北近江(滋賀県長浜市と米原市の一部)を支配した猛将、「浅井長政」ら浅井氏3代の居城・小谷城保存に尽くす小谷城址(じょうし)保勝会が今年、創立100周年を迎えた。
城址付近にある「小谷城戦国歴史資料館」(長浜市小谷郡上町)はこれを記念し、企画展「浅井長政と浅井家臣団の戦国時代」を9月9日(月)まで催している。
保勝会は旧湖北町小谷学区全自治会と旧浅井町須賀谷・尊勝寺自治会の各世帯約620戸が会員。小谷城址の史跡指定を旧文部省に申請し、戦前の指定につながった。これまで浅井氏3代の顕彰、城址の清掃奉仕、資料館の指定管理に取り組んできた。
「浅井長政」は織田信長が越前の朝倉氏を攻めた際に信長に反旗を翻し、姉川合戦など3年にわたって戦いを繰り広げた。長政を支えたのは主に土豪。南近江の六角氏や織田軍との戦いなどで活躍した。
今回展示するのは史料約30点と保勝会の活動を伝える資料。
「小谷城絵図」は小谷城の絵図。小谷城は1525年ごろに初代亮政(すけまさ)が築いた。この絵図の左上にある大嶽(おおずく)の曲輪(くるわ)が最初に築かれた。中央の清水谷を挟む左右の山に曲輪があり、戦国屈指の山城として知られる。
「浅井長政書状 垣見助左衛門尉宛」は、長政が坂田郡宮川村(現・長浜市宮司町)を拠点にした土豪の垣見助左衛門尉に姉川合戦の約1カ月後に宛てた。垣見兵庫助の旧領を与えることを伝えていた。1573年に織田軍の小谷城総攻撃が始まる際、垣見助左衛門尉は小谷に籠城(ろうじょう)した家臣の一人だった。
「赤尾清綱書状 中嶋直頼宛」は、浅井氏の家臣だった赤尾清綱が戦略上重要な横山城を守った直頼に宛てた書状。清綱は長政に筆頭家老として仕え、小谷城落城時に長政は赤尾屋敷で自刃したとされる。
「遠藤直経書状 観音寺年行事宛」は、浅井氏の猛将で、後に姉川合戦で討ち死にをとげた遠藤直経が、観音寺から青銅を贈られたことへの礼状だ。
入館料は大人300円、小中学生150円。長浜、米原両市の小中学生は無料。
問い合わせ: 小谷城戦国歴史資料館 長浜市小谷郡上町139 0749-78-2320 https://www.eonet.ne.jp/~odanijou-s/
<記事・写真: 朝日新聞より>
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