”スローライフ滋賀” 

「ウォーキング三昧」ブログの続編です。令和元年(2019年)5月1日に移行しています。

明治期の駅舎「近江鉄道・桜川駅」を「歴史的価値」と滋賀県文化財保護課が評価

2020-06-13 10:00:00 | 東近江ライフ
 2020年で開設120年を迎える東近江市の「近江鉄道桜川駅で6月12日、滋賀県文化財保護課による調査があり、駅舎やホームを「歴史的な価値がある」と評価した。
今後、所有する近江鉄道や、環境整備に取り組む地元住民の意向次第で、国の登録文化財となる可能性も出てきた。



 駅舎は1900(明治33)年10月から利用され、2010年には切符などを取り扱い、駅舎の大部分を占めていた駅務室が無人化、閉鎖された。現在は、一部の待合スペースのみ開放されている。



 この日は近江鉄道の社員が同行し、駅務室を解錠。ほこりや汚れが目立つものの、年季の入った窓口や引き出しは明治期の面影を残しており、黒電話や昭和後期の表彰状、8畳ほどの宿直用の部屋も確認できた。
 滋賀県文化財保護課は、石積みされたホームも含めて「小まめに改修はされているものの、全体として開業当時のまま残されている」と講評。
所有者による文化庁への資料提出や、同庁による現地確認といった登録までの流れを示した上で「所有者の意向や、地元住民の保存、継承の意思表示が必要になる」と今後の課題を挙げた。

 沿線の駅では、彦根市の近江鉄道「鳥居本駅」が登録を受けているが、東近江市内にはない
調査に立ち会った地元民は「ホームの石一つでも昔のまま残っているとは気付かなかった」と驚き、「地域で守っていかないといけない。当時の証言や写真を集めていきたい」と前向きだったという。

<中日新聞より引用>

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近江の地誌「淡海温故録」 光秀の多賀出身説記す

2020-06-13 06:00:00 | 近江の歴史文化・探訪
 近江の地誌「淡海温故録」は江戸時代、木村源四郎によって編纂された近江国の地誌で、貞享年間(1684~1688年)に彦根藩井伊家へ献上されたことが判っている。
 

 全部で11本の写本が知られる中、琵琶湖文化館が所蔵する1本(全8冊)は江戸時代末期ころに書写されたもので、精美な文字で正確に写された善本だ。村別に記述され、由緒ある社寺なども記されるが、主として戦国時代に地域で活躍した武士や土豪のことを詳しく述べているのが最大の特徴といる。

 中でも現在、特に注目を集めているのが犬上郡左目(さめ)(現在の多賀町佐目)の項目である。
ここに美濃国守護の土岐(とき)成頼(しげより)から離反した「明智十左衛門」が逃れ住んだという言い伝えが記されている。十左衛門の孫か曽孫の代に左目で生まれたのが、本能寺の変で知られる明智十兵衛光秀であるというのである。

詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館発行の研究紀要第35号に記載さている。下記のサイトで読むことができる。
http://biwakobunkakan.jp/kiyou_img/35-2_biwakobunkakan_kiyou.pdf

<朝日新聞滋賀等より引用>

「明智光秀、出生地の通説に異論 鍵を握る一族の口伝とは」

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