野根山街道の尾根道の写真です。
道の左右は、なだらかに両方に下っており、異なる水系に雨水を導くのです。
分水嶺なのです。
しかしながら、その水は廻りまわってですが、同じ海にたどり着くことになるのです。
人はその尾根を歩いております。
明らかに歩きやすいからです。
さらに、多くの足跡によって、その細き道は草さえ生えないでいます。
道行く人は、歩き易いところがあれば、素直にそれに従い、そのような恩恵にあずかれないときには、少々の無理は気力と体力を駆使して頑張っていくのです。
昨年からブログを書くようになって、材料探しに先輩達の記録や記述を読み漁っておりますが、考えさせられます。地域情報は幅が広すぎますし、情報が多いときと少なすぎる時期とがあって、情報量に格差がありすぎるのです。さらに明らかな間違いもありますし、記事としての誤植もあります。
高知県の東部地域は、田舎の田舎ですが、田舎なりにずっと前から、1000年、1500年以上前から何かしらの活動があったのでしょう。しかしながら誰も記録を残さなかった頃は、当然ですが想像する以外、方策がないのです。
これは楽しい作業です。考え悩むのですがね。
結局行き着くところに、行き着いてしまうのです。「そうだろうな。」納得できるところになってしまいます。MAPを造る作業の中でも、記事自体の確認作業が大変なのです。
尾根道は基本的には、一筋しかありませんからねえ。
全部の要求を満たすことは出来ないのです。
ただ街道が街道であるためには、枝道が必要で、それが有機的に機能してはじめて、街道がより生きてくるようです。
野根山街道も基本的には尾根道ですが、傾斜斜面をルートにしている場所もありますからね。地形によっては、ときどき曲がりくねっているのです。
改めて昨年の野根山街道の写真を見ていて、思ったことです。
歩いた後に、道が出来ておりました。
人も獣も、誰かれなく、なのです。
そして、写真を撮った時と、今の状況は時間の経過分だけ半年分だけ多分違うのです。
地域の歴史を紐解いていく作業は、薄皮を一枚一枚はがしていく作業をしているようなのです。
自然はいいです。考える時間が取れますからね。気分転換には最高です。
道の左右は、なだらかに両方に下っており、異なる水系に雨水を導くのです。
分水嶺なのです。
しかしながら、その水は廻りまわってですが、同じ海にたどり着くことになるのです。
人はその尾根を歩いております。
明らかに歩きやすいからです。
さらに、多くの足跡によって、その細き道は草さえ生えないでいます。
道行く人は、歩き易いところがあれば、素直にそれに従い、そのような恩恵にあずかれないときには、少々の無理は気力と体力を駆使して頑張っていくのです。
昨年からブログを書くようになって、材料探しに先輩達の記録や記述を読み漁っておりますが、考えさせられます。地域情報は幅が広すぎますし、情報が多いときと少なすぎる時期とがあって、情報量に格差がありすぎるのです。さらに明らかな間違いもありますし、記事としての誤植もあります。
高知県の東部地域は、田舎の田舎ですが、田舎なりにずっと前から、1000年、1500年以上前から何かしらの活動があったのでしょう。しかしながら誰も記録を残さなかった頃は、当然ですが想像する以外、方策がないのです。
これは楽しい作業です。考え悩むのですがね。
結局行き着くところに、行き着いてしまうのです。「そうだろうな。」納得できるところになってしまいます。MAPを造る作業の中でも、記事自体の確認作業が大変なのです。
尾根道は基本的には、一筋しかありませんからねえ。
全部の要求を満たすことは出来ないのです。
ただ街道が街道であるためには、枝道が必要で、それが有機的に機能してはじめて、街道がより生きてくるようです。
野根山街道も基本的には尾根道ですが、傾斜斜面をルートにしている場所もありますからね。地形によっては、ときどき曲がりくねっているのです。
改めて昨年の野根山街道の写真を見ていて、思ったことです。
歩いた後に、道が出来ておりました。
人も獣も、誰かれなく、なのです。
そして、写真を撮った時と、今の状況は時間の経過分だけ半年分だけ多分違うのです。
地域の歴史を紐解いていく作業は、薄皮を一枚一枚はがしていく作業をしているようなのです。
自然はいいです。考える時間が取れますからね。気分転換には最高です。