個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

おしい!方向性は間違っていないはず

2018-05-11 09:39:13 | 教室から
おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日ある小学校で授業参観がありました。5年生の算数で立体の体積の分野でしたが、内容はなかなか斬新でした。生徒たちには、「直方体の体積=たて×横×高さ」で求めることができますよという説明はしているようでしたが、まだ応用問題などはしていない状態でした。そこで先生が出した問題は、「1辺が9㎝の立方体から一部を切り取ったら下の図のようになった。この立体の体積を求めなさい」というものでした。

うーん、なかなか難しいですね。いろんな体積を求めてきた小学生や、中学生なら簡単に解法を見つけることができるかもしれませんが、体積の求め方を習ったばかりの子どもたちでは、ほぼ不可能でしょう。参観に来られていた保護者の方もポカーンとしていたようです。結局その授業が終わるまで、先生は答えを教えず、ただひたすら子どもたちに考えさせました。保護者の方も答えを聞けなかったので、なんだかモヤモヤしたそうです。

ちなみにこの問題の考え方は、いろんな解き方がありますが、おそらく子どもたちに伝わりやすいのは、切り取る前の立方体を下の図のように完成させます。


そして、この立方体を、下から3㎝のところで2つにわけます(赤い線です)。①の直方体はたて・横が9㎝、高さが3㎝です。残りの上にある直方体はたて・横が9㎝、高さが6㎝の直方体です。それをちょうど半分にしたのが、切り取られた②の立体部分です。ですから、切り取られた②の部分の体積は9×9×6÷2=243㎤となります。これをもともとの立方体の体積から引けばいいので、729-243=486㎤となります。

ここまで読んでくださって、みなさんいかがですか? 私の説明の仕方が悪いという点を差し引いても、伝わりにくくないですか?これを体積の求め方を習ったばかりの子どもたちに授業でわからせようというのは、あまりにも無茶なように思います。

案の定、この授業を受けた子どもは、「何やってるか全然わからんかった。答えも教えてくれへんし、意味わからん」と怒っていました。

私もこの話を聞いたとき「ああ、また余計なことをしてはるなー。自己満足の授業で子どものことなんて考えてないわ」と思いましたが、「うん?ちょっと待てよ。これはいい傾向なのではないか」と考えが変わりました。

作業のような勉強、同じような計算問題を解き続けたり、ただ黒板の文字をノートに写すだけだったり、こんな勉強をやめましょうよと私はいつも言っていましたよね。この授業をした先生は「授業はこうあるべき」という時代遅れの考え方を捨て、新しいことにチャレンジしたのだと思います。それも授業参観でそういう授業をしたのですから、かなり勇気が必要だったのではないでしょうか。「どうして、あんなわけのわからない授業をするんですか?」という批判もあるでしょうから。

ただ、そのやり方にはまだまだ改善の余地があります。作業ではなく、子どもたちに「考える力」「想像する力」を身につけてもらいたいという意図の授業だと思うのですが、このような空間図形を扱うなら、せめて紙などを用意して子どもたちに立体を作らすべきでした。上の私の書いた図でもわかるように、空間図形というのはなかなか想像しにくいですし、平面で解説をしてもピンとこない子どもはたくさんいます。実際に立体をつくることで、格段に空間図形の理解が深まります。また、パソコンなどを利用して、映像で見せてあげるのもいいでしょう。「なるほど!ここが切断されていて、ここをくっつけると、もとの立方体になるねんな!」というのが、ダイレクトにわかります。

「考える力」を養うような授業でも、ただ考えさすだけでは意味がありません。いろんな考え方を示して、子どもたちに「ホンマや!こういう考え方もあるねんな。面白いな!」と思わせなければなりませんので、題材を他の物にした方がやりやすいかもしれませんね。

何か新しいことを始めるときには、すぐにうまくはいきません。ですが、やり始めないと何も変わりませんし、1歩も進めません。何度も何度も修正しながら、よりよいものを作っていけばいいんです。そういう意味では、より多くの小学校の授業で、これまでずっと「正しい」とされてきたものを疑い、時代に合った、そして本当に必要な力を子どもたちがつけれるような、そんな授業が増えていくといいですね。どんどんチャレンジしてください!


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悲劇の主人公どころか、こんなにも恵まれた環境だったんだ

2018-05-08 10:36:22 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

塾を始めて、たくさんの子どもたちと話をするようになり、私が子どもたちに伝えることも多いでしょうが、逆に子どもたちの話の中から、私が様々なことに気づいたり、反省することがあったりと、私自身が勉強になることも決して少なくありません。

たとえば、お正月明けの授業のときには、お年玉の話をしてくる子どももたくさんいます。今はあげる側ですので、お正月は怖いですが(笑)、確かに子どもの頃はお年玉がめちゃ楽しみでしたね。

私が驚いたのは、ほとんどの生徒は、お年玉をご両親や、おじいちゃん・おばあちゃん、そして親戚の方からだけもらってるということでした。というのも、私の場合は、祖父と祖母から毎年頂き、父と母からもほんのわずかですがもらっていました(お札でもらった記憶がありません。硬貨だったような気が…(笑)でもありがとうね、感謝してるよ)。しかし、親戚が関西にいなかったこともあり、親戚からお年玉を頂いたことはほとんどありませんでした。それでも、私たち兄弟に十分なお年玉があったのは、近所のおばさんたちがくれたからなんです。ですから、私はお年玉というのは、親族だけではなく、近所の人たち同士でやり取りするものだと思っていましたが、それは少数派だと知ったとき、衝撃とともに、深い感謝の気持ちがわいてきました。

私の実家は堺市の古い町でして、今でもご近所さん同士が仲良く、朝や夕方にはおばさんたちが集まって、ワイワイお話しています。私はもう46歳になるのですが、そのおばさんたちは今でも私のことを「えーちゃん」と呼んでかわいがってくれてます(笑)(名前が英治ですので)。

その中でも特に松下家によくしてくれる方がいました。私の母よりも15歳ほど上の方で、母もその方のことを「ねえちゃん」と呼んで、とても慕っていました。先ほど書いたように私たち3兄弟にお年玉を毎年くれるだけでなく、小学校から大学までずっと、入学祝い・卒業祝い、そして就職祝い、すべてしてくれました(就職なんて、私の場合は2週間で辞めてしまってるんで、おばちゃんになんて報告しようか、悩んだものです)。

私たち兄弟が大人になってからも、それぞれの結婚や出産のお祝い、そしてその子どもの誕生日までいつも祝ってくれました。兄はもうオーストラリアに移住してまして、日本を離れて15年以上となりますが、それでも兄の子どもの誕生日は忘れず、わざわざオーストラリアに誕生日プレゼントを渡してくれていたのです。

また、私がひきこもりだったときも、おばちゃんはすっごく心配してくれたり、私の母は少し世間知らずのところがあるのですが、その母の相談にもいつも優しく乗ってくれたり、いろいろアドバイスをしてくれたり、私にとっては、祖母がもう一人いてくれているような感覚でした。

そのおばちゃんが、つい先日亡くなりました。お通夜、お葬式とちらもおばちゃんにお別れの言葉を伝えに行きましたが、ただただ感謝しかなく「ありがとう」以外の言葉が出てきませんでした。まだまだ恩返しできていなかったし、まだまだ「ありがとう」を伝えたかったし、小さい頃からのおばちゃんの優しさを思い出して、涙が止まりませんでした。

決して豊かな家庭で育ったわけではなく、大学卒業後には3年間のひきこもりも経験しました。「どうして俺がこんな目にあわないといかないんや!他の家に生まれとったらよかったのに!」と自分の境遇を恨んだこともありました。世の中で自分が一番不幸な人間かもしれないと悲劇の主人公になっていた時期もありました。

ですが、それが大きな間違いであったことがよくわかるようになりました。たとえ家庭が貧しかったのは本当だったとしても、それでも私たち3兄弟にそんな思いをさせないように必死で働いてくれた両親、塾や予備校、そして大学まで進学させてくれたこと、ひきこもりになっても、何も私を責めなかった優しい両親、家族でもないただの近所の子どもなのに、ここまで、ここまでかわいがってくれたおばちゃん、こんなにもたくさんの優しくてあったかい人たちに囲まれて私は育ってきたんです。どれほど恵まれた環境で育てられてきたか。

子どものときというのは、視野も狭く、自分が恵まれていることに気づかず、不満ばかり言ったり、その不満を家族にぶつけたりします。ですが、きっとそれが間違いだったことに気づき、感謝する日がやってくるばずです。どうかそれまで、あたたかく見守っていてあげてください。

おばちゃん、本当に今までありがとう。おばちゃんのおかげで、今の俺があるんだよ。いつか胸を張って「俺はこんなにも立派になりました」とおばちゃんに報告できるように一生懸命頑張るからね。
そして、俺がおばちゃんに出会えて本当に幸せだったと心から思えるのと同じように、1人でも多くの子どもたちに俺と出会えてよかったと思ってもらえるように頑張るからね。

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もうちょっと力を入れてくれてもいいんじゃないですか?

2018-05-03 10:25:07 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

ゴールデンウィークも始まり外は賑やかですね。私も金土日と3日間休みをいただきましたが、究極のインドア派ですので、特にどこへも行かず、家の中でアルコールをとりながら、ゆっくり映画でも観ようと思っています。ゴールデンウィークといえば、この時期に高卒認定試験の出願が始まります。高卒認定試験というのは以前の大検で、なんらかの理由で高校に進学できなかった人や中退した人たちが、大学や専門学校に進学するために、高校卒業と同等の資格を得るための試験なのです。この高卒認定試験があるから、たとえば高校を中退したからといって、それで終わりではなく、もう一度やり直すことができるのです。そういう意味では絶対になくしてはいけない制度の1つです。

私の塾でもこれまで何人か高卒認定試験を受験した生徒がいましたし、今年も受験予定の生徒がいます。この子たちにとっては、一度は諦めていた大学進学、いや、人生そのものを前向きに見つめなおすことができるきっかけになったり、希望の光が見えてきたりで、本当にありがたい制度なんです。まだ10代の子どもなんです。いくらでもチャンスをあげましょうよ。しかも罪を犯したわけでもなく、ただ学校に行けなくなっただけなんですから。そういう子どもたちを見捨てるような国には未来なんてありません。

「だから日本には高卒認定試験という制度があるんだから、それで十分だ」という人もいるでしょうが、決してそうとは言い切れません。というのも高卒認定試験の制度を管理しているのは文部科学省です。その文部科学省にこの高卒認定試験をよりよいものにしようという姿勢が見えないのです。たとえば、今現在文部科学省のHPには昨年度実施された試験の過去問が載っていません。今年度の出願が始まっているにもかかわらず、まだなのです。文科省に電話をしてそれについて質問したところ、「いろいろと立て込んでいて忙しいんです。もう少しお待ちください」との返事がありました。「マジか!」怒りを通り越してあきれてしまいました。昨年度の問題をホームページに載せることなんて全教科おこなったとしても、1時間もあれば十分できるはずです。それを「忙しいからできない」と言い放つことができるのは、まさに「心が亡い」からです。

高卒認定試験を受験する人の多くは学校に行けてないんです。塾や予備校に行くことができない人もたくさんいます。本屋に行っても、高卒認定試験用の問題集なんてほとんどありません。ネットなどで調べて購入しても、そのテストにあまり直結しない問題集も多いのです。とにかく情報が少なく、どういう勉強すればいいのかわからない人がたくさんいます。それでも、なんとか自分の将来のためと強い覚悟で試験勉強を頑張っているのです。

昨年度のテストがどのようなものであったかというのは、勉強するうえでとても大事な情報です。それを半年以上も経っているのにまだ載せていないなんてありえないです。しかも、昨年度は国語の出題形式がずいぶんと変わりました。今年度も同じ傾向だとすると、昨年度の問題を解いていない人は、その変化に驚き、頭が真っ白になってしまう人もいるでしょう。

簡単に認定試験の合格を与えろと言ってるわけではありません。対応が冷たすぎることに対する批判であり、もう少し認定試験を受験する人たちの立場で考えてあげてほしいと思います。

受験する場所や時期もそうです。認定試験は年に2回あり、1回目は8月上旬です。暑すぎて普通の学校は休みになっている時期ですよね。不登校やひきこもっていた人にとっては、外に出るだけでも大変なのに、この暑い中、2日連続で行かなければなりません。しかも、大阪では受験会場は1つしかありませんので、かなり時間がかかってしまう場合もあり、行くだけで疲れてしまう人もいるでしょう。また、せっかく普通の学校は休みになる時期なのですから、せめて試験会場は広くてゆっくりできる大学などでできないのでしょうか?昨年度は11月の2回目の試験は大阪大学が会場でしたが、1回目の8月の試験はせまい専門学校でした。今年度も8月の会場は、学校ですらなく、貸し会議室が大阪の会場です。

試験は全教科受験するとなると、9時30分~17時30分の長丁場です。暑い時期ですし、せめて休憩時間くらいはゆっくりと休めるような環境を提供できないのでしょうか。

もちろん、受験会場を増やしたり、広い会場を使ったりとなると費用も必要となるでしょう。ですが、昨年度の問題を「忙しい」という理由でホームページに載せていない現状からみても、どこか高卒認定試験を「これぐらいやったったらいけるやろ。」というような軽い気持ちで取り組んでいるとしか思えません。文科省の人たちからしたら、高卒認定試験というのは「それくらいのもん」かもしれませんが、受験する子どもにとっては、自分の人生をかけて勝負しているのです! その決意や覚悟だけは決して軽く考えないでほしいと心から願います。

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私の原点

2018-05-01 10:39:20 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日、小学校の同窓会がありました。これまでも何度か誘ってくれていたのですが、一度も参加しませんでした。20代は私自身がひきこもっており、人一倍プライドの高い私は今の恥ずかしい自分をみんなに見られたくないという気持ちが強く行けませんでした。それも参加しないという意思を伝えると、同窓生のだれかが誘いに来るかもしれないと思い、出欠の返信ハガキを出さずに捨ててしまっていました。

30代前半は、ようやく仕事が軌道に乗り始め、ほとんど休みなく働いていた時期で参加できず、30代後半になるともう何度もハガキでの返信もしないという、とても失礼なことをし続けていたので、いまさらどの面下げて行けばいいのかわからず、どちらかというと同窓会のお知らせのハガキを見ることさえしんどかった時期が続きました。

しかし、今回自宅に届いたハガキは、すぐに捨てたりせず、ずっとカバンの中に入れていました。出席しようかなと思ったからです。もう何十年も会っていない同窓生たちに、このまま不義理を続けて会わないままというのもずっと気になっていましたし、なにより小4から小6まで担任してくださったE先生が還暦を迎えられ、そのお祝いをするという会でもあり、どうしてもE先生にお会いしたいと思ったからです。

私はこのブログでも何回か書いていますように、学校の先生とはずっとうまくいきませんでした。中学校のときには、先生という人たちに幻滅し軽蔑すらしていました。高校ではほとんどの先生が無関心だったので、全員と衝突したわけではありませんが、懇談で母親が泣いて帰ってくるほど私のことをボロクソ言うほど先生と対立してしまっていました。ですから私は学校の先生という人たちが大嫌いで絶対になりたくない職業でした。

しかし、E先生だけは心から尊敬し大好きな先生でした。他の先生と何が違うかというとはっきりと言葉にするのは難しいですが、E先生は私たち子どもと一生懸命向き合ってくれました。子どもの時期は敏感です。相手が信頼できる大人かそうじゃないかはわかるんです。E先生は100%信頼できる先生でした。ぜひもう一度お礼を言いたい、気持ちを伝えたいと思い、同窓会の1週間前ですけど(-_-;)幹事の子に参加するという連絡をしました。

小学校を卒業してから現在に至るまでのことや、溢れるほどある感謝の気持ちを全部伝えるにはあまりにも時間は短かったですが、E先生はたくさんの優しい言葉をかけてくださりました。E先生は「だれかの真似をしようとしたわけでもないんやで。大学卒業したばかりの自分が誰かの真似をしようとしてもできるはずもなく、その当時の自分にできることを一生懸命しようって思ってただけなんや。そういう気持ちでずっと先生という仕事をやってきたんやで」と仰ってました。

「ああ、そっか。だからE先生は素晴らしい先生なんや」とすぐに気づきました。私も塾の講師をしていますから、生徒の前では自分を大きく見せようとしたり、できないことをさもできるかのように振る舞ったり、そんな先生の気持ちはわからなくはないです。なかなかありのままの自分を見せるというのは勇気が必要です。ですが、そうするからこそ子どもたちは自分と向き合ってくれている先生に心を開けるのです。

私も塾を始めた20年前は確かに「自分をよく見せよう」という気持ちが大きかったように思います。ですが何年か続けていくうちに、それはなんだか違和感を抱くようになっていき、できるだけ素の自分を出すようにしていきました。それから生徒たちとの距離がグッと近くなったような気がしますし、お互いが信頼しあえるという関係を築けた生徒が多くなったように思います。「そっか。私の講師としての基本姿勢は、E先生から学ばせてもらったことなんだ」と気づき、ますます感謝の気持ちでいっぱいになりました。

私がずっと嫌っていた中高校の先生たちも、当時の私には理解できなかったり、気づかなかったりしただけで、みんな私たち子どものことを一生懸命考えてくれていたかもしれませんね。

また、約30年間何の連絡もしなかった私を、歓迎してくれた同窓生のみんな、本当にありがとう!
なんか、数々の昔の悪行を暴露されて(笑)、「えー、ホンマに俺そんなことしたかー?」と思ってしまうほど、当時はめちゃくちゃしてたのを思い出しちゃいました。みんな、いい感じのおっちゃんとおばさんに、いい感じのお父さんとお母さんになっていましたが、飲み始めてしばらくしたら、すぐに小学生のあの頃の関係に戻り、当時の関係性のまま楽しくはしゃげました。なにか、私がずっと心の奥に残っていたゴミのような塊が一気になくなったような感じがします。

みんな、ホンマにありがとう。また毒を吐くかもしれんけど(笑)、次回もぜひ参加したいんで連絡お願いするね。
そしてE先生、いつまでも元気でいてくださいね。個人的にまた会いに行きますね。

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