goo blog サービス終了のお知らせ 

今日も地球は周ってる

管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

「おじいちゃんの里帰り」

2013-12-18 11:03:14 | 映画
「おじいちゃんの里帰り」を観に行ってきました。
大きな劇場でなく、駅裏の路地の小さな単館劇場です。
今まで行った中で、間違いなく一番小さな劇場。
友人が
「試写会みたい(笑)」
って笑っていました。
私が行った事ある試写会は4000人クラスの大きな会場だったので(苦笑)


予想していた内容と随分違っていました。
と、言うか、自分がドイツとトルコの関係の深さに気付いていなかったこと、
「トルコ人」と言っても一枚岩ではない事、
などを痛切に感じさせられました。


ガスト・アルバイター。
ドイツが迎え入れた、外国人労働者の事。
ガストはドイツ語で「客」と言う意味。
それでも、ガスト・アルバイターの彼らとその家族は、
(西)ドイツ市民と同じ教育を受け、医療や福祉を受けることができた。
国籍関係なく。
それは、ガスト・アルバイターがドイツの経済・工業にとって非常に有益な存在であったから。
そして、トルコで生まれ、ドイツで育った子供達は次第にドイツの生活に溶け込んでいく。
ドイツで生まれ、ドイツで育った子も、ドイツでトルコ人として違和感なく成長していく。

が、彼らの子供世代(三世代目)は事情が違った。
自分達はドイツ人だと思っていても、周囲はトルコ人だと言う。
自分のアイデンティティが何処にあるのかが判らない。
ドイツ語を母語として育った孫娘は、英国人と恋に落ちる。
祖父母や両親が第二の故郷と思ったドイツでは無い国の人間と。

そんな中で、家族の首長である「おじいちゃん」がトルコに帰る事を決める。
帰る。と、言ってもちょっとした里帰り。
おじいちゃんとおばあちゃんは、ドイツのパスポートを持っているのだから。



「移民」
一言で言うと物凄く薄っぺらで簡単な言葉。
でも、外国からやって来る彼らは、最初から移民先の文化に溶け込むつもりや、言葉が話せるつもりで来るわけではない。
彼らが育った文化や言葉を背負ってやってくるのだ。
1960年代のドイツは、そういった事も全て容認し、受容して「移民」としてのトルコ人を受け入れた。
イタリアやスペインと言った、南欧ならまだしも欧州として受け入れられ易いのと違い、
宗教も肌の色も、瞳の色も、文化も全く違う彼らを。

移住してきてすぐに直面するのが「トイレ」問題。
これは、当時のトルコの一般家庭のトイレがどのようであったかを知らないと理解出来ない事だと思う。
トルコの古い家のトイレは、日本の和式トイレに似ている。それも、水洗でなく…所謂、ボットン…。
洋式トイレを目の当たりにした若き祖母は「ドイツ人の病気が移る!」と、たわしで念入りにトイレを掃除し始めます。
そして、トイレを我慢できない息子。
一見、コメディのようだけど、トイレという些細な違いですら、文化的には大きく違う問題になってしまう。
それを面白おかしく描いている。

宗教についても同じ。
ドイツに行く前に、息子は「ドイツ人の宗教は、神の肉を食べ、血を飲むのだ」と、友人に言われ、夢に見るほど怯えます。
これは当たらずとも遠からじで、日曜礼拝の際、聖餐を戴きます。
これはキリストの肉と血を分かち合うことで、キリストの苦難を偲ぶこととされています。
実際には一口ほどのパンや薄いビスケット、そして赤ワインですが。
ドイツの家に着いたばかり、台所の棚のカーテンを開けたら、磔刑にされたキリストの像があり、息子は腰を抜かしてしまいます。
これも、宗教の内情を知らないと笑えないのかもしれません。

おじいちゃんとおばあちゃんが、晴れてドイツのパスポートを受け取る際の映像も効果的でした。
「これから、豚肉を食べますか?」
と、誓約書を書かされるのです。
書いた途端に、棚から出てくる豚肉料理。(アイスバインのようにも見受けられました)
これはイスラム教を信仰するトルコ人にとっては、最大の難関でしょう(苦笑)
結局は、おじいちゃんが見た夢だったのですけど。

と、映画のあちらこちらにトルコとドイツの宗教、民俗、文化の違いがちりばめられていて、
それらを知った上で見ると、非常に奥の深い物語を感じることが出来ると思います。
知らなくても、温かい家族の映画を楽しめると思います。

そして「おじいちゃんの里帰り」には、そんな意味もあったのか…。
とハッとさせられる場面。

ユーモラスに、丁寧に、描かれているけど、とても社会派な映画だと思いました。
トルコが好きな人は、是非、見て欲しいと思います。

そして、日本政府が今、何故、安い労働力として移民を受け入れようとしているのか、
それが薄っすらと解るような作品でもあります。
(でも、今の日本は1960年代のドイツではありませんから、今、安い労働力として移民を受け入れるのは非常に困難だと思います。そして、ドイツのように上手くいくことも無いと思います)

「おじいちゃんの里帰り」
とても良い作品でした。
予告の「ある精肉店のはなし」も見たくなりました。
タイミングが合えば、「おじいちゃん…」を観に行った友人と観に行くことにします。

映画は娯楽でもあるけれど、同時にドキュメンタリーでもあるのだな。
久々に、そう感じました。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
たくさん勉強になりました。 (ゆぶ☆)
2013-12-18 15:03:49
ドイツに トルコからの 移民が多い、と 聞いたのは 先日のことで それさえ 意外だったのに、

まさに その映画を 観てこられたんですね!!

習慣や 宗教の決まりの違い、あまりにも 違いすぎるのは 想像できますが 
自分には 水でさえ 合うかどうか 分からないのに、
大変なことだったでしょう。

移民とかは 昔、日本人が ブラジルや ハワイに移民したのは 有名ですが かなり過酷な状態だったようですね。

話が 逸れましたが、
大変なわりに 雰囲気が ほんわかとしているのが
感じられます。

是非、続編も 観てきてください。
返信する
Unknown (koo)
2013-12-18 19:03:32
ゆぶ☆さん
ドイツもトルコも好きですし、ドイツでトルコの移民が問題になっているのも知っていたので、ずっと上映を待っていました。
トルコの労働者・移民を受け入れた(西)ドイツは宗教などには寛容でしたので、その辺りは問題は少なかったと思います。
(ドイツはプロテスタントが多く、カトリックほど縛りが無いので)

そして日本人のブラジル移民と根本的に違うのは、
ドイツは「ガスト・アルバイター」として、仕事や寝起きする場所を用意して労働者を受け入れたのに対し、
日本のブラジル移民は、国を挙げての棄民でもあったのです。
開拓した土地が自分の物になると言う夢を持ってブラジルに上陸した人達を待っていたのは、原野と森林。
寝起きする場所から自分達で作らなくてはいけない。
まったく正反対の物でした。
(ハワイ移民のことはあまり詳しくなくてごめんなさい)

映画の雰囲気は温かくてほんわかした優しいお話ですが、ドイツとトルコのそれぞれの文化などを知った上で鑑賞すると、物凄く社会的なドキュメンタリーになります。

映画の中で、トルコ語とドイツ語が頻繁にやり取りされるのですが、短文はともかく、長文になるとどっちも同じに聞こえてしまってどうしようもなくなってしまい、言葉の違いによる、字幕の表現の違いを楽しめなかったのが残念でした。

「ある精肉店のはなし」は、続編ではなく、日本の、畜産から屠畜、そして精肉、販売まで行っている、ある精肉店の日常と、最後の一頭が店頭に並ぶまでの話です。
これには色々な社会事情が絡みますので、深くはコメントしませんが、観に行きたい作品でもあります。
返信する

コメントを投稿