個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

存分に達成感を味わってくれ!

2018-11-17 10:45:30 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

今月の11日と12日に、高卒認定試験がありました。この試験に合格することで、高校卒業と同等の資格を手に入れることができる制度です。なんらかの理由で高校に進学できなかった子や、中退した子らが、大学や専門学校に進学するためにの唯一の方法がこの高卒認定試験に合格することなのです。

試験は年に2回あり、8または9教科に合格する必要があります。はっきりいって、センター試験などと比べると難易度は低く、実際に私がこれまで教えてきた生徒の中でも3カ月ほどの勉強で全教科合格する子もいました。

ただそのように短期間で合格するのは、非常に学力が高かったり、中学校3年間の勉強がある程度理解できている場合であって、そうでない子にとっては決して低いハードルではありません。なんらかの理由で、小学校・中学校の勉強が十分に理解できていない子では独学で合格するのはかなり困難でしょう。

私の生徒でも今年の認定試験を受験した子がいました。彼は中学生の途中で不登校になり、高校には進学していません。彼は不登校になってからは外出もせず、ずっと家にいたそうです。そして学年でいうと、高校1年生の春になったときに「勉強したい」ということを両親に伝えました。ご両親はいろいろ探されたようですが、私の塾にたどり着いてくれました。

ご両親と初めてお話させていただいたときに、彼は勉強をしたいという気持ちは湧いてきているけれども、家から出ることは難しい。だから塾には来ることができないので、家に来てほしいというお話をされました。そこから私は午前中に、彼の自宅に通い、家庭教師をするようになりました。

私も彼も、初めのうちはお互いが緊張し、ただ勉強だけ教えて帰るという日が続きました。勉強といっても、当時彼には具体的な目標はありませんでしたし、ただ中学校の勉強をとりあえずはやっておきたい、そんな感じでした。1ヵ月ほど経過したとき、私は勉強の前に、自分がこれまでどんな人生を歩んできたのか、失敗したことや成功したこと、ひきこもっていたことなど全部彼に話してみました。すると彼は突然ゲラゲラ笑いだしたのです。その日を境に、彼との距離感はグッと縮まり、ときどき冗談を言い合えるほどになりました。そんな中である日、彼が「高卒認定試験を受験したい」と言ったのです。

もともと能力は高く、十分合格できる力はありましたが、まずはあせらずに中学校の復習をきちんとして、それから認定試験対策をするという道を選びました。「認定試験合格」という具体的な目標ができてからは、彼の勉強に対する意欲も高まり、順調に課題をクリアしていきました。そして合格できる可能性がかなり高い状態まで彼は頑張り、1回目の認定試験を受けました。試験は2日間あるのですが、彼は2日目の試験会場に行くことができなかったのです。

中学校の途中から不登校になり、そのときから外出をしていませんでした。長い間家から出ていなかった彼にとっては、大勢の人が集まる試験会場に行くだけでも大変だったでしょうし、ましてやその中で試験を受けたとなると、その疲れは私たちの想像をはるかに超えるものだったでしょう。

1日目に受験した科目は見事に合格しましたが、2日目は受験していませんので、残り4教科が残りました。認定試験は年に2回、8月と11月にあり、その残った4教科を11月に受験する方向で勉強していたのですが、8月で大勢の人の中で受験したストレスや疲れがトラウマのようになり11月の受験はできませんでした。

そしてまた次の8月に向けての勉強を開始しました。ただ勉強と言っても、残っているのは社会と理科の暗記科目だけですので、私が彼の家に行くときには認定試験の勉強ではなく、数学や英語など、認定試験後に、たとえば大学受験などで必要になる勉強をし、認定試験の勉強は彼は1人でしていました(私が社会や生物を教えることができないのもありましたが)。そして今年の8月、3度目の認定試験の日がやってきました。万全の態勢で臨んだはずでしたが、結果はまた受験会場に行くことができませんでした。

次の日、彼と話をしたのですが、一番悔しいのは彼なんです。一番自分自身に腹が立っているんです。「どうして自分は試験会場に行けないのか!」そんな彼の気持ちが痛いほどわかりました。「俺は何をやっているんだろう。のんびりと大学に向けた勉強だけを教えている場合じゃないだろう。もっと彼が外に出やすくなり、試験会場に行けるようにすることこそが俺の役目なんじゃないか!」私も猛省しました。

それから特別なことをしたわけではありませんが、彼との勉強ではできるだけリラックスしてもらえるよう、そしてまたこれまでよりも、たくさんのいろいろな話をしました。11月の試験が近づいても、彼の表情は暗くならず明るいままでしたので「今回はいけそうだ」と確信はありましたが、試験当日、「ちゃんと試験に行ってきたよ」と連絡をもらえたときは心から嬉しかったです。

そして2人で自己採点をした結果、十分すぎるほどの得点をとっていました。これはすごいことなんです。私はほとんど何も教えていなくて、彼が1人で頑張った結果です。家から出ることができず、何度も試験会場に行くこともできず、将来も不安でいっぱいの中で、彼は今自分ができること、しなければいけないと思ったことを全力で頑張り、そして合格を勝ち取ったのです!まだ正式な合格発表はまだですが、嬉しくてたまりません。

彼は今後、どういう進路を選ぶかはわかりません。大学受験をするかもしれないし、しないかもしれない。それは彼自身の意志でゆっくり決めればいいんです。ただ彼がこの数年間、いろんな苦しく厳しい状況の中で頑張ってきた時間、そしてこの高卒認定試験の全教科の合格、これはきっと彼の人生において大きな財産となるはずです!

君の表情、そして口から出る言葉、それがすべてを物語っているよ。君は決して無駄な時間なんて過ごしていないんだ。何度も何度も自分を見つめなおし、自分の将来を考え、不安や絶望と毎日戦ってきたんだ!そんな君は、もう以前の君ではなく、しっかりと前を向いているよ。だからもう大丈夫。あと少しだけ勇気を持って1歩踏み出そう。

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どれほど頑張っているか、見えにくいところを評価できるのが教育関係者です

2018-11-13 10:35:57 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

気がつけばもう11月の中旬。今年もあと約2ヵ月ですね。受験も近づき、受験生は緊張感が高まりながらも気合がいっそう入ってきました。年末には冬期講習、そして有馬記念(笑)と大勝負が続きます。

受験生もこの時期になると、ずいぶんと成績が上がる子も現れます。勉強量が一気に増えるため、これまで眠っていた能力が開花するのです。そういう瞬間を一緒に迎えることができるのはとても嬉しいことです。

ですが勉強というのは不公平なもんで、頑張ってるのですが本人の期待通りに成績が伸びない子もいます。勉強の方法を見直したり、勉強時間を増やしたりしても、それほど効果はありません。いや、実は伸びているのですが、周りの伸びの割合が大きく、相対的に学力が下がっているように感じてしまうのです。それでも頑張っていることは紛れもない事実ですし、順位や偏差値が下がっていたとしても自身の学力は上がっているのです。どこの高校に合格するのかという結果で評価するのも大切ですが、高校受験が人生のゴールではないのですから、どれだけ一生懸命頑張ったのか、それを評価してあげられるのは親であり学校の先生であり、塾の講師なんです。わかりやすいところを評価するのはだれにだってできます。見えにくいところを評価してあげることで、子どもの自己肯定感を高め、より前向きな気持ちになるのです。それこそが本来、大人がするべき仕事だと思っています。

そして、もっと見えにくい場所にいるのが不登校の子どもです。学校に行っていないだけで「サボっている」「甘えている」という冷たい世間の視線があります。教育関係者までそういう目で彼らを見てしまったら、だれがこの子たちを支えてあげることができるのでしょうか。

たとえば不登校の中学生がいたとします。所属する中学校には行けないし、簡単に転校もできない。自由に公立中学校を選ぶ制度なんてまだありません。でも、「高校からは学校に通いたい」そんな決意を持って頑張っている子もたくさんいます。不登校を経験していない人にはわからないでしょうが(私も不登校経験はないので実際にはわかりませんが)、想像はできるはずです。

1年以上学校に行くことができていない子が、学年の途中で、たとえば2学期からでも教室に入ることがどれほど苦しいことかを!同級生のいろんな視線があるでしょうし、何か言ってくる子もいるかもしれません。それぞれがグループをつくり、コミュニティができ上っている中で、1人でその教室に入るなんて私だったらできません。教室に入るとき、そのドアの前で、どれほど勇気を振り絞っているか、もっと考えてあげましょうよ。

「週に1回しか来てないから評価しようがない」いやいや、週に1回来てるだけで十分じゃないですか。

「午前中で帰るから評価しようがない」何を言ってるんですか。昼休みを1人で過ごすことの辛さを考えたことがありますか?

「このままでは高校に入学しても続かないかもしれない」きっとそういう思いで、必死で歯を食いしばって、週に1回でも頑張って学校に行き、別室ではなく教室に入っているんです。その勇気と頑張りをもっと応援してあげましょうよ。彼らが、少しでも学校に来やすくなれるように工夫してあげましょうよ。

受験のために、民間の模擬テストを受けている子もたくさんいるでしょう。そこで知り合いに会わないか、ビクビクしている子もいるはずです。「だれかに会ったらどうしよう」そんな不安定な精神状態の中で模試を受けているんです。なぜそんな思いまでして受けるのかと言えば、学校でテストを受けられないからです。別室の授業は無理でも、せめてテストぐらいは部屋を用意してあげて、他の生徒と会わないでいいように、少し時間をずらしたり、それくらいはしてあげることはできないのでしょうか。

どれほど不安な気持ちを抱えながら頑張っているのか、それを理解してあげるのが教育関係者です。たくさん生徒がいて、1人にかまっていられない、よくわかります。ですからそんなにずっと、かまってやらなくてもいいんです。他の生徒も、もちろん大事ですから。ただ、ほんの少し彼らの気持ちを想像してあげたり、彼らの未来を応援してあげようという気持ちがあるのなら、冷たい態度や言葉は出てこないはずです。

君たちの未来はとてつもなく明るく、これから無限の可能性があるんだ。それを伝えることこそが教育であり、教育者としての基本精神だと私は思います。


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公立高校の入試制度も見直すべきでは

2018-10-15 10:04:35 | 不登校
おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

他の地域でも同じかもしれませんが、大阪の高校受験は私立高校と公立高校のどちらかを選んで受験します。入試の時期は私立が2月上旬で、公立が3月上旬となっています。受験の仕方は、私立一本にしぼって受験する専願と、私立と公立の両方を受験する併願と2通りあります。私立専願のメリットは、多くの私立高校では専願の方が併願の受験生よりも合格基準点が低いため合格しやすくなります。

受験生は行きたい学校が私立なら専願で、公立なら私立をすべり止めにして、併願で受験するというどちらかを選びます。

私立か公立かを選ぶときに、重要なポイントの1つとして、その受験制度の違いがあります。公立高校では、中学校での内申点と本番の入試の得点の合計で合格が決まるのに対して、私立ではほとんどの学校で内申点は関係なく、本番の入試の得点のみで合否が決まります。ですので、定期テストの点数はよかったけれど、副教科の実技が苦手だったり、提出物を忘れていたりして内申点が5教科の学力と比べて低くなってしまった子は、公立受験では苦戦してしまいますので、私立専願にすることはよくあります。内申点は3年生の2学期の終わりには、だいたいわかりますので、それまで公立志望だったのに、あまりの内申点の低さで私立専願に切り替えた生徒も何人もいました。

副教科の実技が苦手なために高い内申点がもらえなくて偏差値の高い公立高校に受験できなくなる今の制度には疑問がありますが、それについては以前に書きましたので今日は別の問題点にふれます。

公立高校という選択肢がなく、私立専願の道しか選べない子がいるんです。それは不登校の子です。不登校の生徒は、出席していませんし課題も出していません。そして定期テストも受けていません。ですから自動的に成績をつけることができず、内申点が必要な公立高校に合格することはほぼ絶望になります。不登校の子でも、保健室登校をしたり、テストだけは受けに行ったりしている子もいてまして、そういった子は多少の内申点をもらえますが、十分な内申点かと言えばそうではなく、学力に見合った内申点をもらえる可能性は低いです。ですので、この子たちは「頑張って高校から学校に行くんだ!」と決意しても、最初から公立高校を省いて私立高校の中から受験校を探さなければなりません。

「出席もしてないし、テストもちゃんと受けていないねんから、内申点が低いのは当たり前や。ちゃんと頑張って学校に行って、提出物も出している子と差をつけなければ真面目にやってる子がかわいそうや」
すごくよくわかります。私も真面目に頑張っている子が評価される学校でなければならないと思っています。

ですが、学校が原因で不登校になった子もいます。たとえば、同級生による「いじめ」であったり、教師による暴言など。そんな子が同じ学校に行けると思われますか?

行けるはずありません。「いじめた」側の生徒や教師は何のペナルティーもないのに、被害を受けた生徒は内申点ももらえず、公立高校への道が断たれてしますのです。なんなんだ?この制度は?

「いじめ」が原因でなくても、学校に行けない理由はたくさんあります。他人からすると些細などうでもないような理由かもしれませんが、本んからしたら大きな大きな、抱えきれないほどの問題なんです。だれだって、学校に行かないといけないと思っています。でも行けないんですよ。それほどの大きなものを抱えているんです。そんな彼らが「高校からは頑張って学校にも行きたい」と決意しても公立高校には行けないのです。

もっというなら、例えば中高一貫校の中学生が、そのまま高校に上がらず、別の高校に受験したとします。ですが、内申点のつけ方は公立と私立とでは異なります。かなり有利な点数をつけてもらえることもありますし、その逆もあります。しかも、内申点に大きな影響を与えるチャレンジテストを私立中学の子は受けていません。公立の子はチャレンジテストで内申点が大きく左右されるにもかかわらずです。この時点で平等な受験ではないんですよね。

普段の頑張りを評価してあげる内申点というものの存在はあっていいと思います。特に小学生や中学生の間はテストの点数以外のところで評価することは大切です。ですが、あまりにも受験の合否に関わるウェイトが大きすぎて、一度レールから落ちた子はもとに戻れないようになっています。それでますますやる気も失ってしまう子どもがどれだけ多いか!

まだ10代半ばの子どもなんです。やり直すチャンスなんていくらでもあげましょうよ。何か大きな罪を犯したわけでもないんですよ。ただ学校に行かないという選択をしただけなんです。一番傷ついているのは本人です。そんな子どもが、もう一度学校に行こうと頑張っているんですから、それを応援してあげるのが優しい社会なのではないでしょうか?

少子化にもかかわらず、不登校の子どもの数は減少傾向にありません。それどころが増えています。小学校からの英語教育や大学受験の新テスト導入もけっこうですが、もっと根本的な部分の見直しを早急にしないとなにもかもが無意味に崩壊してしまいます。日本の教育の在り方を今こそみんなで考えていかなければならないのではないでしょうか。

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「1度逃げるとこれからも逃げ続ける人生になるぞ」 「へえー そうなんだー」

2018-07-17 10:33:32 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私は大学卒業して塾の仕事とはまったく関係のないところに就職しました。特にしたい仕事ではなかったですが、ここしか選択肢がなかったのでとりあえず行ってみることにしました。それが初日からあまりの居心地の悪さに耐え切れず、わずか2週間で退職願を提出しました。そのとき言われたのが「松下、もう一度考え直してみないか。今はしんどいかもしれんけど、そのうちきっと慣れてくるはずや。それにこんな形で辞めてしまうと、またお前は逃げてしまうぞ!そうならないためにも、もう一度頑張ってみないか?」

「あれっ?この言葉、聞いたの初めてじゃないぞ。いつかも同じようなこと言われたな」

そうそう、中学2年生のときでした。卓球部に入っていた私は3年生が引退し、キャプテンという大役を任され張り切っていました。ですが2年生の終わりごろになると、そろそろ本格的に受験勉強をしたいと思い、私のような不器用なタイプは勉強とクラブの両立はできないだろうという判断で顧問の先生に退部させてくださいとお願いしに行きました。そのときに先生は「松下、お前は確かに勉強はそこそこできるし、受験勉強したい気持ちもわからんではない。でもお前が抜けたら卓球部はどうなるんや?キャプテンのお前が抜けて残った部員はどうなるんや?そんなこと考えたことがあるか? それに受験勉強のためにクラブを辞めるなんて、そんな形で逃げていたら、この先また同じように逃げてしまうぞ!」

うーん。この先生の予言は当たっていたんですね。実は私は高校では柔道部に入っていましたが、高校2年生の冬に退部しているんです。そして前述したように、仕事も一瞬で辞めてしまっています。もっと言えば、大学時代にたくさんのアルバイトをしましたが、どれも長続きしませんでした。1日で辞めたバイトもありました。中2のときに卓球部を辞めたから、私は逃げ癖がついてしまったのでしょうか?

「そんなわけあるかーい!」

そもそもスポーツ推薦で進学を狙っているならともかく、私にとって部活はあくまでもサブです。特に中学校ではクラブに入らないといけない雰囲気があったので、まあとりあえずやっとこかという軽い気持ちで入ったにすぎません。

クラブを辞めてからの私は、友達からの遊びも断り、学校の休み時間でも勉強するようになり、そのおかげで成績は伸び、無事に第一志望校に合格することができました。受験勉強は逃げずに最後までやり遂げたんです。クラブを最後までやりとげた同級生の誰よりも一生懸命勉強したという自信がありました。

私がしたことは、「逃げる」ことではなく「選ぶ」ことだったのです。自分にとって大事なものは何か、自分がしたいことは何か、自分にとって居心地のいい場所はどこか、それらを考えて私はクラブを辞め、勉強に集中すると決めたのです。

それを「逃げる」と言われれば、今なら「はあ? へえー、そうなんだー(棒)」と聞き流すことができますが、まだ純粋だった頃の(笑)当時の私はやはり傷つきました。

と、こんな話を以前不登校の生徒としたことがありました。すると「僕も僕も。同じこと言われたで」「えっそうなん?どんなんやった?」「もう学校に行けなくなってたんで、もうこの学校には戻らないですって言ったら『今逃げたら、君はこの先ずっと逃げることになるよ!違う学校に行ってもまた逃げるし、高校や大学に進学してもまた逃げる!だから今逃げずに学校に帰ってくることが大切なんだ!』って言われてん」

そうなんです。特にこういうのは教師がよくいう台詞です。おそらく正論でしょう。そして自分自身がそうやって生きてきてそれが正しいと思っているからこそ生徒に伝えているんでしょう。でもね、そんな強い人間ばかりじゃないんです。そんなに器用な人間ばかりじゃないんですよ。

学校を辞めるリスク、仕事を辞めるリスク、それは本人が一番よくわかっています。それでもその場所から離れたいと思って辞める選択をしているのですから、それを「逃げる」というネガティブな一言で片づけてしまってよいのでしょうか。

大きなリスクを覚悟してでも、自分が本当に輝ける場所、本当に居心地のいい場所それを求めて離れるんです。その選択は私は素晴らしいと思います。ですので私はそんな決断をする子どもたちを心から応援しています。

生徒たちに「逃げる」と言っている教育関係者の方々、生徒がなぜそこから離れようとしているか考えたことはありますか? その原因が自分たちにあるという可能性を考えたことはありますか? 生徒の将来を真剣に考えたことがありますか?

一緒に見つけていくという姿勢が現在の教育関係者に最も欠けているのではないでしょうか。

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私の心の支えとなった言葉

2018-06-15 10:40:33 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

もう20年ほど前になるでしょうか。私はある詩と出会いました。原文は英語ですので、少しニュアンスは異なるかもしれませんが書きますね。

「選ばれざる道」
黄色い森の中で道が二つに分かれていた。残念だが両方の道を進むわけにはいかなかった。一人で旅をする私は、そこに長いことたたずみ、一方の道の先を見透かそうとした。その先は折れ、草むらの中に消えている。

それから、もう一方の道を歩み始めた。一見同じようだがこちらの方が良さそうだ。なぜならこちらは草が生い茂っていて、誰かが通るのを待っていたから。本当は二つとも同じようなものだったけれど。

あの朝、二つの道は同じように見えた。枯葉の上には足跡一つ見えなかった。あっちの道はまたの機会にしよう。でも、道が先へ先へとつながることを知る私は、再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた。

いま溜息とともにこれを伝えよう。ずっとずっと昔、森の中で道が二つに分かれていた。そして私は……私は人があまり通っていない道を選んだ。そのためにどんなに大きな違いができたことか
                                   byロバート・フロスト

この詩は、ロビン・ウィリアムズ主演の「いまを生きる」という映画の中でも出てきます。私の好きな映画の1つです。

いろいろな解釈のしかたがあるでしょうが、当時の私にはとても衝撃的な言葉でした。今もこの詩に力をもらっているように感じます。

大学卒業後にひきこもっていた私は就職戦線からも完全に離脱し、社会からどんどんと離れた場所で生きるようになっていました。「あのとき仕事を辞めていなかったら」「大学受験でこの大学を選んでいなかったら」「勉強じゃなく、もっとスポーツや音楽などいろんなことをしていたら」そんなネガティブな気持ちでいっぱいでした。

まわりの友人がみんな働き出して、社会人として頑張っているのに、どうして自分は。でも、そんなときにこの詩に出会いました。大学卒業して就職できたのに、2週間で辞めて「ひきこもり」という選択をしたのは私自身です。他のだれかに命令されたわけでもなく、社会でもなく、もちろん家族でもなく、私自身が選択した道なんです。でもこの道は、決して大多数が通っている道ではありません。これからどうなるのか想像もできないし、不安でいっぱいでした。

そんなときに、この詩が教えてくれたのは、おそらく私はそれまでにも数えきれないほど多くの選択をしてここにたどり着き、何か意味があってここに導かれたはずなんだということです。

「ひきこもり」という足跡が見えないような道を今こうして私自身が歩いていることにもきっと意味があり、何か大きなものを得ることができるはずだ、そんな気持ちになってきました。そして私は「ひきこもり」をやめ、学習塾を立ち上げようと決意したのです。

社会経験もなく、資金もない私にそんなことできるはずがない。それに自営業なんて不安定なんだから、贅沢言わずに探したらどこか就職先もあるだろうから、絶対そっちの方がいいよ、と忠告してくれた人もたくさんいました。ですが私にはそっちの道よりも、学習塾を経営するという道の方がとても魅力的に見え、とても楽しいように思えましたので、迷わず立ち上げの準備をしました。

こうして始めた学習塾の経営が、もう約20年続いています。今振り返って見ると、とても長い道のりで、ひきこもり時代に立っていた場所はもう完全に見えなくなっています。あのとき別の道を選んでいたら?などと考えることはまったくありません。私が選んだこの道は私にとっては最高の道だと自信を持って言えます。

不登校の子どもたちも「学校には行かない」というあまり人が通っていない道を選択しています。でもきっとその選択には意味があるし、その選択をした人間しか得ることのできないものがたくさんあるはずです。引き返すことなんてしなくていいんだ!今歩いているその暗くて細い道は決して行き止まりなんかじゃない!いつかもっと歩きやすくてワクワクするような道につながっているんだ。そしてそこから歩いてきた道を振り返ったとき、きっと「なかなか険しい道だったけれども、だからこそ楽しかったな。これからは自信を持って自分の道を選んでいけるわ」と思えるはずです。

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