢文は、青蓮院尊鎮法親王に書を学び伝内流(建部流)を興した。六角義賢に仕えて片諱名を与えられ賢文と称した。


永禄11年(1568年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛し、観音寺城主六角義治が没落すると賢文は建部郷木流に居館を構え、書を教授し書家として名声が高かった。

 
建部伝内屋敷跡(解説板)
建部伝内は、観音寺城主佐々木六角義賢に仕えたが、義賢はその才を愛し、賢の一字を与え賢文と名乗らしめた。伝内賢文は、書に秀で、京都東山の天台宗青蓮院門跡第23世尊鎮法親王に御家流を学び、その奥義に達し、親王の許を得て一家をなし、伝内流あるいは建部流と称された。

武にも勝れ、兄秀治とならび箕作城代となる。永禄8年(1565年)義賢が家督を義治に譲り入道して承禎と号すと、賢文はそれにならい道狐と号した。織田信長が上洛して佐々木六角氏が没落すると、君臣相別れることとなり、伝内賢文は建部郷の木流の地に留まり、その屋敷において書の指南を続け、書家としての名声は天下に響くこととなった。

天正4年(1576年)、織田信長が安土城を築城し、城内に総見寺を建てると、「遠景山下水漫々総見寺」の額を伝内賢文に掲げしめ、天正16年(1588年)、秀吉の求めにより右筆となり、「聚楽第」の額を呈した。法蓮寺門前の供養塔は、ここが建部伝内家の墳墓の地であることを示すものであり、法蓮寺第29世実宣上人は供養塔の横に石碑を建立し、伝内の書道指南の抄を刻して、伝内賢文の業績を顕彰し後世に伝えている。

↑賢文の顕彰碑

↑左は法連寺

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