ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

江藤新平捕縛

2009-08-11 16:52:48 | 昔話
 明治新政府の参議兼司法卿の要職であった江藤新平が、明治7年2月16日に勃発した「佐賀の乱」に敗れた後、鹿児島から高知に逃避行を続けていた折、野根山山系に入り、今の東洋町甲浦で捕縛されたのです。そして高知に連行されることになったのです。高知県東部は彼が明治新政府の重鎮としての扱いを受けた最後の場所であったのです。捕縛された後でも彼を捉えた高知県小属細川是非之助は、囚人としてではなく、賓客のように遇したとされています。高知への旅の第1夜は佐喜浜だったと郷土史にありますから、野根山街道ではなく灘廻りだったのでしょうか。
 高知県内においては、かつての同士諸兄を頼ったのですが果たせず、東京へ向けて脱出を図ったとされているのですが、何分にも彼を追いかける政府側は海上に軍艦まで配して、多くの捕史を動員したのです。それでも江藤は高知の林有造と片岡健吉には面談ができたとされていますが、彼らでも江藤を救うことは出来なかったのです。
高知県特に東部地域が大騒動になった2週間だったのです。

 さらに高知からは軍艦で佐賀に運ばれて臨時裁判所にてきゅう首(さらし首)とされたのです。極刑でした。

 こんな一説があります。
 明治新政府の中で長州閥高官による汚職事件が度重なるに及んで、江藤司法卿が捕縛拘留したことから逆恨みが大きく深いものになっていったそうな。そんなことから事件が起きたとも言われているのです。
 彼の処断が終わると、中央では山縣は陸軍卿に返り咲き、井上も大蔵省に復帰したのです。木戸の尽力で事件はもみ消されたとされています。

 最後に彼が捕縛された甲浦には石碑が立っています。
 「江藤新平君遭厄地」とあります。静かな港町の評価です。
 真実はどうであったのかわかりません。歴史の闇の中です。
 

墓掃除

2009-08-11 16:22:33 | 日記
 昨夜深夜に長男が帰省。いろいろと雑談をしました。今のこと、これからのこと等気がついたら深夜の2時になっていました。大人になった息子を前にしても、床について思い出すのは彼が子供のときの記憶。幼い彼はかわいかったのに、今は一人前のことを言います。

 朝、起きると母が言うのです。「墓掃除に行こう」そうやね。
 掃除道具とサカキをもって出かけました。

 1時間足らずできれいになって、ご先祖様も喜んでいるのでしょう。
 今日は暑い。
 汗びっしょりになって、お昼のシャワーを浴びてしまいました。

 時々はこうした時間もいいものです。