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一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸や生け花を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

⒫‐9.東川町・「七色の噴水」  2022.10.16

2022-11-30 07:00:00 | ⒫‐公園/庭園・Farm🌷

 10/16、カヌーに乗る前「七色の噴水」に立ち寄りました。


 この噴水は、東川町の噴水スポット「大雪旭岳源水」から1Km以上下流の忠別湖に隣接する「フクロウ池」にある高さ14.8mの噴水です。大雪旭岳源水(標高;446.5m)の源泉湧水口からフクロウ池(標高;414.95m)までの高低差を利用し、動力を使うことなく自噴します。
 ちなみに、両地点の高低差は31.55m。その勢いのままにノズル(口径;19mm)から、毎秒17.1mで噴出しているという。














ほとんどイタドリは霜で枯れていましたが、ここは健在でした。



食べれそうなキノコの群落がありました。


スマホで調べましたが、不明!。君主危うきに近寄らず!と。

この噴水に太陽光が当たると虹が現れるため、七色の噴水と。虹は、季節による太陽光の角度や風などの気象条件によって左右されます。タイミングが合わないと虹を見ることができません。何度か来たことがありますが、今回も虹を見ることができませんでした。

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Ⓩ‐5.ホッキョクグマの赤ちゃんは⁉  2022.10.18

2022-11-29 07:00:00 | ⓩ🐧旭山ZOO便り📫

 11/18、三つ子のライオンの赤ちゃんを見た後、5/20に見たホッキョクグマの赤ちゃん(2021.12.12生)がその後どれだけ成長したか見ることにしました。
 ナント、もう、赤ちゃんでなくしっかり子供グマに成長していました。


 「ゆめ」(右)はママより少し小さいぐらいです。








🐻地球温暖化により、ホッキョクグマが大変な状況に遭遇しているようです。ホッキョクグマの獲物はアザラシで、狩りをするのは海に浮かぶ氷の上です。しかし温暖化によって、北極圏の氷が解けだす時期が早まっています。ちなみに、氷の解け始めが1週間早まると、クマの体重が10kgも軽くなるという。現在のペースで温暖化が進むと、ホッキョクグマの生存に適した夏の海氷面積は、21世紀中頃までに急激に消失し減少する可能性があるという。またその頃までには、ホッキョクグマの数は1/3減少する、との予測もあります。

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Ⓩ-4.ライオンんの赤ちゃんたちは、今  2022.11.18

2022-11-28 07:00:00 | ⓩ🐧旭山ZOO便り📫

 旭山動物園では、冬の営業にあわせ、9/12に生まれた三つ子のライオンの赤ちゃんが11/11から一般公開されていました。「早く見に行かなければ大人になっちゃう!」と、11/18・金、天気もいいので見に行きました。 

 
11:37の気温は5.6℃



「もうじゅう館」に直行


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パパライオン"オリト”は大きな岩の上、


ママライオン“イオ”は子供の近くにーと、こんな間合いです。


赤ちゃんライオンは、団子三兄弟!のように固まっていました。



間もなく、ママライオンが赤ちゃんの所に。


赤ちゃんライオンの凛々しい姿。


穏やかな表情のママライオン。



赤ちゃんライオンたちが走り回りはじめました。


 三兄弟はいっもじゃれ合っています。

🦁🦁🦁 岩の上に寝そべっていたパパライオンの尻尾に一頭の
赤ちゃんライオンが一瞬じゃれました。パパライオンがムッ
 クと起き上がり赤ちゃんライオンの方へ近寄ろうとした瞬間、



パパライオンが赤ちゃんたちに近づくのを制されたような一コマ。
   パパライオンは喧嘩するわけでもなく、静かに引き下がりました。
他の動画を見ると、ママライオンの前で、パパライオン
が子供たちと遊んでいる様子がありましたので、さてー❓


 「一緒に遊ぼうと思ったのに―」と、残念そうなパパライオン。
※ 子供の扱いがまずいときがあったのでしょうか?


 パパライオンは、子供たちの遊ぶのを眺めているだけ?


パパライオンはママライオンに見張られている感じです。


のどかなライオン家族の光景です。

       ライオンのパパは子育てするのか?
調べてみると~ネコ科の動物で唯一パパが子育てに大きく関わるのがライオンとのこと。基本的に狩りをするのはメスで、これはメスの方が足が速く、持久力もあるから。そのため、パパは子供と一緒に過ごす時間が長いということもあり、面倒をみたり、いろいろなことを教えるという。子どもをあやしたり、じゃれて一緒に遊んだりするなかで、爪を立てたり牙をむいた子供を叱って加減の仕方を伝え、ライオン同士のコミュニケーションのやり方を教えたり、群れの中の秩序や優位性を伝えることも。もちろん狩りの仕方も教えるとのことです。

赤ちゃんライオンたちは元気いっぱい、健やかに成長していました。赤ちゃんたちは、3頭ともにメスで、それぞれフウ・レイ・イトと名付けられています。

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🅱‐4.ブドウの剪定完了 2022.11.23

2022-11-27 07:00:00 | 🅱🍇葡萄栽培/🍷Wine

 11/20から天気を見計らってブドウの剪定を開始しました。例年でしたら10月中旬のブドウ収穫後すぐやっていました。youtubeのブドウ農家の人の情報では、ブドウが完全に休眠状態の2月がベストとのこと。しかし、旭川の2月は積雪、厳寒の時季ですので選定作業は大変です。そこで、10/23(勤労感謝の日=私の場合;足腰が動き、仕事ができることに感謝しながら労働する日”と)を最終日(天気;快晴、最高気温;6.3℃/最低気温;1.7℃)としました。






剪定前の様子
👇
剪定後はー






剪定し終わった枝は束ねておきます。


剪定の様子~一芽剪定

今年植えたブドウたちはー


少し傾け、雪の下になるようにします。

🍇 私の場合、”一芽剪定”(枝が出ている根元の芽を一つ残し、一つ上の枝節を切る方法)を基本にしています。また、旭川の冬は寒いのでブドウ棚から降ろして雪の下で越冬させてきましたが、ネズミの被害にあってから棚から降ろさないようにしています。枝が枯れこむこともなく、収穫や味も変わらないようなので、まあイイか!と。
 今年植えたシャインマスカットとナイヤガラは、初めての冬なので樹皮が柔らかく寒さでダメージを受ける可能性が考えられる理由で、雪がかぶるようにしました。ネズミに食われる心配もありますが、4本は離れているので大丈夫かと。来年の成長と収穫を期待しながら作業を完了。今年は、大きなブドウ3本伐採したので選定の時間は少なくて済みました。

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Ⓤ-2.ウクライナの人たちに想いを重ねて~”最後の授業”から

2022-11-26 07:00:00 | Ⓤウクライナを考える

 「最後の授業」が教科書から消えたことで学んだことは、一冊の本や映画、またTVや新聞などのマスコミの情報を含め、ある意図をもった”大衆操作”により、うっかりするとものの見方や考え方がある方向へ流されていくことがあるのでないかー、との自己反省の機会となりました。

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 2022.2.24、ロシアによるウクライナ侵攻が開始され9か月が経過しました。日々、爆音と銃声におびえる人たちの悲痛な叫びが伝わってきます。しかし、武力で政治的な統治が成功したとしても人々の心や言語は支配することはできない。

 現在も、多くのインフラや建造物、工場をはじめ各家々が破壊され、マチや村が地図上から消され、避難民の脱出が続いています。そして、これまでにも双方の兵士をはじめウクライナ国民の何千・何万という尊い命が失われています。その一人一人は、過去から現在にわたり、これからもつながっていくはずの家族の命でした。幼い子供をはじめ明日を夢見る若い命も。今まで、平穏無事に暮らしていた人たちの生活が一変した当事者のウクライナの人たちのことを考えると心が痛みます。

 学生時代学んだ漢詩、杜甫の「春望」の「国破れて山河あり 城春にして草木深し・・・」を思い出します。どこの国でも、長い歴史のその時代の節目ごと、なんて人間は愚かなことを繰り返すのだろうと思う。直近の50~100年のスパンにおいても、世界では数多くの戦争・紛争・内戦・侵攻・内乱が起きてきました。その原因として考えられることは、民族や文化の違いによるもの、宗教の名のもとに引き起こされたもの、国境が不明確なために起きたもの、領土を獲得するために引き起こされたもの、思想や主義主張が異なる対立で起きたものなど複雑で多岐にわたります。

 このたびの侵攻は、再び起こってはならない・起こってほしくないと願っていたことがまた起きてしまいました。私たちは、今ウクライナで起きていることについて、TV、新聞、Net、YouTubeなどから多くの情報を得ています。軍事力の強い国が劣っている国を力で押さえつけることは許しがたい暴挙、人の命を奪い人権を踏みにじむ残忍で非人道的な行為、無差別な徹底した建造物の破壊などと。

 争いごとの場合、自分はどちら側にいて、どんな情報を得るか・得ないかによって実態把握や心のもち方・考え方が変わります。今回、情報戦において、「プロパガンダ」という言葉がキーワードになり、何度も繰り返されてきました。夫々の国では、トキの為政者がある意図をもって、国民をある特定のものの見方や考え方、主義や思想に誘導していくための宣伝活動を試みます。国をまとめ、国のあるべき姿を国民に知らせ、その機運を高めていく手法は悪いことではありません。しかし、反対勢力を排除し、情報を統制し、自国の正当性や優位性(不利なことは報道させないなど)を政府指定のマスコミを通して報道させることは民主主義に反します。このことは、日本でも過去の戦争においてあったことです。


 一方、私たちに届く情報は、いわゆる西側=ウクライナ側に立った内容が圧倒的に多い現実があります。何が真実で正義なのか!を見極めるのは立場によって難しいことです。私も大いにこれらの動向に関心をもち、TVや新聞をはじめYouTubeを視聴し、多くの識者やYouTuberの戦況報告・分析や捉え方・考え方などから多くの情報を得ながら学んできました。さらには、我が身=我が国・日本に置き換えて考えるきっかけにもなりました。

 このロシアによる侵攻が一日も早く終結し、
平和な日がくることを強く願っています。

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過日(7/4)、ウクライナのゼレンスキー大統領が東洋大学で行った
  オンライン講義の中で語ったことばは、印象的で心に響きました。
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私たちは武器を置くことができない
なぜなら
置いてしまったら私たちは消えてしまうからだ
国家として 国民として
ヒトとして 消えてしまう

ロシアは戦争の道を選択した
ウクライナは 平和の道で戦っている
ロシアは私たちを殲滅させるために戦っている
私たちは生き残るために戦っている

 戦争反対!と唱え、国同士の争いごとを回避しようと努力しても、他国から一方的に侵略されたり、攻撃されたらどう対処すべきでしょうか。ましてや、妻や夫、子供・孫が戦火で死に、家が破壊され、あの平和だった生活が一瞬で吹き飛んだとしたら、そして自国が他国に占領されそうになったらーと。

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Ⓘ-7.短編小説”最後の授業”から(3/3)~教科書から消えたわけはー

2022-11-25 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
 アルザス地方の学校では、「フランス語」を日常的に話したり書いている国語!としてでなく、外国語(日本では、英語を学ぶようにー)のヒトコマとして教えられていたという現実があったのです。このことがわかると、この本の評価は、かなり変わったものになります。


 旧市街は、大きな中洲なような場所に位置しています。


 マチの真ん中でカヤックカヌーができるとはー。

 アメル先生は、アルザス語を母語とするアルザス人に対し、フランス語を「自分たちの言葉」=「国語」として押しつける立場にあったのです。歴史的なことや地域の実態を知らずにこの作品を読むと、アルザス地方に住むフランス人に、外国語であるドイツ語を話すドイツの占領軍に押しつけられるかのように読み取ることになります。 


 このようなドイツ風の建物がたくさんあります。

 すなわち、この作品は、アルザスをドイツにとられたフランス側の政治的な意味の込められたフィクションということになります。作品は作品としての価値を認めたとしても、事実や実態に反する内容では、やはり批判の対象になります。調べてみると、言語学者の田中克彦氏や蓮實重彦氏の著書に「国語イデオロギーによって言語的多様性を否定する側面を持つ政治的作品である」と。これらの指摘や批判に国や出版社が応え、この教材を採用しなくなったのでないかと思います。


 この建物は典型的なドイツでよくみられる光景です。

 先生は、「フランス語は世界で一番美しく、一番明晰な言葉です。そしてある民族が奴隸となっても、その自国の言語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」ーとの一節から考えてーこの本の見方としては、たとえドイツに土地を占領されても”言語”さえ 守れば自分たちの”アイデンティティ”を失うことはないという。ま、「自国の言語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなもは、ある程度解釈することできますが、チョッと大げさな文言かな!?、と思いながらも、この作品は、国語愛の感情を引き出すために学校教育で利用された役割は大きかったものと思います。また母国語を奪われそうになる人々の悲しみと、それを失われまいとする姿、自分たちの言語への愛着を描き出しているといった評価もできます。過去の歴史の中には、このような苦渋の体験をした民族・国がたくさんあったことですがー。


 赤色砂岩の「ノートルダム大聖堂」;尖塔の高さは142m。


ノートルダム大聖堂内の天文時計~からくり人形付きです。

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Ⓖ-27.スイレンの植え替え➨越冬

2022-11-20 07:00:00 | Ⓖ-Myガーデニング🌼

 今年咲いたスイレンは2株で13コ開花したことになります。10/10、容器を引き上げてみるとドブ臭い匂いがするので、新しい土に交換し、肥料をやってから越冬させることにしました。


水槽から引き揚げたところ。

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数日後


新しい葉と根がでています。


粒状のこんな肥料をやりました。

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きれいに洗った水槽に戻しました。(photo;1週間後)

昨年は20コほど花が咲いたのですが、今年少なかった理由があります。8月、就学前の子供が、水槽の中にいるメダカをすくうことに興じて網を何度も入れたため、葉がボロボロになってしまいました。少なくとも根元から3つ花芽が出ていたのですが、それまで開花せず秋には朽ちてしまいました。スイレンは案外デリケートな植物であることがわかりました。さて、来年はー。

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Ⓘ-6.短編小説”最後の授業”から(2/3)~アルザス及びロレーヌの歴史と現状

2022-11-19 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 この物語は、主人公の少年フランツやフランス語教師アメル先生の母国=フランスに対する愛国心や悲哀、多民族に征服される怒りや苦しみ、悲壮感などが伝わり、ある面では反戦!のよい教材となりましょう。そう、ある時点まで私もそう信じていました。


 ストラスブール(アルザス)のマチなみ。

 この「最後の授業」が教科書から消えた理由を考えていくには、アルザス地方の歴史や現状を知る必要があります。私は、数年前フランスを周遊する機会があり、「最後の授業」の記憶からアルザス地方はぜひ訪ねたい!とコルマールストラスブールを旅程に入れた経緯もあります。その折、フランスとドイツとの歴史的な関わりを一読しましたが、下記は、正確性を期すため、ウキぺディアなどの資料をもとに調べたものです。

以下長文になりますので、歴史嫌いな人⁉は、にスキップして下さい 

【1】普仏戦争までの歴史  フランスとドイツの国境地域に位置するアルザスやロレーヌには、古くからケルト人が住んでいました。ローマ帝国に支配された後は、歴史の中で幾度となく領土侵略が繰り返されたことにより、ゲルマン系のアルマン人フランク人が相次いで侵入してきました。それにより北部ではドイツ語のフランク方言が、南部ではスイス・ドイツ語に近いアレマン語が長らくこの土地で話されるようになったようです。

当時この地は、元来神聖ローマ帝国に属していたものの、ローマ帝国に対して野心を抱くフランスの侵略の標的となっていた時代です。

ドイツ帝国の位置
神聖ローマ帝国の領土の変遷

 1736年、神聖ローマ帝国は、アルザスとロレーヌをフランスに割譲することで、フランスからの干渉を食い止めることにしました。フランスに編入されたアルザスとロレーヌは、公用語としてフランス語が用いられたため、アルザス地方の言葉は、フランス語の語彙が入った「アルザス語」として形成されていったということです。

【2】普仏戦争でフランスが敗れると 1871年に起きた普仏戦争でフランスが敗れると、ベルフォールを除いたアルザスとロレーヌの東半分がプロイセンに割譲されました。  必然的に、フランス国内では、反ドイツ感情が湧き起こります。そしてこの頃、毎週月曜日にパリで「月曜物語」という新聞連載が始まり、この中にアルフォンス・ドーデの「最後の授業」が連載されたのでなど。

【3】ドイツ帝国統治下 当時の住民の大多数はドイツ系のアルザス人だったため、フランス語にそれほどなじみがありませんでした。ドイツ統一後もアルザス人は必ずしもドイツから完全な”ドイツ人”とは見なされていなく、安全保障上の問題からこの地が必要だったこともあり、後には自治憲法の制定を認めるなど、比較的穏やかな同化政策を取っていたようです。しかし、”ツアーベルン事件”(1913年、ツアーベルンに駐屯していたプロイセン軍将校の侮蔑的発言をきっかけに生じた軍と住民の衝突事件)の発生後は、中央政府及び軍との関係が悪化し、自治憲法も停止されました。       

【4】戦間期と第二次世界大戦
 第一次世界大戦でドイツが敗北した後の1918年11月8日、同地域はアルザス=ロレーヌ共和国として独立しました。アメリカのウイルソン大統領はこれを承認しようとしましたが、フランスは拒絶し11月19日フランス軍に占領され、この地域は再びフランス領となりました。第二次世界大戦時、ドイツのフランス侵攻により同地方は再びドイツ領になりました。

【5】第二次大戦後のフランス化政策 第二次世界大戦後、この地区には再びフランス化政策が敷かれました。しかし、テロや独立運動が発生するなどフランス政府に対する反発が強く、間もなく政府も方針を転換して、1999年から、初等教育からフランス語でなくドイツ語・アルザス語の教育が認められたということです。


 クレベール広場では、只今イベント開催中です。

昔、世界史の中のヨーロッパ史を学んだことが少しよみがえってきたかと思います。このアルザス、ロレーヌは、陸続きであるという地政学的条件もあり、民族の大移動をはじめ夫々の国の思惑で領地の奪い合いを繰り返した破壊と殺戮!の苦難の歴史があったことがわかります。

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Ⓘ-5.短編小説”最後の授業”から(1/3)~あらすじ

2022-11-18 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
最後の授業 

 未読の人もいると思いますので、以下あらすじです。 この「最後の授業」は1871年にフランスで世に出たもので、今から約150年前の昔のことです。

 ある日、ドイツとの国境の町・フランス領アルザス地方に住む学校嫌いなフランツ少年は、その日も村の小さな学校に行くのですが遅刻しました。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていましたが、意外なことに、先生は怒らず穏やかに着席を促しました。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっています。教室の皆に向かい先生は話しはじめます。

  「私がここで、フランス語の授業をするのはこれが最後です。プロイセンとの戦争でフランスが負けたため、アルザスはドイツ=プロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが私のフランス語の最後の授業です」と。これを聞いたフランツ少年は、激しい衝撃を受け、今日はいっそ学校をさぼろうかと考えていた自分を深く恥じます。


 このようなドイツ風の建物がたくさんあります。

 先生は、「フランス語は世界で一番美しく、一番明晰なことばです。そしてある民族が奴隸となっても、その自国の言語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」、と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾けます。やがて、終業を告げる教会の鐘の音が鳴りはじめました。それを聞いた先生は蒼白になり、そのうち悲しみで言葉が途絶え、黒板にフランス語でフランス万歳!と書いて、最後の授業!を終えます。

教科書の出番 1927年(S.2)に教科書に採用され、戦後の一時期は教科書から消えました。それが、1952年(S.27)に再登場しましたが、1985年(S.60)からは教科書に採用されなくなりました。私のテーマは、
   なぜ、教科書から消えてしまったのでしょうか?

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🅿-32.下絵具幾何文の陶板 (2/2) 3点

2022-11-17 07:00:00 | 🅿My陶芸作品&手法

 前回と同じデザインをもとに、丘陵のイメージを下絵具で描いてみました。周囲のランダムなデザインと森や山の幾何学文様に違和感を感じますが、下絵具がきれいに発色したので、明るい感じになりました。


 ①幾何文陶板「大雪山の原生林」   厚0.6、27.5×19.5


 ②幾何文陶板「大雪山の原生林」     厚0.6、26.5×18.8


 ③幾何文陶板「大雪山の原生林」   厚0.6、26.5×18.8

骨描きは、鉄絵を使っていますが、作品によって濃淡が表れています。鉄絵は、濃く塗ると濃い黒色に発色しますが、薄いと茶色ぽくなります。濃い色にするには、はじめから鉄絵の濃度を濃くして塗ればイイのですが、描くとき筆運びがスムースにいかないことがあるので工夫を要します。特に、③の骨描きは全体的に薄くムラが目立ちます。黒色を際立たせるには、下絵具を塗った後、仕上げにもう一度骨描きします。

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