一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓘ‐32.日本兵のシベリア抑留のこと

2024-01-27 09:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 陶芸教室のブレークタイムのこと。通常は、日常的な話題が多いのですが、現在起きているロシアvsウクライナやハマスvsイスラエルの世界で起きている戦争・紛争のこととこれから起きそうな国のことになってしまいました。そして、さらに、第二次世界大戦のことに飛び火!。その中でー



第2次世界大戦後の日本兵・日本人のシベリア抑留地

 K氏曰く、「父は満州に出兵し、終戦後ロシア軍の捕虜となりシベリアで強制労働させられ、なんとか生きて帰ってきた。もし、父が戦争かシベリアで死んでいたら、今の自分はなかった!」と。食料や衣服も十分でなく、真冬は北海道より厳しい寒い地で、それも重労働を強いられた多くの日本兵・日本人がいたこと。それが、敗戦国のドイツ人・イタリア人の捕虜も同等の扱いをされ、そこで多くの尊い命が失われたことは歴史の授業で学んでいました。それが、こんな身近な人の中にも、戦争に翻弄された人生があったことを。



北海道より更に寒の地での抑留生活は、とー


 世界の平和及び安全を維持するための国際機関として第二次世界大戦終結後、国連ができました。しかし、その後世界ではいろいろな紛争や戦争が起きましたが、現実には国連憲章にうたわれている理念が実現されずに今日に至っています。なんとかならないものか⁉と。しかし、今の仕組みではどうにもならないのでしょうね。打算的に考えると、第三次世界大戦後かな!?と。そのとき、人類が生存しているだろうか⁉。

~争いのない世界は、如何に⁉~

 NO WAR!



シベリア抑留のこと ソ連軍に占領された満州、朝鮮半島北部、南樺太などで抑留された日本人は約57万5千人。厳寒環境下で満足な食事も与えられず、苛烈な労働を強要させられ、約5万8千人が死亡。氏名が特定された数は、2019年12月時点で4万1362人。ただし、この死者の多くが初年目の冬に集中しており、2年目からは待遇改善され死亡率は大幅に減少したという。

しかし、現実には~
アメリカの研究者によると、
確認済みの死者は、25万4千人
行方不明・推定死亡者は9万3千
約34万人が死亡したという
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Ⓘ-31.パレスチナ問題をどうみるか!?

2023-12-27 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 2023年10/7、ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃とその後のイスラエルからの反撃により始まった戦いも深刻です。ガザ地区では、イスラエルの空爆や戦車などの重火器による侵攻で毎日多くの死傷者をだし、インフラ・住居が破壊され、多数のパレスチナ人は着の身着のまま難民として避難しています。軍事力のまさるイスラエル軍は、人質救出とハマス撲滅を大義に、ガザ地区に連日攻撃しています。ハマス側も反撃し、熾烈な戦いになっています。


 私たちは、この戦いをどのように見、捉え、
考えたらいいのでしょうか。
解決方法は如何に⁉


  パレスチナ紛争の原因は、4000年or2000年前の歴史にさかのぼるという。とりわけ、世界大戦後、当時の大国の思惑もありイスラエルが現在の地に建国(1948年)されたことが出発点になります。このことにより、今まで住んでいたパレスチナ人が土地を奪われ、イスラエルは自国を死守・拡大させようとしました。当然そこには、あつれき➨争い➨紛争➨戦争が起きましょう。中でも、”中東戦争”として4回の大きな武力闘争を繰り返してきました。


   


 今回のハマスによる大規模なミサイルなどによる奇襲攻撃により、イスラエル側に多くの死傷者を出し、多数の人質が取られました。これは、イスラエルによる占領やガザ地区の封鎖が続いてきたことが、このような悲劇を招いたことも要因でしょう。パレスチナ問題の解決がいかに困難だとしても、解決の方法を見出さなければ、今後も混乱や対立の火種が残り続けます。国際社会は、改めてこの問題解決の方法を模索しなければならないと思います。


 これまでの経緯や戦いを含め、両者にとっては更なる憎しみの連鎖が増幅し、ますます負のスパイラルに入っています。喧嘩でも、紛争・戦争でも、どちらにも言い分があります。話し合いや仲介者、国際機関=国連で何とかならないか⁉、と試みても根本的な問題が解決ができないできました。そして、力=軍事力のあるものが他国=弱者を制するといった構造は、今までの歴史の中でも多々ありました。さて、この解決方法は如何に⁉

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Ⓘ‐30.童謡;「小さな秋 みつけた♪」から考えること

2023-09-16 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 9月に入ると、旭川は初秋の気配をアチコチに感じます。 私も好きな歌ですが、秋をとてもよく表現した一つに「小さい秋 みつけた」があります。この歌は、昭和30年にNHKの特別番組「秋の祭典」のために作られ、その番組限りの曲とのことでした。そのときは、話題にもならず忘れられ時が経ちました。


 


 ところが7年後、あるレコード会社のディレクターがこの曲を偶然発掘しました。そこで、男声コーラスグループ;ボニージャックスが歌い空前の大ヒット!。そして、何とその年のレコード大賞童謡賞を受賞したという。そして、音楽の教科書にも採用され、国民的歌唱曲になりました。


   


 これは、歴史に埋もれていた曲が、大発掘された例です。このようなことは、音楽、芸術、科学をはじめ、人材、建造物などいろんなジャンルでよく聞く話です。その当時・時代には認められなくても、後の時代になって評価されることがー。このことは、夢のもてる話でもありますね。

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Ⓘ‐29.ジャン・ジオノ著;「森に木を植えた男」考(2/2)~学んだこと

2023-08-19 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 森に木を植えた男のような生き方は、古今東西類似した内容があります。
 直近のニュースでは、アフガニスタンで銃弾で倒れた医師;中村哲氏とも重なります。彼は、”病気の背景は干ばつによる水不足”であるとして、時には自ら重機を操り、大地に“命の水”をもたらそうと奔走した人です。
 また、江戸時代、禅海和尚によって掘られた「青の洞門」の話も有名です。和尚は、難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘ろう!と決心し、ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたとのことです。


 これらのことを含め、この物語をどう捉え、学び、自分は何をなすべきか⁉、立ち止まって考えをめぐらせる機会を与えてくれました。

1.信念と無償の行為
 まず、これは将来を見据えいいこと!と、己の信念をもち実践し、失敗を繰り返しながらもやり抜く=克己心を強さを感じました。緑豊かな土地になれば、羊のエサになる牧草もたくさん生えることを期待していたかどうかはわかりませんが、この森に木を植えた男に無償の行為=奉仕の心を強く感じました。自分の生活を振り返え、このような気持ちで取り組んでいることがあるのかだろうか?

2.生きる目標をもつ幸せ
 老人は、妻も子供も病気で亡くし、一人山小屋で羊飼いとして生きる糧を得ています。買い物はどうしているのかな、何日も人と話さない日もあるのだろうと想像します。そのような状況の場合、頭をめぐりよぎるものは何だろうとも。彼は、ドングリを植え緑の森をつくることを生涯のテーマにしたのです。日々の生活の中で、生きる目標をもてたことは幸せなことと思います。私の”生きる目標”は何か!?、とも。

思い出話】昔フランス国内を一人旅したことがありますが、計画の段階でこの「森に木を植える男」の舞台となった地=南フランスのプロバンスの森に行ってみたいもの!と考えたことがあります。しかし、フランスでもどこの国でも森はたくさんあるし、netで調べてもその町がどこにあるのかわかりません。あれこれ調べましたが、ベルゴン村も架空で迷宮入りしました。
 そこで、南フランスのプロバンスの何か所か旅程に組み入れることにしました。その結果、地中海沿岸のアルルアビニョンマルセーユニースに立ち寄り、この物語を回想することにしました。

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Ⓘ‐28.ジャン・ジオノ著;「森に木を植えた男」考(1/2)~ストリー

2023-08-18 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

「森に木を植えた男」 (フランスの作家;ジャン・ジオノ) 

木を植えた男表紙

 

 

 


 

 本の概要は、南フランスの山岳地帯を舞台に、荒れ果てた大地で一人黙々と木を植え続け、緑あふれる森によみがえらせた男を描いたもので、 「」が主人公で回想ーといった形式をとっています。

あらすじ】 1913年、「私」は南フランス・プロバンスの山岳地帯を歩いていた。
 そこは荒れ果て不毛の地となっていて、わずかに暮らす住民たちはすさんだ生活を送っていた。ベルゴン村を過ぎ山へ入った私は、疲労と脱水により遭難しかけるが、初老の羊飼いと出会い救われる。男は村を離れ、この荒涼とした土地で羊を飼いながら独りで暮らしていた。 男の家に泊めてもらうことになった私は、夕食後男がドングリの実を選別するのを見る。そうして、傷んでいないドングリを100個揃えた男は無言で床に入った。

 そのことに興味を抱いた私は、翌朝出発を1日延ばし、男と共に山に出かける。 羊の世話を番犬に託し、持っていた鉄製の杖を使い地面に小さな穴を掘りそこにドングリの実を埋める。 「この土地はあなたのものですか?」と聞いた私に、男は「違う!」と答える。 所有者すら知らない不毛の土地に男は、丁寧に100個のドングリを埋めていくのであった。昼食後、男はまたドングリの選別を始める。しつこく質問する私に男はようやく重い口を開く。ドングリは柏の実で、3年前から埋め始め、既に10万個の実を埋めたこと。そしてそのうち2万個が芽を出したが、自然淘汰でその半分の1万本の木しか育たないであろうことをー。 「妻子を病で失った自分が、この土地でできる仕事はこれだけだ。願わくば この木々が山を埋め尽くすまで生きて、この仕事を続けていきたい」ーと。

 翌年始まった第一次世界大戦で従軍した「私」は生き延び、再び男と会ったのは5年後のことだった。男が植えた木はこの5年で育ち、不毛の大地を替えていた。 私は、「人間は破壊以外の領域でも神と同じく全能なんだ」と実感する。 男の手と心で生まれたこの林のことを、人々は自然林と信じて疑わなかった。 そしてそのおかげで男は邪魔されずに黙々と木を植え続けていたのだった。
 私は1920年以降、毎年男のもとを訪ねた。 その間も男は黙々と木を植え続け、林は森へと成長していくのだった。森が重大な危機にさらされたのは、1939年に始まった第二次世界大戦の時期だ った。木材切り出しのため、1910年代に植えた柏から伐採され始めたのだった。 しかし不便な山奥にあったことが幸いし、採算割れのため伐採計画は中止となる。 男はそんな世界の情勢にかまうことなく、黙々と木を植えていくのであった。 この大戦により私は8年間男を訪ねることがかなわなかった。
  1945年、バスに揺られて目的地に近づいた私は、あまりの変わり様に目を見張る。 かつて荒れ果てていたベルゴン村は、豊かにそして活気づく町へと様変わりしていた。 このマチは、誰もが住みたいとあこがれる土地に変わっていたのだった。 新しく移住した住民を合わせおそらく1万人以上の人たちは、この羊飼いの男= エルゼアール・ブッフェ、たった一人のおかげでその恩恵を受けているのであった。 しかし、それは誰も知る由もなかった。 彼
は、1947年養老院で安らかに息を引き取ったーという。
 

 

自分で決めたことを、失敗しても、くじけず、黙々と同じ作業を繰り返す男の話です。妻子を失った孤独な境遇と男の生きざまが描かれています。その地で男と出会った青年=「私」には、そのことがとても崇高なものに思えました。第一次世界大戦で戦場に出た「私」が、戦後心をいやすために再び訪れたその土地には、カシワの森が育ち始めていました。

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Ⓘ-27.”「少欲知足」の心”を考える

2023-06-11 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 2年前に受け取った年賀状のことです。「賀春」の後に下記の文があり、私自身も多くの示唆や教訓を得ましたので、シェアします。

一昨年 両膝の手術をした後
自分の身体の動きなどに
多々不満を口にする私に 友人が
「手術をしてどんな自分になりたかったか
考えてみてはー」と言われ ハッとしています
新年を機に 「少欲知足」の心を大切に
よりよく生きて行こうと思っています

 この文面を読み、何か心にトンと感じました。現職の時代の先輩女性;Yさんですが、数年前の職場のOB会の折、膝が痛く、歩行もままならなくなってきたので手術を考えているーと。手術については、肯定的なことを言ったこともあり、ずっと気になっていました。

 この「少欲知足」=「欲は少なくして足ることを知る」は、これまでもいろいろ考えていたこともありました。これを機会に、今までのことを省みどのような考え方で生活すべきか、自分なりにまとめておきたいと思いました。

 「少欲知足」の意味は、少しのもの・ことで満足すること。欲張らない。
   少欲~ないもの・持っていないものをたくさん求めないこと。
   知足~持っているもの・与えられたもので満足すること。

 欲しいものを貪るように求めても、また次から次に欲は出てくる。どんどんエスカレートすると、自分が一体何を求めているのかさえ見失ってしまうことも。 大切なことは、足ることを知ること=知足であり、自分自身の心をコントロールすることだと。
 
 痛くて、歩行もままならなくなった手術前は、「少しでも痛みがとれ、杖をついてでも歩けるようになりたい」と、切なる願いをもって手術を決意したはずです。術後1年以上経過したのに、手術のあとが痛かったり、違和感があったり、スムーズに歩けない状態が続いているようです。あの、不安いっぱいで、辛い手術をしたのにこの結果とはー、と。


 


 Yさんが友人に術後のグチをいった後にいわれた言葉から、閃いたもの=悟ったものがあったのが、この「少欲知足でした。例え期待した結果でなくとも、手術前よりこんなことが、あんなこともーと、加算式のものの考え方をすることが大切であることーと。
 そこには、感謝の気持ち謙虚な心が生じます。確かに、術後の苦しみは本人にしかわかりませんが、不平不満を言っても何も解決しません。痛くとも、今まで通りでなくても、「少欲」の心に転換することによって、少しでも心楽しく生きることを教えてくれました。

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Ⓘ‐26.草野心平「カエルのうた」の詩に思う(4/4)~「ごびらっふの独白」

2023-05-04 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 「ごびらっふ」とは、一匹のカエルの名前で、そのカエルとは草野心平という名の日本人の詩人のこと。カエルとしての草野心平が、カエルの言葉でしゃべるといった手法をとった詩です。これもすごい発想であり、内容としても深いものがあり感心させられた詩です。



ごびらっふの独白

るてえる びる もれとりり がいく。
  ぐう であとびん むはありんく るてえる。
  けえる さみんだ げらげれんで。
  くろおむ てやあら ろん るるむ かみ う りりうむ。
  なみかんた りんり。
  なみかんたい りんり もろうふ ける げんけ しらすてえる。
  けるぱ うりりる うりりる びる るてえる。
  きり ろうふ ぷりりん びる けんせりあ。
  じゆろうで いろあ ぼらあむ でる あんぶりりよ。
  ぷう せりを てる。
  りりん てる。
  ぼろびいろ てる。
  ぐう しありる う ぐらびら とれも でる ぐりせりや ろとうる ける   あり たぶりあ。
  ぷう かんせりて る りりかんだ う きんきたんげ。
  ぐうら しありるだ けんた るてえる とれかんだ。
  いい げるせいた。
  でるけ ぷりむ かににん りんり。
  おりぢぐらん う ぐうて たんたけえる。
  びる さりを とうかんてりを。
  いい びりやん げるせえた。
  ばらあら ばらあ。

 日本語訳
幸福といふものはたわいなくっていいものだ。
  おれはいま土のなかの靄(もや)のような幸福に包まれてゐる。
  地上の夏の大歓喜の。
  夜ひる眠らない馬力のはてに暗闇のなかの世界がくる。
  みんな孤独で。
  みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。
  うつらうつらの日をすごすことは幸福である。
  この設計は神に通ずるわれわれの。
  侏羅紀(じゅらき)の先祖がやってくれた。
  考へることをしないこと。
  素直なこと。
  夢をみること。
地上の動物のなかで最も永い歴史をわれわれがもって
ゐるといふことは平凡
ではあるが偉大である。
とおれは思ふ。
悲劇とか痛憤とかそんな道程のことではない。
われわれはただたわいない幸福をこそうれしいとする。
ああ虹が。
おれの孤独に虹がみえる。
おれの単簡な脳の組織は。
言わば即ち天である。
美しい虹だ。
ばらあら ばらあ。
ジュラ紀は、約2億130万年前~約1億4550万年前まで続く地質時代のこと。三畳紀の
次で、白亜紀の1つ前にあたる中生代の中心時代。恐竜やアンモナイトの時代とも。


北方野草園にて

幸福とは何か。この永遠の難題について、蛙=草野心平が夢想する。それは蛙の脳の組織に反射した虹の美しさだと、蛙は思う。私は、この詩中の、「考えることをしないこと」 「素直なこと」 「夢をみること」などのキーワードは、私たち人間のものの見方や考え方、生き方に大きな示唆を与えてくれていると思います。

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Ⓘ‐25.草野心平「カエルのうた」の詩に思う(3/4)~「青イ花」

2023-05-03 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
 草野心平の詩は、死に対して真正面から捉えたものがあります。この「青イ花」は、当時、軍国主義が台頭し、戦争の危機が高まっている時代に作られたもので、大いに考えさせられる詩です。 
            
         青イ花 

           トテモキレイナ花。
           イッパイデス。
           イイニホヒ。イッパイ。
           オモイクラヒ。
           オ母サン。
           ボク。
           カヘリマセン。
           沼ノ水口ノ。
           アスコノオモダカノネモトカラ。
           ボク。トンダラ。
           ヘビノ眼ヒカッタ。
           ボクソレカラ。
           忘レチャッタ。
           オ母サン。
           サヨナラ。    
           大キナ青イ花モエテマス。

蛇に見こまれた蛙

 蛇はカエルの天敵。運悪く、着地した場所に蛇が!。何が何だかわからないうちに、瞬間的に真っ暗な狭い空間に閉じ込められてしまいました。幼いカエルの子は、自分の”死”を理解できませんが、本能的にもうお母さんのもとに帰れないことだけは感じているのです。蛇の腹の中からお母さんカエルに残した最後のメッセージです。   

 幼いカエルの安らかな死の描写です。これも、弱肉強食の自然界に生きる動物の理であり、その現実を真正面から捉えた詩です。とりわけ、カエルの子の立場に立って、今まさに死に直面している自分に置き換えることのできるような
詩でもあります。また、本詩は、子供の立場を表現するために、カタカナ表記や「。」止めになっているところも工夫点といっていいでしょう。

 この詩は、死に対してあからさまにうたっていることに強く心に響きました。特に、最後の「大キナ青イ花モエテマス」は、死と生との対比表現で一番好きな箇所です。「オ母サン。ボク。カエリマセン」も強烈でそれがある時・ある日の自分かも知れません。あるいは子供や孫かもー。


 現在、ロシア軍がウクライナに侵攻し、住民はじめ双方の兵士が尊い命を落としている現実と重なります息子が無事帰還することを願い、祈っていた母親のどれだけの涙が流れたことでしょうか。

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Ⓘ‐24.草野心平「カエルのうた」の詩に思う(2/4)~「秋の夜の会話」

2023-05-02 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 草野心平のカエルの詩は、四季折々の場面をうたっています。その中で、これから長い冬眠にはいる心境を表現した「秋の夜の会話」もお気に入りです。


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■秋の夜の会話 

さむいね。
ああさむいね。 
虫がないてるね。 
ああ虫がないてるね。  
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずゐぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだらうね。  

腹だらうかね。
腹とったら死ぬだらうね。  

死にたかあないね。
さむいね。  

ああ虫がないてるね。


 秋も深まり、夏の間はあんなに食べ物があり、丸々と太っていたのにこの頃はエサがとれなくだんだん痩せてきています。それなのに、あの暗い穴の中で冬眠しなくてはなりません。「さむいね。ああ虫がないてるね」は、その心情をよく表しているなぁと思います。
 この詩は、人生も晩年を迎えた自分にも重なるところあります。冬眠だったら来春目覚めるのですがー。

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Ⓘ-23.草野心平氏「カエルのうた」の詩に思う(1/4)~「春の歌」と「えぼ」

2023-05-01 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

🐸4月に入ると、旭川も水はぬるみ、カエルが冬眠から目覚める時季になります。気の早いカエルは、まだ氷の融け切っていない池の水から顔を出し、鳴きはじめます。水田に水が入る5月半ばになると、カエルの大合唱が聞こえることでしょう。この時季になると、カエルのことを素材にし、その生きざまをうたった詩人・草野心平氏のことを思い出します。


  草野心平氏のカエルの詩は、どこかで目にしたり聴いたことがあるかと思います。まず、小学校の教科書に載っている「春のうた」です。

春のうた

ほっ うれしいな。  
ほっ うれしいな。  
 みずは  つるつる。   
かぜは そよそよ。 
ケルルン クック。   
ああいいにおいだ。 
         ケルルン  クック。        
       ほっ いぬのふぐりがさいている。
         ほっ おおきなくもがうごいてくる。 
              クックック ケルルン クック。   
ケルルン クック。

真っ暗なアナグラから目ざめ、地上に這い出し久しぶりにみる周りの風景に感動している様子を表しています。その喜び、感動を擬人語‣擬態語でうたったものです。特に、カエルの鳴き声がいろいろな言い方で使い分けされています。



え ぼ

いよう ぼくだよ
出てきたよ
えぼがえるだよ ぼくだよ
びっくりしなくてもいいよ
光がこんなに流れたり崩れたりするのは
ぼくがぐるぐる見まはしてゐるせゐではないだろ
やりきれんな まつ青だな 
匂ひがキンキンするな ホッ
雲だな びつくりしなくつてもいいよ 
ぐらぐらしなくつてもいいよ 
ぼくだよ いつものえぼだよ

不特定多数の誰かに話しかけるように書かれています。特に、「光がこんなに流れたり崩れたりするのは」とか、「匂ひがキンキンするなホッ」などはすばらしい表現だと思います。今日は、えぼの1年間の夢いっぱいの再スタート日です。いい出会いがたくさんあり、子孫をいっぱい残せる1年でありますようにーと願います。

 



人間より先に地球に生まれ、人間どころじゃない、他の動物よりはるかにバカで、しかもじっと生きていて、今でも砂漠の中に生き続けている現実。この現実さが僕にとって非常に大きく、それこそ人間自体が生命の歌を歌うよりも、もっと生命的でものすごく生命として写ってくるわけです。普通の動物は利口だから生き延びれるわけだが、バカであるだけにそのカエルの生命力に興味があるー



これは、どんな過酷な自然環境でも”種=命”をつないできたカエルの生命力に感動して、これまで120点余りの詩を書いている草野氏の言葉です。彼の詩の多くは、そんなカエルたちが愛おしく、その生命力のスゴさを表現したものです。また、カエルをよく観察し、創意工夫を凝らしてうたっているなあ、と彼の詩を読むたびいつも感心します。

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