一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓞ-5.愛別町・「粋水館」の茶室&茶庭

2024-01-20 09:00:00 | Ⓞ-茶道の精神と心得え

 数年前の9/9のこと。愛別町・粋人館でのランチ後、オーナーが、「裏に、古い茶室や庭があるので見ていってください」と言われたので、見学させてもらうことにしました。初めて来店したときは、「今、お茶会をしているので、一服飲んでいってください」と誘われましたが、状況判断と時間的な都合で断ったので、裏庭や茶室には行ってませんでした。


👀


粋人館の別棟の母屋があり、その前が広い庭になっています


母屋から見える光景です。奥に建物が見えます 


これは鉄の灯篭です



ナント、茶室があります


細長い茶室は6畳ほど。炉を使う場合は畳を取り替えるのかな?


ここが水屋


その隣に「待合い」もあります。本格的!です


板張りで、簡素な作りで侘びた感じがー


庭から母屋を見たところ


飛び石が苔むして風情があります

 
シュウメイギクがー


明治時代に建てられた茶庭・茶室があることに驚きました。”侘び”の精神が表現された茶室や待合いで、その当時、愛別町で茶道をやっていた人≒教えていた人がいたことを知りました。雪の多いこの地で、茶室や待合いの維持・管理しているオーナーに敬意を払いました。 


【調べたこと】  この建造物は、明治時代に愛別に入植し、雑貨商から身を立てて味噌麹製造業で財をなした上西弥助氏が1922年(Ⅿ36年)に建てたものです。2010年(H22年)、3代目の当主の逝去に伴い、粋人館のオーナーがこの小西邸を譲り受けたということです。 

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Ⓞ-4.利休の切腹の原因はー★

2022-07-28 07:00:00 | Ⓞ-茶道の精神と心得え
 今回は、ズーっと気になっている「利休の切腹の原因」について自分の考えを書いておきたいと思います。朝顔の逸話を想起するたび、今が旬!と咲き誇る朝顔を一輪だけ残し、 全てを切ってしまった利休の行動に何時も不自然さと違和感をもってきました。

 これは、秀吉にだからこのようなことをしたか、と考えてしまいます。逸話は、利休の美意識や発想の転換など、そのすばらしさについて茶を学ぶ人たちに具体例から述べたもので、確かに学ぶ点があります。しかし、この逸話を通して、利休と秀吉の確執が見え隠れします。 


 千利休

 トキは戦国時代。客としてまねいた相手=秀吉は、天下人です。幾万もの首をはね、今一人咲き誇っているのが、秀吉そのものです。秀吉にも、百姓の子から天下人として登りつめ、その百戦錬磨の体験を通しての哲学・人生観をもち、茶に対しても造詣の深い人物です。戦国時代のなかで人の心を様々に読み続けてきた二人にとって、それは一種の心理戦であり、利休はわび茶を求める自分の考えを秀吉に知らしめ、秀吉の華美に走る茶道に警鐘を鳴らすための作為かーとも。 

 利休は、最後には秀吉の勘気を受け、切腹を申し付けられました。その原因は、いろいろ分析され本やドラマでも放映されています。
     ① 利休の後ろ盾である秀長が病死したため
     ② 大徳寺に自分の木造を秀吉が通る上に置いたため
     ③ 天皇陵の石を勝手に持ち出したため
     ④ 秀吉の朝鮮出兵に反対したため
     ⑤ 娘を側室に出すのを拒んだため
     ⑥ 茶道に対する考え方で対立したため
     ⑦ 豊臣政権の政争に巻き込まれたため
     ⑧ 利休の個人資産を秀吉が恐れたため
     ⑨ 
堺の権益を守ろうとしたため

 原因は複雑多岐で、秀吉の「黄金の茶室」で代表される「華美茶」と、
利休の小間の草庵で代表される「侘び茶」とでは、かなりの立場の違いや考え方に違いがあります。究極は、「華美茶」でも「侘び茶」でも、その人の好みですからどちらでもいいのです。絢爛豪華を好んだ秀吉と、禅を基盤にした侘びの利休、これは二人の価値観が違い、相容れないほど互いに異質であったということではないでしょうか。 


 私の利休に関する「古文書」!?

 トキの権力者が、自分と違う「価値観」を持った者を警戒するのは現代でも歴史上でも常のことで、より高い権力を持っている者は、それを排除へと向かいます。トキのトップ二人は譲歩せず、それが互いの反発に及んだことも考えられます。

 利休は、参禅し悟りを開いた聖人のような先入観的評価もあります。また、信長・秀吉時代、茶道の始祖・師としてもてはやされたその時代の大茶人でした。一方、彼は、堺の豪商であり、商売にはたけており、金銭欲・名誉欲もあり、目的達成のために積極的に行動するかなりアクの強い人物と分析されています。このような根本的な考え方の相違と互いに譲れぬ意地の突っ張り合いが秀吉の勘に触れ、切腹を命じられ、それに従ったものと思います。さて、真相は如何に⁉。 

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Ⓞ-3. 利休と一輪の朝顔~どう生けたのか?★

2022-07-27 07:00:00 | Ⓞ-茶道の精神と心得え
 今、我が家の庭には毎朝朝顔の花がたくさん咲いています。
朝顔の花を見ると、時折思いをめぐらすことがあります。
利休の花に関する逸話はたくさんありますが、なかでも有
名なのが、「茶話指月集」に書かれている朝顔の逸話です。


 トキの最高権力者=豊臣秀吉は、利休の屋敷にたくさんの朝顔が咲いていることを家来から耳にし、朝顔の茶の湯を所望したという。

 約束の日の早朝、秀吉一行が利休の屋敷を訪れてみると、ナント、
路地の朝顔は一株残らず引き抜かれて、何もないのです。あっけにとられ、また不信に思いながら茶室に入ると、床の間に朝顔の大輪が生けてあり、秀吉は利休の美学に感嘆したといいます。
 これは、利休の哲学や美意識、茶道の在り方を身をもって訴えている逸話です。客=秀吉が路地に並んだ美しい朝顔を鑑賞し、茶室に入ったとします。床の間に茶花として何の花を持ってくるか、とも利休は考えたと思います。路地にも朝顔、茶花も朝顔…では全く興ざめ!で、絶対避けるべきパターンです。
  
 
 天下人=秀吉は、路地の美しく豪快な朝顔をイメージしてやって
きました。そこには朝顔が全くありません。「これは何事ぞ!」とー。案内され、茶室で床の間を拝見したとき、その謎が一瞬で解けたのです。茶の湯では、客の立場に立った心理的な手法やアイディアが求められます。利休は、美しい朝顔をたくさん見せるのではなく、その中からよりすぐった最高の一輪だけを見せたのです。これが最高のオモテナシの一つと。これは、利休の求める「わび茶」の精神を、茶花で表現したものです。この逸話は、私たちの日常生活において、多くの示唆や教訓を含んでいます。

 さて、私は、利休の一連の行動は、秀吉に対する別な思いが隠されている気もします。もし利休の招いた客が秀吉でなく、知人・友人なら朝顔を刈り取ることはせず、茶花には今が旬の夏の花(何がイイか?)を生けたのではないかと思ったりします。この「朝顔の茶の湯」は、これから展開する利休の切腹!との関連の伏線になるかな?と、ちょっと深ヨミをしています。
 今回は、このことはさておいて、私が思いめぐらすのは、利休はどんな花器に、どのように朝顔を生けたのかということです。

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Ⓞ-2「釣釜」で濃茶一服! ★

2022-07-26 07:00:00 | Ⓞ-茶道の精神と心得え
 茶道では、とりわけ季節感のあるものを意図的に使い分けます。茶室に飾る茶花をはじめ、ときには掛け軸、またお点前に使う諸道具、さらには菓子、懐石などの食材にも気を配ります。それも、「一期一会」の心でもてなす客への配慮が背景にあります。今回は、季節感と「釣釜」について触れたいと思います。

 10月に入ると、どの流派も風炉から炉に移行します。そして、暖かくなってくる5月には、風呂釜にーと。炉から風炉に変わる3~4月頃は、炉にも変化があります。表千家の場合は、3月に透木釜、4月には釣釜を使います。一方、裏千家では3月に釣釜、4月に透木釜と、扱う月は違いますが、これも季節を意識した演出といったところです

             
                             8畳間の茶室。畳の敷き方も茶室用にしています

 釣釜の使う理由:3~4月頃は、炉の場合、真冬と同じ大きな釜(炭も多く入れなくては沸かない)でお湯を沸かすと、茶室はとても暖かくなります。そこで、五徳を外し、小振りの釜(炭も少なくても沸かすことができるー)で湯を沸かすことによるお客への配慮でできた点前と考えられます。また、お釜の揺れる様子に、「春風」や「陽炎」を重ねて風情を楽しむためとも。



     鎖は天井にしっかり固定されています


            畳の寸法は「田舎間=江戸間(五八)」。大きさ:176cm×88cm               

 通例、陶芸教室の休憩は、コーヒーか紅茶を飲むのですが、この日は、体験!ということを含め、抹茶を飲むことしました。今回は、私が濃茶を点てることにー。


    菓子器は、「縁高重」 柿合 七宝透(段付)でー


    茶入れの仕覆(しふく)を解いているところです


    茶筅通しのために、釜から湯を汲み茶碗に入れているところ

私は、透木釜をもっていないので、3~4月は釣釜にしています。若い頃、茶道具を揃えていたとき、この時季に使う釜として、透木釜を買うか釣釜にするか考えました。2つ同時に買うことができれば問題ないのですがー。どちらも1か月位しか使わないとしたら、「まず釣釜だナ」と迷わず買いました。そのうちに、透木釜をとー。しかし、まだ買わず=買えず!?にいます。

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Ⓞ-1.薄茶一服!~「喫茶去」 ★

2022-07-25 07:00:00 | Ⓞ-茶道の精神と心得え
 カテゴリー;「Ⓞ-茶道の精神と心得え」のはじめに私の茶道との出合いは、父の知人(茶道や華道の家元総務の仕事をしていた人)との縁です。弟子入りしたのが学生時代で、内弟子のように通い長い間家元の仕事を手伝いながら続けてきました。この茶道体験は、いい意味で、私のものの見方や考え方に大きな影響を与えてくれました。今は、気まぐれor思い付きでお点前をする程度です。本カテゴリーは、茶道理解・普及!のために少々コウシャクを加えながら話を進めさせてもらいます。

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 陶芸を学ぶため窯元に弟子入りした時の習慣で、My工房でも午後3時からブレークタイムです。いつもは、私も含め交代でコーヒーを淹れて飲んでいるのですが、今回は茶室で薄茶を点て、一服しようと予定していました。教室のメンバーの中に、2人がお茶(表千家と遠州流)をやっています。今日は、遠州流のAさんにお点前してもらうことに。


正月用に飾っておいた「竹台子」(たけだいす)

 竹台子は、真台子から見ると「草」で、皆具(水指、建水、蓋置、柄杓立てが揃いの道具)を使わなくてもOKですし、気軽に多様な使い方ができます。


お点前がはじまり、柄杓を構え釡の蓋を蓋置に置きました

 各流派の点前の違いを調べたことがあります。遠州流に関んする本は、私の本棚に「小堀遠州の茶道」(小堀宗通著)一冊だけで、しかもこれはお点前の本ではありません。当然、三千家の流れをくむ私の点前と対比すると、随所に違いが見られます。まず、外見的な大きな違いは、袱紗(ふくさ)を右に付けることとその向きです。これは、遠州流の茶道は「武士の茶道」で、左に刀をさすからということです。


なつめ、茶杓を拭いた後、茶碗を手前に引き茶筅通しをします

台子の扱いは、どの流派も運び出し・小棚と比べ若干違いがあります。今日は台子を使ったこともありますが、蓋置の置く場所、柄杓の引き方、袱紗さばき、茶筅通しなどに特徴的な所作が見られました。


茶筅の穂先を柔らかく、穂先の点検のための茶筅通し中

千家の茶道は「わび・さび」をより追求していますが、遠州流は、きれいさび」ということで、お点前の中にその一端が感じ取れる場がありました。また、茶花の生け方をはじめ懐石、道具の取り合わせなど流独自の美意識が発揮されていることでしょう。


  間もなく茶筅通しが終わります。茶名は「雲鶴」、詰は「丸久 小山園」。

 いつもの休憩より長くなりましたが、心楽しいひと時となりました。いわゆるイイお点前をするには、まずは稽古です。そして、謙虚にお客のために一生懸命一服のお茶を点てる心入れです。はじめは型から入り、型を定着させ、その型から抜け出したときその人の風格とか個性が表れ、それが生活に生かされるものと思います。


 茶道を体験したは、写真からもAさんのお点前のすばらしさをはかり知ることができると思います。「武士の茶道」ということでもう少し派手な動作があるのかとも思いましたが、違和感なく見せてもらいました。それは、動作が流れるように進み、一つ一つの所作に無駄がないからでしょう。合わせて、構えや一つの動作を終え次の動作に移る瞬間の間(「残心」or「残身」といいます)ができているからだと思いました。 

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