ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

杣夫(そまふ)

2010-03-10 09:31:47 | 森林鉄道物語
 延宝元年(1673)の安芸郡内で杣夫(そまふ)と呼ばれたのは、7,921人だったそうですが、当時の15歳以上の男子は全部で19、000人程度ですから約40%は杣夫(そまふ)だったことになるのです。高知県の東部地域は杣夫だらけだったことになります。

 杣夫は、山の木を切る人。山の仕事で生計をたてる人のことです。
森林鉄道が出来るまで杣人は、ほとんどの仕事をしていました。40%もの人数は、それだけ山間部の豊かな資源に地域として依存をしていたのです。

 伐採は普通2人一組で仕事をしたそうで、 直径1M程度の木を切るのに30分ほど、一日に5本を切るのが標準だったとか。
 そして「一升飯を食わないと一人前ではない。」などといった話もあります。
 重労働だったのです。

 川に流しやすいように、また材を無駄にしないように2間材に玉切りをして、枝を打ち、皮をはぐ。そうしたことも重要な作業でした。

 土佐は、24万石といった農業生産高を藩の経済規模を計る指標としてよく使いますが、高知では、木材の出荷が大切な収入源だったのです。

 そして、材木を船で上方に運ぶ廻船業が発達するのです。浦はそうした技術を持った方々が住んでいた場所だったのです。もちろんいつの頃からか、トラック輸送のほうが多くなるのですがね。

 しかし森林鉄道の敷設は、天然の森林資源を枯渇させるほどの能力を得たのです。
 地域にとって良かったのかどうか、今となっては良くわからないですね。