一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

1⃣-42.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(4/5)~プラチスラヴァ城 6/23~25

2024-06-20 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 なかなか霧雨が晴れません。日本の梅雨のような日です。スロヴァキアはヨーロッパ北部に位置し、やはりこのような天気があるんだなーと。ドナウ川の近くの丘の上にそびえる「プラチスラヴァ城」に行くことにしました。12世紀頃に建てられたこの城は、いろいろな変遷を経て、1811年に大火災が起き荒廃。復旧されたのは、第2次世界大戦後のことです。周りは公園として整備されています。


 




城の方向間違いなしです。








 城の正面の展望台からみたドナウ川の景観です。

  
パノラマ写真で合成したところ、屋根の部分にムリが
あったようです。不思議!
ここにもなぜ日本の国旗が
掲揚されているか不明。日本と関わるイベントでも?




 中に入ると広場になっています。右は「歴史
博物館」入口ですが、今日は休館日です。



  
貸切バスなどの観光客は、この入口から入ってきます。


下から城のある所までは、階段で上がるか、若干迂回して道路で行くことができます。階段もいろいろな方向から登れるように整備されています。丘の上ですから、風が強く雨避け用!として被っている帽子が飛ばされそうでした。霧雨もやまなく、体が湿っぽくなってきたので帰ることにしました。一番気を使うのは、雨でカメラが濡れてトラブルことがないようにすることです。ホテルは、この城の裏側といった感じで歩いて10分以内の所です。

 ホテルで少し休んでから、再度外出することにしました。外の状況はほとんど変化なく、かえって風が強く寒さを感じます。ムリしないこと!と言い聞かせ、15分ほど近くを歩き返ってきました。

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1⃣-41.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(3/5)~”ミハエル門”へ 6/23~25

2024-06-19 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 旧市内はもともと城壁に囲まれていた、いわゆる”城郭都市”でした。いくつかの門のうち、唯一現在まで残っている門が、「ミハエル門」です。14世紀にゴシック様式で建てられていたもので、16世紀になってから現在見られるようなルネッサンス様式に改装されたということです。バロック式の屋根は、18世紀に付け加えられたものとのことです。トレドのようなどこにどのような城壁があったのかは全く跡形なし!といったところです。




   

 左の塔の下が「ミハエル門」です。

 






 これが「ミハエル門」です。




世界各都市の方向と距離がかかれています。東京まで9142km。

 









 


この地区は旧市街が見れるということで、ツアーの観光客がたくさん集まっていました。やはり、英語、ドイツ語が飛び交っています。日本人とは一人も合いませんでした。同じホテルで朝食が相席だった東洋人!、彼女らはタイワン人でした。

 この日は寒く、霧雨模様なので観光日和ではありません。昨日まで30℃以上の暑さでしたが、今日は電光板が午前10時頃で13℃でした。私の温度計でも確かに14~15℃でした。風もあり、1枚何かを着なければ寒い感じです。寒さ対策は十分なのですが、温度が低い方が食欲もあり、体調もイイ感じです。 

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1⃣-40.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(2/5)~マチ探索 6/23~25

2024-06-18 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  ホテルの近くを歩いてみました。所々に教会あり、近くにはプラチスラヴァ城あり、またトロリーバスが走っていたりで、なかなか風情のある景色がたくさんあります。このマチにも歴史と文化が脈々と流れていることを強く感じました。





プラチスラヴァ城近くにあるホテル界隈です。




プラチスラヴァ城の下に電車用のトンネルがあります。



 
  緑色の塔は「ミハエル門」で、城郭都市の入口の一つだったところです。





 



 
 丘の上の建物が「プラチスラヴァ城」です。



   
陶磁器の店がありましたので、参考のためにー。    


1993年、チェコと連邦制を解消し、ひとつの国家になってあまり経っていません。チェコスロヴァキアになる前、長い間ハンガリーの支配下の一つの都市として発展してきました。1536年、当時のハンガリーが首都ブダペストがオスマントルコに攻め落とされた時、このプラチスラヴァがハンガリーの首都になったということです。陸続きで大平原の続くこの地は、攻めたり攻められたりの攻防がいつもありました。

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1⃣-39.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(1/5)~ブダペスト→プラチスラヴァ移動 6/23~25

2024-06-17 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 スロヴァキアの国土は約5万k㎡(北海道の5分の3)で、人口は544万人ということですから北海道が独立国になっている感じで、国土のほとんどは山岳地帯です。 
 スロヴァキアは、チェコとの連邦を1993年に解消し、一つの主権国家になりましたブブラチスラヴァ市は、ラチスラヴァ県の南西端に位置し、ドナウ川に面した都市です。スロバキアの政治、文化、経済の中心都市であり、中央ヨーロッパ有数の世界都市です。ウィーンに最も近接した首都でもあり、当然両者は古来から密接な関係にあります。
 2008年末の人口は42万8791人で、首都としては中規模な都市です。市の歴史は有史以来、スロバキア人のほかケルト人、ローマ人、アヴァール人、ドイツ人、ハンガリー人、ユダヤ人などのさまざまな民族が関与しました。また、合わせて長い歴史の中で、いろいろな国の首都となった歴史もあります。第2時世界大戦までは、ドイツ語、ハンガリー語も一般的に用いられていました。旧市街を中心にブラチスラヴァ城、スロバキア共和国国民会議、聖マルティン教会、国立ギャラリー、国立自然史博物館などがあります。またドナウ川にかかる新橋は、斜張橋の先駆けの一つで1922年に完成しました。
 このような歴史をもったマチに2泊3日滞在することにしました。



  6/23、昨夜は真夜中から雷雨となり、気温もだいぶ下がり快適な夜でした。 こちらの雨は、夜降っても明け方には上がるので、それに期待してー。起床4:30、家内からモーニングコールです。実は、私の携帯の画面が真っ暗になって作動しなくなったのです。こんな状態でも、家内から実験的に電話してもらったらつながり、話すことができることがわかりました。私の場合、目ざましをかけてその時間に起きようとしたら、必ずその前に起きるという習性があります。それでも、今回は決して遅れてはならないのでモーニングコールを頼んでいたのです。当面困るのはアラーム機能です。あわせて、緊急時の連絡方法です。PCでのメールは少し時差が付きます。半日以上はー。しかし、無料なのがイイ。なるべく自立して旅行を続けることと記念のためにと、ブダペストで目覚まし時計を買いました。


 
 
 古典的な時計ですが、この感じが懐かしく決めました。
 はじめから動いていないのはわかっていましたが、ネジを巻いてたら、ガサッと不気味な音がー。なんと、中を開いてみたらゼンマイが外れてしまっています。残念!ハンガリー製かと聞くと違う、「〇〇製だ」といっていましたが、いまひとつ表示がありません。せっかく買ったので記念に日本に持って帰るか否か迷いながらリックに入れてあります。5:15、チェックアウト。昨日この時間に出発するといってあったこともあり、対応してくれました。
雨は上がり、足取りも軽く5分で最寄りの地下鉄の駅へ。よし、時間は十分あり、イイぞ!
ところが、駅まで行くと3名の係員がいて、今日は日曜日なのでここの地下鉄は動いていないという。どうやって行けばいいかと尋ねると、向かいのバスでーと。8番目の停留所で降りるように。バスが来たのですぐ乗り込みました、しかし、キップの買い方がわかりません。なんと肩身の狭い面持ちでバスに揺られること10分。結局はタダ乗りに。デアークという地下鉄から、バスセンターまでの地下鉄は動いているのです。よく勝手がわかりませんが、事実を素直に認めるしかありません。
 


メトロM3の地下鉄の様子。早朝なので人はあまりいません。
 

 6:30発プラチスラヴァ行きバスは、乗車率80%のお客を載せ、ピッタリに出発しました。プラチスラヴァまで3時間。バスはエアコンが隅々までよくきいていて快適です。道路も高速道路がほとんどで、こんなイイ条件ならバスでの移動もいいと思いました。


 


 


大平原の中を100~120Km/時で走っていきます。
 

 無事ホテルに着き、今日からドルミトリールームです。4ベットに3名が宿泊です。同室の年齢層も配慮しているようです。なかでも、フランス人の私より先輩の一人旅の男性が、英語で親切に話しかけてくれました。実は、息子さんの奥さんが日本人とのこと。旭川の地名は知りませんでしたが、札幌、稚内、函館は息子さんの転勤先だったこともあり、知っていました。今は、シンガポール勤務とのことです。どのような仕事とまでは聞きませんでしたがー。このホテルは、周りの人にお互い少しは気遣いしながら、思ったよりイイ雰囲気です。このホテルは安いのに朝食付、さらにはエアコンも付いているといった今回の旅行の中では、”デラックスホテル!”といったところで、よく寝れました。
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Ⓖ‐52.6月前半の庭の花   2014.6/1~6/15

2024-06-16 09:00:00 | ⒼGardening・庭造り

 カッコウが鳴き、北海道もやっと暖かくなりました。旭川の場合、6/8・土;29.1℃をピークに、今週の最高気温が26.5℃、24.0℃、25.8℃、28.5℃、23.3℃、25.5℃と推移し、6/15・土は真夏日近し!の29.2℃になりました。庭の草花は、6月も半ばになると、色とりどりの華やかなプリムラやサクラソウから、バラやシャクヤクの花が主役に変わってきました。キュウリ、トマト、ナスなどの野菜も少しずつ花が咲く時季を迎えました。





6/15の庭の様子





 ホソバギキョウ



 チョコレートコスモス



キンポウゲ





フェリシア スプリングメルヘン



 バーベナ



 ネモフィラ



 ペチュニア



 セラスチウム



パンジー



 ダイアンサス



 カモミール



 アヤメ





 ミヤコワスレ




 ホタルブクロ



 サルビア・ボルドー



 シモツケ



リシマキア


 チョウジソウ



 フウロソウ



 ナデシコ



 ジャコウソウ



 イワミツバ







 ジキタリス



 フロックス





 アストランティア



バーバスカム


バラの仲間








 ロサ・グラウカ


アンジェラ



 チョウジソウ









 シャクヤク



 ヤマブキショウマ







ムラサキツユクサ



 ラベンダー



 シャクナゲ





 ジャーマンアイリス



 ニーレンベルギア オーガスタ ブルーリング



 サンパラソル



 ラミウム


 


ギレニア



 ニチニチソウ



 デルフィニウム



ハツユキソウ



 メドセージ



  ウツボグサ



 トマト



 キュウリ



 ナス


 

~野 菜~


 トマト



 キュウリ



 ナス


 間もなく1年で一番可照時間の長い6/21=夏至を迎えます。これからの2か月間は、海へ山へと北海道はスッキリ爽やかなイイ季節になります。野外で活動し紫外線を浴びるメリットとしては、ビタミンDを合成し骨を強化する作用や細菌やウイルスを殺菌作用があること。反面、❶紫外線が遺伝子をキズつけたり、❷細胞を修復する機能を抑制すること、いわゆる光老化が指摘されていますので要注意です。何事にも、程ほどに!といったところですね。

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⒫-31.旭川市・北邦野草園へ   

2024-06-15 09:00:00 | ⒫公園/庭園・Farm🌷

5/22、嵐山近くで所用があり、北邦野草園へ立ち寄りました。
シラネアオイが開花!”、との新聞記事に見てー。



 オサラッペ川の周辺もすっかり緑いっぱいにー。 


 エゾノリュウキンカ


 ニリンソウ


 フキノトウ


エゾサンショウウオ 


 トラロープを張って保護しています。


 すでに産卵後でした。


 カンテン質の中にエゾサンショウウオの赤ちゃんがー。



 ネコノメソウ


 



 ザゼンソウはすでに終盤でした。


 


シラネアオイの群生地  




 ちょうどミツバチが花から花へと蜜を集めていました。



 


 


 


 
 お!、カタクリだ!。最後の一輪でした。



 エゾエンゴサクも間もなく終わります。


 


曇天の天気でしたが、時折太陽も顔を出してくれました。目的のシラネアオイの群生地の場所にも行け、たっぷり見ることができました。エゾサンショウウオの親は見れませんでしたが、帰り道カエル1匹に出遭いました。冬眠から目ざめたばかりのカエルは、痩せているイメージでしたが、ふっくらしていました。

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🅿‐115.ゴス大皿の下絵完了!径28cm

2024-06-14 07:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

大皿に、ゴスで描いた下絵ができました。
素地は、信楽上を使い型起こししたもので、素焼き温度は750℃です。



 ゴスのミニ歴史

14世紀(元時代)、中国の「景徳鎮」で青い文様の「染付」の生産が始まりました。
中国では「青花」と呼び、青色顔料(酸化コバルト)のゴスを用いた磁器の製品です。
中国では、15世紀に入ると染付は次第に普及していきました。
16世紀になると磁器の主流となり、ポルトガルやスペイン等がアジアに進出し、
景徳鎮の染付をヨーロッパにまで大量に運び始めました。

日本の戦国時代には、景徳鎮の染付が高級磁器としてたくさん輸入されました。
そうした染付が磁器の主流の時代に、日本初の磁器として佐賀県有田で誕生しました。
これは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、連れられて来られた朝鮮の陶工が
有田で焼成に成功した事が始まりです。

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🅿‐114.ゴス下絵具文様あゆ皿 6点

2024-06-13 07:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

電動タタラ機で作成した6mmの粘土板を、石膏型に張り付け
型起こししたものです。一度素焼きしたものに化粧掛けし、再
度焼成(750℃)したものです。粘土はブレンド土、釉薬は3号透
明釉、焼成は電気窯による酸化焼成(1250℃、19.5時間)です。


 ①ゴス下絵具文様あゆ皿     高1.1、25×10.5


 ②ゴス下絵具文様あゆ皿     高1.1、25×10.5


 ③ゴス下絵具文様あゆ皿     高1.1、25×10.5


 ④ゴス下絵具文様あゆ皿     高1.1、25×10.5


 ⑤ゴス下絵具文様あゆ皿     高1.1、25×10.5


  ⑥ゴス下絵具文様あゆ皿     高1.1、25×10.5 

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🅿‐113.My「ゴスアイヌ文様だ円皿」 10点

2024-06-12 07:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

アイヌ文様をアレンジし、ゴスで絵付けしただ円皿です。
粘土は信楽上粘土、焼成は酸化焼成(1250℃/19.5ℎ)です。
 
① ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8

 
② ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8

 
③ ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8 


④ ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8

 
⑤ ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8


⑥ ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8
 
⑦ ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8 


⑧ ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8

 
⑨ ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8
 


     ⑩ ゴス文様絵付だ円皿       高2.6、21×14.8 

 電気窯のこと~電気窯の利点は、コンピューターによる自動制御のため
温度調整をしなくてもよく、しかも失敗のリスクが非常に少ないことです。
反面、電気代は、灯油窯に比べ焼成代のコストが高いという問題があります。
北海道電力では、「ドリーム8(エイト)」という夜間の時間帯の22時~8時までの
 8時間を、日中より電気料金が1/3になるというシステムをサービスしています。
私の場合は、24時~8時までに設定してもらい、本焼きの場合は20時間ほどか
けていますので日中の高い料金帯にかかってしまいますが、仕方ありません。
 

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🅿‐112.ゴス幾何文水盤 2点

2024-06-11 09:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

 花を生けたり、物を入れたりできる水盤2点です。文様は、今まで花器や食器に使ってきたものです。ゴスで骨描きした後、ダミをし、部分的に色絵具を使用。粘土は白信楽、焼成は酸化焼成(1250℃/19.5時間)です。




 
 




①ゴス幾何文水盤    高5.5、38.5×25.0





 



 
②ゴス幾何文水盤     高5.5、38.5×25.0


このような方形を作るときの注意としては、立ち上がりの部分が中に入り込まないようにします。そのために、粘土で作ったとき、立ち上がりの部分を少し外側にカーブさせておく必要があります。その度合いは辺の長さにも影響します。底も乾燥過程で持ち上がったり歪んだりする こともありますので、重しをのせてゆっくり乾燥させます。 

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