10月11日(金)午前、東近江市妙法寺町の「熊の森古墳」を訪れた。
前回、八咫神社を訪れた際、気がついていたが古墳の表示がなく古墳の認識がなかった。この「熊の森古墳」は古墳の表示がなかったが「前方後円墳」の形をしている。
また、東側古墳裾の道側に「市邊忍歯別命(イチベオシハワケノミコト)山陵」と刻まれた石碑が建っている。
市辺皇子の陵墓という言い伝えがある。市辺皇子は履中天皇の皇子で、従兄弟の大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に現東近江市に狩に誘われ、射殺されたと伝えられている。
東近江市の近江鉄道市辺駅の南東約1.2kmに宮内庁認定の「市辺皇子陵墓」があるが、この「熊の森古墳」は、それ以前の江戸時代に、市辺皇子の陵墓と考えられたという。