(※Evernoteに書き留めたものを転載しています)
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震災さらには東京電力の計画停電の影響で
交通網混乱のなか、
弟夫妻も関東から
父親の入院先に駆けつけてくれました。
義妹は勤務先が冠水したらしく、
前日までその後始末に借り出されていたと聞きました。
羽田空港に出るまで、平生の何倍も時間をかけて、
動いている路線を幾度も乗り継いでくれたようです。
親族4人が病床の傍らに居ると、
さすがに医療側の作業...というか動線の妨げになってくるので、
看護師さんや介護士さんが来られるたびに、
わたしたちは席をはずしたり場所を移動したりしておりました。
看護師長さんからは
「せめて2人部屋があいていればよかったのですが、
窮屈な思いをさせてすみませんねぇ」と
お詫びの言葉を頂戴しまして、
正直こちら側が申し訳ない思いでした。
父親が口元を緩めながら
ゆっくりモゴモゴ・クシャクシャさせていて、
それがあたかも
何か美味しいものでも食べている夢を
見ているかのように映りました。
母親は
「おとうさん、美味しそうやなぁ。
ステーキでも食べよるが?
(ステーキでも食べているの?)」
父親に何度もそう語りかけました。
アルカイック・スマイルか、
杉兵助さんのクシャっとした微笑のように映っていた表情が
「・・・いや、これは美味しいものを食べている夢でではなくて
異物の不快感を表現できないだけじゃないのかな?」と
なんとなく感づくまでには
少し時間がかかりました。
母親はさっきからの語りかけを繰り返していました。
野菜嫌いで「肉、肉、にく、ニク~!!」だった父親に
(さすがに2度めの脳疾患以降は
比較的野菜も食べるようになったようですが)、
美味しいステーキの食後の満足感を思い起こしてほしい
一縷(いちる)の望みがあったのかもしれません。
ほどなくして父親の表情が苦悶に変わりました。
痰が絡んで苦しいのを訴えているようでした。
平生、ナースコールボタンを押すのでなく、
詰所の様子を覗いて
居合わせた看護師さんに声をかけているようでした。
わたしはナースステーションに急ぎました。
(続く)