・・・って曲がありませんでしたっけ?
大沢誉志幸氏の曲で。
大沢誉志幸氏といえば、
初期のキッカワ(広島弁をこよなく愛する吉川晃司氏・・えらい!)に
楽曲提供なさっているんですけど、
大沢氏とか、NOBODYさんとか、
一連の曲が当時はカッコ良く思えて
しょーがなかったですね。
愛媛を離れるときに残念ながら手放してしまったのですが、
「LA VIE EN ROSE」という
キッカワの初期のアルバムがありましてね、
そのなかの
「NO NO サーキュレーション」という曲が、
ぶちかっこえーんじゃけぇ!!(←なぜにここだけ広島弁?^^;)
いや、今聴いても
たぶん「かっけぇ~~っ」って思ってしまうんだろうと
思うんですよ。
特にアレンジが。
よく出来てるの。
・・・それはさておき(前置きか!)。
木曜の朝に倒れてしまいましてね、
救急搬送されてしまいまして。
結局
木曜はほぼまる一日
休んでしまいました。
その後、
土曜日に、相談かたがた、
主治医である開業医さんを訪ねまして、
「よく考えて
決断してください」と言われました。
====================================
このところ、
ハードな状況が続いていたんですよ。
倒れた日も前夜から働きづめだったんです。
パソコンに向かって
デスクワークやってて、
4時(=午前)ぐらいに突然、
あまりの痛さで
座っていられなくなって、
身体を支えることが出来なくなったの。
とっさに段ボールをフロアに並べて
身体を横にして、
容態が落ち着くのを待ったんです。
早朝まで
なんとか持たせようと思っていた。
持たなかった。
警備員さんにお願いして、
時間外通用口を開けていただくように
連絡を取り、
事務所の施錠をして、
エレベーターで階下までなんとか降りた。
タクシーを呼んで帰るつもりでした。
私の様子をごらんになった警備員さんが
「こんなのがまんすることないよ!救急車呼んであげますから!」って
おっしゃって・・。
私は
「意識があるから、税金で搬送してもらうことはないから、
大丈夫ですから、タクシー使うから、
救急車呼ばないでください・・」って
申し上げたんですけど
(搬送受け入れ先があるのかどうかも不安でしたから・・)、
しかし、
その時点で、身体を起こすことは
もう出来なくなっていた。
まもなく救急隊の方が来られて、
私の症状と持病を訊かれました。
搬送先は2か所に絞られた。
救急隊員さんは、はじめに
某総合病院さんへ連絡をされました。
某総合病院さんはお返事を渋られたようで、
某他院さんへの連絡を救急隊員さんに勧められたようでした。
その他院さんが断ってきたら
ウチへもう一回かけてください、とのことだったようです。
その某他院さんは受け入れ拒否の返事をされたようでした。
最初の某総合病院さんが
結局搬送を受け入れてくださることになり、
そちらへ私は搬送されました。
救急隊員さんには
ほんとうに
もう
申し訳なくて申し訳なくて
しかたなかった。
おそらくノウハウがないに等しい状態なのに
今回搬送受け入れを決断してくださった
某総合病院の内科当直医さんに対しては、
ありがたいと思うしかなかった。
血圧が上108、下48だったので、
水分を点滴されました。
口からは最小サイズのソラナックスを1錠投薬。
「主治医の先生に、
今回みたいな急性の発作が起こったときの対処を
訊いておいてくださいね」
当直医の先生からそう言われました。
私の身体に
時々少し効いてくれていた
唯一の薬
ソラナックス。
緑内障禁忌薬です。
このところ
最大錠数を使い切るペースで
効かなくなってきていて、
次の選択肢が
なくなりつつありました。
以前にも書いたことがあるかと思いますが、
左目の狭隅角眼のため、
緑内障禁忌薬は
使わないでほしい、と
眼科医さんから言い渡されています。
緑内障禁忌の注意書きのない薬は
まったく効かないので、
やむなく
綱渡りで
使っていたのが
ソラナックスでした。
薬の選択肢を広げるために、
眼球の硬直が進行している左目に
メスを入れて、
白内障の手術と同時に、
狭隅角を広げる施術を受ける、という
選択肢を、
先月
かかりつけの眼科医さんから
提示されていました。
ただしそれは、
むずかしい手術だと。
私の右目を手術してくださった
某大手病院が
その難易度のために
断ってきた手術であると。
入院を希望するのであれば、
相談はするが、
入院設備のある病院で
その手術を引き受けてくれるかどうか、
それは正直難しいでしょう、と。
かかりつけ開業医さんが
執刀してくださる場合は、
日帰りになり、
その際、もちろん
術後のケアは自己責任になる。
滅菌処理とか、物にぶつかってはいけない、とか・・・
片目で日常生活をしながらのケアに
自信があるかといえば、
正直こころもとない。
入院させてもらったほうが
はっきり言えば安心する。
いずれにしても
術後1週間は
目を使う生活はできない。
いまの状態では
その間のフォローは
正直むずかしい。
手術そのものをとるのか、
その後のアフターケアまで考えるのか、
よく考えて
自分で決めてください、と
そう言われています。
広島じゃなく、
どこか遠いところを探すことも
考えました
ほんの少しだけ・・・。
でも、
手術をする前のひととおりの検査とか
これまでの履歴とか
手順を踏むことを考えると、
まったく新規で
土地勘のない場所へ頻繁に通って
手術を受けることを
ためらいました。
経済的にも
仕事場への段取りの面でも
正直持たないと思った。
いずれにしても
賭けに等しい。
現状を打開するための方法、
つまり、
もっと強い薬に切り替えるために、
もっとムリのきく身体にするために、
与えられた選択肢は
これしかない。
他方で、
線維筋痛症のお医者さんには(代診の先生でしたが)、
救急搬送の件をお話しして、
容態が急変したときの対処があるのか?と
お尋ねしました。
正直、酷な質問だと分かっていました。
メカニズムも治療法も解明されていない疾病なのですから。
先生は、
「こういう急変が起こらないように
身体に負担をかけない態勢を
配慮してもらうしかないのではないでしょうか。
そのほうが先なのではないでしょうか」
そうおっしゃいました。
前回診察にうかがったとき、
「ここ以外に、
あなたのふだん通っている開業医を、
教えてもらえませんか。
そちらと連携を取りながら、
あなたの治療を進めていきたいんです。
僕がこれからその開業医へ
手紙を書くから」
主治医の先生は親身になってくださって、
そこまで踏み込んでくださいました。
そのとき私は
眼科医の先生のことをお話ししました。
お手紙を
前述した眼科医の先生のところへ
私は持参しておりました。
その眼科医の先生から、
線維筋痛症の先生へ宛てた返信を
私は持参しました。
主治医の先生がいらっしゃらなかったので、
代診の先生が
お手紙を読んでくださいました。
ソラナックスの使用については
責任は持てないということ、
左目の手術は難しい手術であることが
書かれていたそうです。
左目にメスを入れるのかどうかということ、
仕事場とのこと、
よく考えて決断してください、と
言われました。
倒れてしまえば、
自力で病院の通用口から
時間外受付窓口のある場所まで
たどりつくことさえ
むずかしくなる。
タクシーの運転手さんが
肩を貸してくださったことも
一度や二度ではない。
「こういうとき救急車使っていいんです。
甘えちゃっていいんですよ。
がまんしないでください」
運転手さんはそう言ってくださいます。
運転手さんに
御迷惑がかかるんです。
救急車を呼べば、
救急隊員さんや
搬送先として連絡を受けてしまった病院さんに
御迷惑がかかる。
受け入れたくても
受け入れることが出来ない疾病だからです。
私の場合、
急性症状は
突然やってくる。
回避はできないに等しい。
「いては、いけないんだな。」
正直
そう思ってしまうんですよ。
決断しなければならないんですよね。
まちがいのない決断。
生き続けることそのものが、
もはやすでに
賭けでしかなくなった。
例え方が不謹慎なのですが
正直
双六やってるような気分になってきた。
混乱してきた。
寝るか・・Zzz
大沢誉志幸氏の曲で。
大沢誉志幸氏といえば、
初期のキッカワ(広島弁をこよなく愛する吉川晃司氏・・えらい!)に
楽曲提供なさっているんですけど、
大沢氏とか、NOBODYさんとか、
一連の曲が当時はカッコ良く思えて
しょーがなかったですね。
愛媛を離れるときに残念ながら手放してしまったのですが、
「LA VIE EN ROSE」という
キッカワの初期のアルバムがありましてね、
そのなかの
「NO NO サーキュレーション」という曲が、
ぶちかっこえーんじゃけぇ!!(←なぜにここだけ広島弁?^^;)
いや、今聴いても
たぶん「かっけぇ~~っ」って思ってしまうんだろうと
思うんですよ。
特にアレンジが。
よく出来てるの。
・・・それはさておき(前置きか!)。
木曜の朝に倒れてしまいましてね、
救急搬送されてしまいまして。
結局
木曜はほぼまる一日
休んでしまいました。
その後、
土曜日に、相談かたがた、
主治医である開業医さんを訪ねまして、
「よく考えて
決断してください」と言われました。
====================================
このところ、
ハードな状況が続いていたんですよ。
倒れた日も前夜から働きづめだったんです。
パソコンに向かって
デスクワークやってて、
4時(=午前)ぐらいに突然、
あまりの痛さで
座っていられなくなって、
身体を支えることが出来なくなったの。
とっさに段ボールをフロアに並べて
身体を横にして、
容態が落ち着くのを待ったんです。
早朝まで
なんとか持たせようと思っていた。
持たなかった。
警備員さんにお願いして、
時間外通用口を開けていただくように
連絡を取り、
事務所の施錠をして、
エレベーターで階下までなんとか降りた。
タクシーを呼んで帰るつもりでした。
私の様子をごらんになった警備員さんが
「こんなのがまんすることないよ!救急車呼んであげますから!」って
おっしゃって・・。
私は
「意識があるから、税金で搬送してもらうことはないから、
大丈夫ですから、タクシー使うから、
救急車呼ばないでください・・」って
申し上げたんですけど
(搬送受け入れ先があるのかどうかも不安でしたから・・)、
しかし、
その時点で、身体を起こすことは
もう出来なくなっていた。
まもなく救急隊の方が来られて、
私の症状と持病を訊かれました。
搬送先は2か所に絞られた。
救急隊員さんは、はじめに
某総合病院さんへ連絡をされました。
某総合病院さんはお返事を渋られたようで、
某他院さんへの連絡を救急隊員さんに勧められたようでした。
その他院さんが断ってきたら
ウチへもう一回かけてください、とのことだったようです。
その某他院さんは受け入れ拒否の返事をされたようでした。
最初の某総合病院さんが
結局搬送を受け入れてくださることになり、
そちらへ私は搬送されました。
救急隊員さんには
ほんとうに
もう
申し訳なくて申し訳なくて
しかたなかった。
おそらくノウハウがないに等しい状態なのに
今回搬送受け入れを決断してくださった
某総合病院の内科当直医さんに対しては、
ありがたいと思うしかなかった。
血圧が上108、下48だったので、
水分を点滴されました。
口からは最小サイズのソラナックスを1錠投薬。
「主治医の先生に、
今回みたいな急性の発作が起こったときの対処を
訊いておいてくださいね」
当直医の先生からそう言われました。
私の身体に
時々少し効いてくれていた
唯一の薬
ソラナックス。
緑内障禁忌薬です。
このところ
最大錠数を使い切るペースで
効かなくなってきていて、
次の選択肢が
なくなりつつありました。
以前にも書いたことがあるかと思いますが、
左目の狭隅角眼のため、
緑内障禁忌薬は
使わないでほしい、と
眼科医さんから言い渡されています。
緑内障禁忌の注意書きのない薬は
まったく効かないので、
やむなく
綱渡りで
使っていたのが
ソラナックスでした。
薬の選択肢を広げるために、
眼球の硬直が進行している左目に
メスを入れて、
白内障の手術と同時に、
狭隅角を広げる施術を受ける、という
選択肢を、
先月
かかりつけの眼科医さんから
提示されていました。
ただしそれは、
むずかしい手術だと。
私の右目を手術してくださった
某大手病院が
その難易度のために
断ってきた手術であると。
入院を希望するのであれば、
相談はするが、
入院設備のある病院で
その手術を引き受けてくれるかどうか、
それは正直難しいでしょう、と。
かかりつけ開業医さんが
執刀してくださる場合は、
日帰りになり、
その際、もちろん
術後のケアは自己責任になる。
滅菌処理とか、物にぶつかってはいけない、とか・・・
片目で日常生活をしながらのケアに
自信があるかといえば、
正直こころもとない。
入院させてもらったほうが
はっきり言えば安心する。
いずれにしても
術後1週間は
目を使う生活はできない。
いまの状態では
その間のフォローは
正直むずかしい。
手術そのものをとるのか、
その後のアフターケアまで考えるのか、
よく考えて
自分で決めてください、と
そう言われています。
広島じゃなく、
どこか遠いところを探すことも
考えました
ほんの少しだけ・・・。
でも、
手術をする前のひととおりの検査とか
これまでの履歴とか
手順を踏むことを考えると、
まったく新規で
土地勘のない場所へ頻繁に通って
手術を受けることを
ためらいました。
経済的にも
仕事場への段取りの面でも
正直持たないと思った。
いずれにしても
賭けに等しい。
現状を打開するための方法、
つまり、
もっと強い薬に切り替えるために、
もっとムリのきく身体にするために、
与えられた選択肢は
これしかない。
他方で、
線維筋痛症のお医者さんには(代診の先生でしたが)、
救急搬送の件をお話しして、
容態が急変したときの対処があるのか?と
お尋ねしました。
正直、酷な質問だと分かっていました。
メカニズムも治療法も解明されていない疾病なのですから。
先生は、
「こういう急変が起こらないように
身体に負担をかけない態勢を
配慮してもらうしかないのではないでしょうか。
そのほうが先なのではないでしょうか」
そうおっしゃいました。
前回診察にうかがったとき、
「ここ以外に、
あなたのふだん通っている開業医を、
教えてもらえませんか。
そちらと連携を取りながら、
あなたの治療を進めていきたいんです。
僕がこれからその開業医へ
手紙を書くから」
主治医の先生は親身になってくださって、
そこまで踏み込んでくださいました。
そのとき私は
眼科医の先生のことをお話ししました。
お手紙を
前述した眼科医の先生のところへ
私は持参しておりました。
その眼科医の先生から、
線維筋痛症の先生へ宛てた返信を
私は持参しました。
主治医の先生がいらっしゃらなかったので、
代診の先生が
お手紙を読んでくださいました。
ソラナックスの使用については
責任は持てないということ、
左目の手術は難しい手術であることが
書かれていたそうです。
左目にメスを入れるのかどうかということ、
仕事場とのこと、
よく考えて決断してください、と
言われました。
倒れてしまえば、
自力で病院の通用口から
時間外受付窓口のある場所まで
たどりつくことさえ
むずかしくなる。
タクシーの運転手さんが
肩を貸してくださったことも
一度や二度ではない。
「こういうとき救急車使っていいんです。
甘えちゃっていいんですよ。
がまんしないでください」
運転手さんはそう言ってくださいます。
運転手さんに
御迷惑がかかるんです。
救急車を呼べば、
救急隊員さんや
搬送先として連絡を受けてしまった病院さんに
御迷惑がかかる。
受け入れたくても
受け入れることが出来ない疾病だからです。
私の場合、
急性症状は
突然やってくる。
回避はできないに等しい。
「いては、いけないんだな。」
正直
そう思ってしまうんですよ。
決断しなければならないんですよね。
まちがいのない決断。
生き続けることそのものが、
もはやすでに
賭けでしかなくなった。
例え方が不謹慎なのですが
正直
双六やってるような気分になってきた。
混乱してきた。
寝るか・・Zzz