今日は実家に行って、じぃじ(実家父)のPCの不調を診てきました。
他愛も無いことで、10分かからずに終了~ww
なので、お茶したり、ワンコと遊んだり、昼寝したりしてのんびりしてきました。
ついでに、ガンダムBFも大画面(世界の亀山クオリティ、40型?)で観て参りましたww
一体、何をしに行ったのだか。
先日作ったヤマトのキーホルダー
を見せ、
「体調が良い時はこんなん作ったりしてるよ」
と、言うと
「ワシにも何か作ってくれ、実は、昔なヤマト好きやったんや」
「え゛?」
「ワシも一緒に見とったやろ?」
言われてみれば、ヤマト見る時は"またアニメか"って言われ無かったような…。
なので、ヤマトついでに祖父(じぃじ父)の話を聞きました。
私「爺ちゃんて、海軍やったやん?やっぱり舞鶴?」
父「そや、舞鶴や」
私「爺ちゃんて、戦時はどの辺に行っとったの?」
父「あんまり話さんかったからなあ。終戦間際は、艦で沖縄に向かったけど
鹿児島の近くで撃沈されて、僚艦に助けられて、家に戻ってきとった。
玉音放送聴いて"どうなるか判らんが行ってくる"と、舞鶴に行ったよ」
私「沖縄に向かってたって、大和と同じ作戦に出る予定だったん?」
父「らしいなあ」
その後、祖父は舞鶴から無事に戻って来たそうです。
まさか、大和と同じ作戦に出ようとしていたとは。
呉に居たら、大和に乗っていたのかもしれません。
大和じゃなかったとは言え、大和と同じ作戦に向かう為に乗った艦が撃沈され、
命が助かったのは、奇跡的かも。
こんな身近に、もう一つの「永遠の0」があったとは。
あ、爺ちゃんはゼロ戦乗りじゃ無かったですけど(汗)
尋常小学校卒業で、終戦時には少尉だったそうです。
自分の祖父ながら小学校出で士官になったのは物凄い事だと思います。
普段は激甘で優しい祖父でしたが、悪い事をした時などはピシっと叱ってくれる祖父でした。
爺ちゃんの事、今、聴いておいて良かった。
ずっと子供の頃に聴いてたけど、「小学校出で少尉」は覚え間違いだとずっと思っていたので。
そして、終戦時の話は、その頃には聴いていなかったから。
いつか、また舞鶴に行って、鎮守府の跡地を訪れてみたいな。
現在の舞鶴基地の、資料館とか。
太平洋戦争は、まだ過去じゃないんだね。