ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

監督吉田喜重

2010-03-16 13:09:24 | 昔話
 映画作りに参加したことがあります。
 久しぶりに整理作業をしていたら、写真が大量に出てきましたから写真パネルを作ってみました。
 映画の題名は「幕末に生きる、中岡慎太郎」 ドキュメンタリー映画でした。

 監督は吉田喜重

 中岡慎太郎の生誕150年を記念して、「中岡慎太郎を表舞台に出す会」が組織され制作したのです。
 私もこの会の一員として、募金活動から下働き。さらにフィルムをもって上映会までやりました。考えてみたら当然のごとく若かったねえ。16MMのフィルムを持っていって映写機持参で出かけてゆくのです。料金は当然制作費になりました。支払いが完了したときはうれしかったですねえ。
 リスクをリスクと考えなかったのです。
 少し怖かったですがね。

 何にも無いところから、募金によって金を集めて映画をつくろうなんて考えたのですからね。それも3500万円なんて今考えたって尋常ではないのです。

 仲間とともにやってしまいましたから、無事終了でありがたかったですねえ。

 監督吉田喜重氏は誠に魅力的でした。紳士でしたねえ。

 何年かあと、彼の講演記録を読んでいたときのこと、「なるほど」と思いました。

 その講演の中で彼はこんな発言をしているのです。
 「劇映画とドキュメンタリーに境界は無い。」

      映像をとおして何かを表現をするという意味では、境界は無い。のだそう。

 「人間は物語を必要とする。しかし物語に裏切られもする。」

      人には物語が必要だ。しかし裏切られることも知っていながら楽しんでいる し、意識の中で目とか言葉でつじつまを合わせているのです。

 「スクリーンは私の目だ。」
      
      映画と私の間に、私の目がある。私はその目に導かれて映画を撮る。のだそうです。
「映像は、物語を越えて存在する。」

      彼の発言だと思えば納得で、彼に監督依頼したことは間違いはなかったのです。

 そして今でも思い出します。彼が完成したばかりのフィルムを持って、北川村で上映会を開催したときの中で彼はこのような発言をしました。
 
 「映画が出来ました。今までは私の映画でしたが、これからこの映画は皆さんのものです。」

 彼の目が撮らせた作品が北川村、安芸郡、高知県にあるのはそれぞれにとっても財産かとおもいます。
 改めて、見てみたいとおもいます。彼の目を楽しめることと思います。

 ずっと考えていたのです。吉田喜重というビッグネームの監督が何で廉価版の記録映画を撮ってくれたんだろうか。とね。
 中岡慎太郎の魅力はあったのでしょうがね。いい思い出です。