凄い方の登場です。
僧 行基様です。どうしても書きたくなっています。
行基様は奈良時代の僧侶で、今の堺市辺りで天智7年(668年)頃に生まれたのだそうです。
父は渡来人系の方で母は河内の方でした。
そして彼の師匠といわれているのは、飛鳥寺の僧道昭。僧道昭は入唐して玄奘の教えを受けた事で有名な方ですので、行基は玄奘三蔵の孫弟子ということになります。
さて、何でここで行基様を登場させたかというと、高知県にも多くの寺がありますが、たくさんの寺が「行基開基」としているからです。
さらに、行基様は入唐はしていないのですが、師道昭からの教えの中に伝道と社会活動の結合について等、幅広い内容が含まれていたようなのです。
残念ながら僧行基様が土佐に来られた資料はないのですが、例の大豊の豊楽寺(国宝)や五台山竹林寺等、高知県だけで16ほどもあるのです。刻まれたとされる仏像も100体ほど存在します。
誰かがいつの頃からか、詐称したことになるのですが、したことは既に時効ですから、いいのです。そうしたかっただけなのでしょう。
わが寺院は僧行基様とご縁があるのです。そうした動きが平安時代から鎌倉時代にかけて行われていたそうな。そうする事で、寺院を由緒あるものにして、寺格を高めようとしたのでしょう。
それだけ全国の民から尊敬を集めた僧行基の活動は、池や水路の構築等土木事業を含め社会事業全般に及んでいます。そして広く民衆の信頼を集めたがゆえに、朝廷は彼の宗教活動を禁止し、弾圧を加えるのですが、民衆は彼への支持を離すことはなかったのです。
僧行基は天平21年(749年)に今の奈良市でなくなるのですが、東大寺の大仏建立の真っ最中でした。
しかし伝説は独り歩きを始めます。行基が発見した温泉だとされているものも、全国に10ヶ所以上ありますし、貯水池までもあります。さらに港を整備したとされる話などキリがありません。
民衆が守り育ててきた民間伝承なのです。ありがたや。ありがたや。なのです。
政治家ではなく、宗教家であったことが、何となく納得するところです。
権力を握った政治家が、なんと尊敬を集めないことか。信頼されないんですよね。
今も昔も変わらないのかもしれません。
悲しい現実です。
今どうでしょう。尊敬に値する政治家っています??。
たぶん僧行基様がなくなって後、何十年何百年か経って後、あの行基様を身近に感じたいとか、寺側の思惑からそうしたことにしたのでしょう。
慕われる存在なのです。忘れられない人なのでしょう。ありがたや。
僧 行基様です。どうしても書きたくなっています。
行基様は奈良時代の僧侶で、今の堺市辺りで天智7年(668年)頃に生まれたのだそうです。
父は渡来人系の方で母は河内の方でした。
そして彼の師匠といわれているのは、飛鳥寺の僧道昭。僧道昭は入唐して玄奘の教えを受けた事で有名な方ですので、行基は玄奘三蔵の孫弟子ということになります。
さて、何でここで行基様を登場させたかというと、高知県にも多くの寺がありますが、たくさんの寺が「行基開基」としているからです。
さらに、行基様は入唐はしていないのですが、師道昭からの教えの中に伝道と社会活動の結合について等、幅広い内容が含まれていたようなのです。
残念ながら僧行基様が土佐に来られた資料はないのですが、例の大豊の豊楽寺(国宝)や五台山竹林寺等、高知県だけで16ほどもあるのです。刻まれたとされる仏像も100体ほど存在します。
誰かがいつの頃からか、詐称したことになるのですが、したことは既に時効ですから、いいのです。そうしたかっただけなのでしょう。
わが寺院は僧行基様とご縁があるのです。そうした動きが平安時代から鎌倉時代にかけて行われていたそうな。そうする事で、寺院を由緒あるものにして、寺格を高めようとしたのでしょう。
それだけ全国の民から尊敬を集めた僧行基の活動は、池や水路の構築等土木事業を含め社会事業全般に及んでいます。そして広く民衆の信頼を集めたがゆえに、朝廷は彼の宗教活動を禁止し、弾圧を加えるのですが、民衆は彼への支持を離すことはなかったのです。
僧行基は天平21年(749年)に今の奈良市でなくなるのですが、東大寺の大仏建立の真っ最中でした。
しかし伝説は独り歩きを始めます。行基が発見した温泉だとされているものも、全国に10ヶ所以上ありますし、貯水池までもあります。さらに港を整備したとされる話などキリがありません。
民衆が守り育ててきた民間伝承なのです。ありがたや。ありがたや。なのです。
政治家ではなく、宗教家であったことが、何となく納得するところです。
権力を握った政治家が、なんと尊敬を集めないことか。信頼されないんですよね。
今も昔も変わらないのかもしれません。
悲しい現実です。
今どうでしょう。尊敬に値する政治家っています??。
たぶん僧行基様がなくなって後、何十年何百年か経って後、あの行基様を身近に感じたいとか、寺側の思惑からそうしたことにしたのでしょう。
慕われる存在なのです。忘れられない人なのでしょう。ありがたや。