”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

永源寺の「馬郎婦観音像」特別公開

2019-11-11 14:49:41 | 東近江ライフ

 徳川秀忠と江の娘で、後水尾天皇の中宮の東福門院徳川和子(1607-1678年)が自ら制作し、明暦3年(1657年)、大本山永源寺(東近江市永源寺高野町)に寄進した「馬郎婦観音像(めろうふかんのんぞう)」が12月1日(日)まで、永源寺本堂奥の間で特別公開されている。馬郎婦観音像の公開は初めてである。

東福門院寄進の「馬郎婦観音像」特別公開
開催期間: 12月1日(日)まで、09-20時
場所: 臨済宗永源寺派大本山永源寺(東近江市永源寺高野町)
入山料: 500円。中学生以下無料
その他: 朝廷ゆかりの写経、観音図、御所人形が展示


 令和改元を記念して、普段は公開していない永源寺所蔵の秘宝のうち、朝廷ゆかりの品々を特別公開するもの。
 この馬郎婦観音像は押絵で、高さ約49cm、幅約20cm。寄進の経緯は、東福門院が、同寺を再興した一絲文守(いっしもんじゅ)禅師に対して観音像を下賜する約束をしていたが、一絲禅師が亡くなったことで果せず、後継の如雪文岩(じょせつもんがん)禅師の代になって寄進されたと、厨子裏の銘に記されている。

 馬郎婦観音とは、中国・唐の時代、観世音菩薩が法華経を広めるために魚商の美女に姿を変えた変化観音のひとつ。
 公開中の馬郎婦観音像は押絵で表され、柔らかで優美な姿に特徴があり、魚商の故事にちなんで、花弁に乗り波上に立ち、小袖にはサザエの文様が精巧に表現されている。頭部に植えられた頭髪は、東福門院の頭髪と伝わる。

<滋賀報知新聞より>

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の神古墳(東近江市五個荘伊野部町)

2019-11-11 06:00:00 | 近江の歴史文化・探訪

 10月11日(金)午前、五個荘伊野部町の「山の神古墳」を探しに出掛けた。
この古墳は八日市方面から瓦屋寺町山麓の「瓦屋寺古墳群」の北山古墳を過ぎ、伊野部地区に入る前の田んぼの中にぽつんと存在している。

**************************
山の神古墳 
所在地 東近江市五個荘伊野部町

遺構概要
集成、古墳(前方後円墳)。
<立地>平野。標高約120m、周辺の水田からの比高0m、横穴式石室があったというが、現在は削平され原形も留めない。
現在は、一辺7m、高さ1mの方形状の高まりが残る。かつて、高さ6尺の円形墳丘をもっていたという。 両端に長さ7.2m、幅広い部分3m、幅狭い部分2.7m、高さ0.9mの前方部の名残らしい区画があり、掘り出された石が3個あったという。
(内部主体)横穴式石室。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする