徳川秀忠と江の娘で、後水尾天皇の中宮の東福門院徳川和子(1607-1678年)が自ら制作し、明暦3年(1657年)、大本山永源寺(東近江市永源寺高野町)に寄進した「馬郎婦観音像(めろうふかんのんぞう)」が12月1日(日)まで、永源寺本堂奥の間で特別公開されている。馬郎婦観音像の公開は初めてである。
東福門院寄進の「馬郎婦観音像」特別公開
開催期間: 12月1日(日)まで、09-20時
場所: 臨済宗永源寺派大本山永源寺(東近江市永源寺高野町)
入山料: 500円。中学生以下無料
その他: 朝廷ゆかりの写経、観音図、御所人形が展示
令和改元を記念して、普段は公開していない永源寺所蔵の秘宝のうち、朝廷ゆかりの品々を特別公開するもの。
この馬郎婦観音像は押絵で、高さ約49cm、幅約20cm。寄進の経緯は、東福門院が、同寺を再興した一絲文守(いっしもんじゅ)禅師に対して観音像を下賜する約束をしていたが、一絲禅師が亡くなったことで果せず、後継の如雪文岩(じょせつもんがん)禅師の代になって寄進されたと、厨子裏の銘に記されている。
馬郎婦観音とは、中国・唐の時代、観世音菩薩が法華経を広めるために魚商の美女に姿を変えた変化観音のひとつ。
公開中の馬郎婦観音像は押絵で表され、柔らかで優美な姿に特徴があり、魚商の故事にちなんで、花弁に乗り波上に立ち、小袖にはサザエの文様が精巧に表現されている。頭部に植えられた頭髪は、東福門院の頭髪と伝わる。
<滋賀報知新聞より>