一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓚ‐29.東京・府中市郷土森の博物館(2/2)へ~縄文時代、弥生時代

2023-08-05 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

後期旧石器時代のコーナーの次は、縄文時代、弥生時代ですが、こ
の時代に入ると土器や農機具が使われだすので展示物もグンと多く
なります。とりわけ、土器は陶芸の分野ですので私にとっては関心
事です。特に、低火度で焼かれた壺などの模様であり、素朴で洗練
された造形美です。先人の焼き物に関するノウハウやスキルの高さ
に感銘しました。そして、現在の陶芸の基盤がここから更に発展し
たものと考えると、感慨深いものがあります。          

縄文時代・弥生時代の部



~古墳時代以降~

 


 本博物館見学のきっかけは、後期旧石器時代に関することをnet
で調べていると、府中市で企画展「東京最古の旧石器」が開催さ
れているという。「現生人類の旅路ーアフリカから府中へ」(講
 演)、「東京の旧石器ー3万年前、環境と人々の暮らしー」とか、
シンポジューム;「東京都埋蔵文化財センター調査研究員」など
のキーワードに心が動かされ見学することにしました。

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Ⓚ‐28.東京・府中市郷土の森博物館(1/2)へ~後期旧石器時代  

2023-08-04 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

郷土の森博物館は、14haの広い敷地に、博物館本館、プ
ラネタリウム、復元建築物、公園で構成されています。本
館は中心施設で、府中の歴史・民俗・自然をテーマとした
常設展示は、豊富な実物資料の他、模型や映像を通して、
  府中市の歴史が理解しやすいように工夫されていました。
  

画像 郷土の森博物館
 府中市郷土の森博物館正面玄関



目的は、後期旧石器時代の遺物や館内の掲示物などから、
当時のこの地の暮らしの様子を考えることがテーマです。



~後期旧石器時代~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  今回は、旧石器時代に関する解説文や展示品を
”資料”として写真を多くとりましたが、展示の方法が
 教科書や副読本的で子供たちにも理解できそうです。
 

府中市が位置する武蔵台には、3万5000年前(=旧石
器時代)に私たちの祖先がたどり着き、脈々と現在に至る
まで歴史をつないできたことを再認識させてくれました。
個々にコメントを付けるには力不足であり、大変なので
資料としてここに留めおき、再度見直したいと思います。

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Ⓚ‐27.東京・東大総合博物館へ(2/2)~その他の展示物

2023-07-30 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 展示スペースから見えるラボ


 マンモスの骨格


弥生時代の遺物か


化石の部

 
 タカハシホタテ


 アンモナイト。

  

 
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Ⓚ‐26.東京・東大総合博物館へ(1/2)~「世界最古の石器とハンドアックス~ デザインの始まり」展

2023-07-29 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと
 明治大学博物館で岩宿遺跡を見学した後、文京区本郷にある東大の門!をクグルことにしました。netで考古学関連のことを調べているとき、東大で「世界最古の石器ハンドアックス~ デザインの始まり」展のことを知ったからです。
 東京大学では、エチオピアの地溝帯で175万年前のハンドアックスを発見。それをエチオピア政府から借り、2か月間展示するという。恐竜やアンモナイトの時代よりは古くはありませんが、「万年」という単位、それも175万年前という世界に人間の祖先が存在し、一定の文化を築いていたという。テーマは、「ハンドアックス」=握斧=手斧です。


 


 ハンドアックス




 アシュール型石器の世界最古の例。下の写真は裏側に回って撮りました。






 エチオピアのコンソで発掘。165万年前~125万年前。 上の写真の裏側から




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 上の写真の裏側から






 上の写真の裏側から








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 上の写真の裏側から




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 東大に入って!本物のしかも175万年前のハンドアックスから、今自分が解決すべき課題のヒントになりそうなことはないかの視点で見学しました。まず、展示されたハンドアックスが意外に大きく、実際に日常的に使うにはちょっと手軽でないかなーと思いました。昔の人は大きかったのではーとも考ましたが、それぞれの時代の頭蓋骨のレプリカがありましたが、現代人と比較しても大きく感じませんでした。小さいくらいです。本展示会のための
ボランテアの人たちからもいろいろ話を聞くことができました。しかし、私の課題を解決するヒントは直接ありませんでした。新しい出会いがたくさんあり、何か利口になった気持ちで東大を後にしました。
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Ⓚ-25.企画展「あさひかわの縄文遺跡」(於;旭川市博物館)見学へ

2023-07-22 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 旭川の神居古潭地区から発掘された「あさひかわの縄文遺跡~神居古潭7遺跡の土器」が2023.4.22~5/28市博物館で開催されたので見学してきました。本企画展は、1991年、92年、94年の発掘調査で出土、復元した土器122点と土製品など12点の計134点が展示されているという。発掘された土器の表面の模様の特徴などから札幌や小樽の遺跡も見つかっています。このことにより、同地域との交流があったことが考えられます。




旭川市博物館前の広場



 この遺跡は、約3500年前ごろの縄文遺跡後期に作られたもので、主に土器を捨てる場所として利用されていたものと推測されています。




旭川市内遺跡一覧表


この一覧表は私にとって大変参考になりました。


上川盆地周辺の遺跡分布図
次に、私の関心ある地区を拡大しました。
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 神居古潭地区


 雨紛台地と神楽岡台地


雨紛台地を更に拡大
私が採取場所には🔴などの印はありません。


 春光台地区の台地


 桜岡地区




今回展示されている神居古潭7遺跡の位置


神居古潭のトンネルを過ぎ、芦別市に向かう交差点付近です。
興味ある人は地図を拡大してください。


遺跡分布内の時代別表記がでています。



発掘された遺物



 当時の人たちは、他地域との交流をどのようにしていたのでしょうか。まずその交通手段を考えました。神居古潭と札幌(約120Km)間には、石狩川が流れているので舟を利用したのかも知れません。舟でなかったらジャングルのような道なき道を進んだのかも。どのくらいの日数が?、移動した人数は?、途中の食糧は?。また、当時は物々交換の時代、神居古潭から何を持って行ったのか。結構大きくしかも壊れやすい土器をどうやって運んできたのか。もしかして、札幌方面から交易を目的に神居古潭に来たのかも?ーなどなど想像の翼を広げましたが、いつものことながら今回も堂々巡りでした。  

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Ⓚ‐24.東京・明治大学博物館へ(2/2)~岩宿遺跡から発掘された石器

2023-07-08 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 岩宿遺跡に発掘に携わり、その折発掘された遺物がある中央線代々木駅から歩いて5分の「明治大学博物館」を見学した時の記録です。

 いくら石器をみても、説明を読んでもよくわからないことも多いのですが、私には解決!しなければならないテーマがあります。それは、とりわけ、旧石器時代後期の遺物として展示されている日本各地の遺物の比較検討です。まず、岩宿遺跡で発掘された遺物を見ることにしました。




  

ここまでの写真が岩宿遺跡から出土したものです。以下は、明治大学が発掘した他の遺跡から出土したものです。写真が多量ですが、整理しきれないので展示されていた掲示物とともに載せました。


 

 

 

 

礫石器やハンドアックス、細石器もしっかりみることができました。さて、自分の収集した石器と思われるものは、…ーとの視点で。礫石器は、材質は違っても何か共通点を見出すことができます。さて!?。

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Ⓚ‐23.東京・明治大学博物館へ(1/2)~岩宿遺跡と白滝遺跡の関連はー

2023-07-07 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと
 縄文時代以前を、旧石器時代or先土器時代という呼び方が一般的かもしれません。昔、日本列島には旧石器時代はないとされていましたが、群馬県みどり市岩宿で70年ほど前旧石器時代の遺跡が発掘されてから、日本全国で次々と発見・発掘されました。

 「旧石器時代」という呼称は、”「土器」というこの時代にないものを用いて生活していた時代”としていることに問題があるとの指摘もあります。岩宿博物館(群馬県みどり市)では、土器を持たず、狩猟・採集の生活を営んでいたと考えられる日本最古の時代を、その研究の発端となった岩宿遺跡にちなんで、「岩宿時代」と呼んでいます。
 私の関心事は、 岩宿遺跡から出土した石器を見ることによって、同じく旧石器時代とされる白滝遺跡の対比と私が持っている遺物と比較することです。


 岩宿遺跡発掘の様子 (HPより)

相澤忠洋さん(発掘調査の頃) 1946年9月11日、最初の発掘調査
相沢忠洋(発掘調査の頃) 1949年9月11日、最初の発掘調査
(写真提供:明治大学博物館)
岩宿1石器文化(約3万年前) 岩宿2石器文化(約2万年前)
最初の発掘調査で出土した石器(所蔵:明治大学博物館)
岩宿1石器文化(約3.5万年前) 岩宿2石器文化(約2.5万年前)

岩宿遺跡から出土した物の例ですが、まず、岩宿1の約3.5万年前の場合は石と石をぶつけて石斧やポイントを作った感じで、素朴な作りになっています。そして、近くで発掘された約2.5万年前の石器は材質も黒曜石を使い、矢じりなどもあり手がこんできています。

 写真はあまり鮮明でありませんが、岩宿1石器文化(約3.5万年前)の石器と比べても研磨の仕方や形状は私の採集した石斧と違いがあります。私の石斧の方が、局部研磨ではありますが、時代的に新しいかな?と見えたり、思えたり、反面、大胆な形状からみて古く見えたりします。研磨の技術が新しいとすると、土器は発見されていないが縄文時代か、と考えたりなかなか微妙で悩ましいことです。
 そこで、岩宿で発掘された遺物が発掘に関わった明治大学博物館に展示されているので、上京の折見学することにしました。

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Ⓚ-22.考古学上の大事件~旧石器発掘捏造事件!

2023-07-06 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと
 今から22年前、考古学上の大事件=旧石器発掘捏造事件が発覚しました。考古学にそれほど関心がない人も、記憶されていることと思います。

 日本に人間が住んでいた=住み始めた最初の時代は、これまでの発掘
調査やその後の研究から「旧石器時代後期」が定説とされていました。もし、それ以上の前の時代=旧石器時代中期、前期の遺物や遺跡が発見されたとしたら、それこそ世紀の大発見!になります。


 1970年(昭和45年)代半ばから、次から次へと年代をさかのぼる大発見が続きました。日本に住み着いた人間は、岩宿遺跡の関東ローム層から発見された遺物の年代鑑定から3.5万年前とされていましたが、それがナント!
70万年前!
にまでさかのぼることになったのです。それも、日本には世界の同年代と比較しても類のない文化があったことが発掘により実証されたのです。

ところがー これは捏造だったことがわかったのです。発掘調査に携わっていた考古学研究者が、自ら事前に埋設した石器を自ら掘り出して、発見した!と。彼は、民間研究団体「東北旧石器研究所」の副理事長の職にありました。



 捏造発覚までの約25年間、周囲の研究者が期待するような石器を、期待されるような古い年代の地層=ローム層から次々に掘り出しました。自分の地位や名誉のためにも。そのためグループにとって欠かせない人物として評価され、後に「神の手」(=ゴットハンド)と呼ばれ、周囲から期待されました。



 1970年代半ばから、各地の遺跡で旧石器時代の遺物が続けて発見され、不信に思う人も当然現れ、現場証拠!を写真でーということになりました。
ある筋の情報から、毎日新聞が動き、遂に石器を事前に埋めている姿を 2000年11/5の毎日新聞の朝刊にスクープされ、不正が発覚されました。

 これにより日本の旧石器時代研究に疑義が生じ、中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響がありました。自白から、「発見」された遺物の9割方は、彼自身の手によって表面採集されたり発掘されたもので、例え他の人が発掘したものでも、彼があらかじめ仕込んでおいたものとされています。彼が掘り出して見せたり、埋められていた石器は、自らが事前に別の遺跡の踏査を行って集めた”縄文時代”の石器がほとんどであったとのことです。捏造された「偽遺跡」は、宮城県を中心とし、一部北海道や南関東までにも及びました。 
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Ⓚ‐21.遠軽町・白滝の黒曜石、「国宝」に指定~北海道新聞のNEWSから

2023-07-05 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 遠軽町白滝の黒曜石が「国宝」に指定されたという明るいニュースです。
 白滝遺跡群から出土した後期旧石器時代(約3万年前〜1万5千年前)の黒曜石などの石器類が6/27、正式に国宝に指定されました。旧石器時代の出土品としては全国初で、国宝では最古となります。 道内の国宝指定は、函館市南茅部地区で出土した2007年の「中空土偶」に続き2例目となります。

 国宝の対象は、先端がとがった国内最大級の尖頭状石器(全長約36cm)、「細石刃」と呼ばれる鋭利な石器、製造過程で出る剥片などを組み合わせた「接合資料」の計1965点です。


 旧石器時代の文化財指定に関しては、2000年に起きた「旧石器発掘捏造事件」以降、厳しい目が向けられてきました。事件で疑惑を持たれたのは前期・中期の資料でしたが、旧石器時代全体の資料が対象になりました。このようなことから、後期の白滝遺跡群の出土品は、重要文化財から国宝への格上げまで11年かかったことになりました。



 以前のブログで紹介しましたが、私が知人からもらった黒曜石で作られた石器類は、遠軽町・白滝の赤石山で採取されたものに由来しているのでしょうか。それとも、丸瀬布町や置戸町産のでしょうか。黒曜石の尖頭状石器(ポイント)と矢じりなどを手に取り、用途や加工技術を考えながら、遠い過去の先達の生活に想いめぐらせました。



尖頭状石器(ポイント)と矢じりなど


形・大きさとも、完全形の尖頭状石器
厚0.82cm、3.83×12.35/36.4g。

※ 次回は、旧石器発掘捏造事件について

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Ⓚ-20.遠軽埋蔵文化財センター見学(2/2)~後期旧石器時代の遺物

2023-07-04 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

遠軽町埋蔵文化財センター見学

 現在、遠軽町内で確認されている埋蔵文化財埋蔵地(遺跡が発見されている場所)が217か所あるという。これらの遺跡は、後期旧石器時代(30,000~12,000年前)からアイヌ文化期までの長い期間にわたっています。この地で、黒曜石の露頭があったり、小型剥片石器尖頭状石器細石刃石器などが発掘調査されていましたが、埋蔵文化財包蔵地が飛躍的に増えたのは高規格道路(旭川ー紋別間)の建設がきっかけです。




当センター展示室では、この発掘で出土した遺物を
中心に、わかりやすく工夫し展示しています。
 

 


 黒曜石原産地の特徴の中に、旭川も、「?」ですが記載!





 ナウマンゾウの臼歯


 

 ここ遠軽町白滝は、日本最大級の黒曜石の産地です。その埋蔵量は2億から5億トンといわれ、市街地北側の赤石山を中心に露頭がいくつも広がっています。この黒曜石の産地のふもとの標高300mほどの河岸段丘の上では、約百か所もの旧石器時代の遺跡が発見され、22か所で発掘調査が行われ、700万点の遺物が出土したとのことです。


寄贈されたアンモナイトがありました。



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「白滝遺跡群」見学

 帰路、国指定史跡の「白滝遺跡群」を見ることにしました。

国道沿いの白滝遺跡群№C-011という場所に行きました。そこには、立派な看板があり、ていねいに説明されていました。その場所は、発掘調査後は復元しされるのでブュシュ等が繁茂していました。30,000~15,000年前というずうーッと昔、とてつも長い時間の中、人類が生活していたんだ!と思いを巡らせました。

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