仕方がないのです。気に入っているのですから。
1995年のことでした。愛媛県の友人がある音楽家を紹介してくれたのです。
1946年にNYで生まれたピアニストでした。
何日かお付き合いをすると、えらく気に入ってしまったのです。
ピアノがめちゃくちゃうまい。
ピアニストですから、これは当たり前ですが、人としても気に入ってしまったのです。
この写真は、そのとき急遽演奏会を計画して開催をしたときのチラシです。
主催者 ふくろうの会。
「名曲を聴く日曜日」と題して高知県立美術館ホールで開催をしたのです。
あのコンサートを成功させたあと、24回かな自主事業として、音楽会をやり続けてきたのですが、最近は全く元気がありません。
そのうちどこかで、聞いてみたいとおもっております。
聞くことだけ考えると、チケットを購入したほうが楽なのですが、主催者になって裏方の作業を経験すると、これは病み付きになってしまいます、
この前年に夜須町のホールでウィーンのEICHENDORFE QUINTETTのコンサートを仲間とともに実行委員長として成功させておりましたから、あまり精神的にも負担は無かったのです。
これからどの様な音楽シーンを創れるか、ゆっくり考えてみましょう。
企画をしたりして、思い描いている間は、楽しい時間です。
あれから15年が経ったのです。
1995年のことでした。愛媛県の友人がある音楽家を紹介してくれたのです。
1946年にNYで生まれたピアニストでした。
何日かお付き合いをすると、えらく気に入ってしまったのです。
ピアノがめちゃくちゃうまい。
ピアニストですから、これは当たり前ですが、人としても気に入ってしまったのです。
この写真は、そのとき急遽演奏会を計画して開催をしたときのチラシです。
主催者 ふくろうの会。
「名曲を聴く日曜日」と題して高知県立美術館ホールで開催をしたのです。
あのコンサートを成功させたあと、24回かな自主事業として、音楽会をやり続けてきたのですが、最近は全く元気がありません。
そのうちどこかで、聞いてみたいとおもっております。
聞くことだけ考えると、チケットを購入したほうが楽なのですが、主催者になって裏方の作業を経験すると、これは病み付きになってしまいます、
この前年に夜須町のホールでウィーンのEICHENDORFE QUINTETTのコンサートを仲間とともに実行委員長として成功させておりましたから、あまり精神的にも負担は無かったのです。
これからどの様な音楽シーンを創れるか、ゆっくり考えてみましょう。
企画をしたりして、思い描いている間は、楽しい時間です。
あれから15年が経ったのです。