(ネタバレしています)
この日は心斎橋の灯りと、照らし出された月夜道がとても美しかったです。
私はお酒は飲まないので「酔う」という感覚は分からないのですが、楽しいお酒を飲んでいい気分になるというのは、こんな感じなのかな~と思うのでした。
一年振りの京セラドームは昨年同様に猛烈に暑かったです。
名古屋からひと月が経ち、関ジャニ∞のRE DEBUTを受け入れてのライブ。
名古屋では分からなかったアンプとエフェクター周りの変化を探ろうと開演前から双眼鏡でステージをガン見していました。
ご本人様が登場してからだと、どうしても機材には目が行かなくなってしまうのでね。
開演前のステージを見ると、章大君の足元には何も無くてスッキリしていました。マルちゃんも同様に何も置いて無くて、亮ちゃんだけ足元にペダルとフットスイッチ的に見える物が3個ほど置かれているだけでした。
おや!?KEMPERよ何処へ?
そんな疑問を抱いていると動き出したステージの下には大勢のスタッフさんの姿がありました。
ムビステ下の左右に機材が置かれて、その前に数人のスタッフさんがスタンバイしていました。
私が見た感じではレフト側のムビステ下の機材担当のスタッフさんは時折やって来て操作しており、ライト側のスタッフさんは機材に張り付き、何やらシートを見ながらリズムに乗って頻繁にスイッチを触っていました。いずれもスイッチャーのような機材を操っておられました。
細かい事はスタッフさんにお任せするシステムに変更したのですね。
ズッコケ男道ではワウペダルを踏む章大君が好きなのですが、今回はそれもなく音色に変化も無かったですよね!?
今のは音が歪んだよねとか、少しディレイが掛かっているよね、などの細かい事は耳だけに集中しないと分からないです(>_<)
LIFEの出だしの章大君と亮ちゃんの二人のボーカルに胸が熱くなりました。
2人の気迫が風圧になって私の席まで届いたようで涙が出ました。
「47」で初めて関ジャニ∞のライブを経験した時の席は天井席でした。
小さく見えるメンバーの姿にドームの大きさを感じ、ちょっと遠いなって思いました。
久しぶりのスタンド上段席でしたが、あれ?どうしてだろう?メンバーの姿が大きく見えるし、遠いなという感覚もそれ程ありませんでした。
防振双眼鏡のポテンシャルだけではないと思います。
初めて見た時に比べて、関ジャニ∞を見聞きしてきた時間の積み重ねによる心の距離が、物理的な距離までも縮めてくれたのだと思いました。
実際に見えてはいないけれど、これまでの経験値が見えない部分を補ってくれたのでしょうか。(とんだ妄想野郎です。お友達が以前に同じような事を書いていたような気もします。)
身体の動きも増えて、声も張りがあって伸びやかで、ギターの音の艶やかさもあって、章大君はカッコよかったです。
ギターを弾きながらのけ反る場面が数回あり、大丈夫なのぉーーーーーーーと気になりましたけども、大丈夫そうで良かったです。
来週は東京ドーム公演ですね!!
楽しみです(*'▽')
続きで ボク。 の事
私も勘違いしていました。
章大君の発した言葉を直接聞いていなかったし、今回のボク。の冒頭に書かれている様に術後の不安な思いを書いたんだろうなって思っていました。
ボク。に書かれている「術後って・・・」から続く言葉は、6年前に私が思った事がそのまま書かれていて驚きました。私、章大君に話したっけ?と思うほど。
その後で、ボクの感性とは真逆だからと言われても、これだけ的確に術後の不安を言い表す表現は他に無いし、やはり章大君も、そうは言っても幾ばくかの不安はあったのではないか・・・
と、まあ、こんな風に受け取って欲しくなかったんですね。
どうしてここまで達観出来るのか?
読み進めると、章大君自身が手術や自分の状態に関しての不安を持っていなかったからなんですね。
孤独を感じ無かったのはご家族の存在があったからな?なんて思ったり、
「この世から居なくなるし。」なんて、そんな事簡単に言わないでよ、と思ったり、またしても私はボク。の言葉に翻弄されてしまうのでした。
自分の見えている世界の小ささに気付いたとも書いていました。
この一文を読んで思い出す事がありました。
聞くジャニにすばる君と章大君の二人が出演していた回で、お互いの結婚について話していました。(当時は聞くことが出来なくてお友達が録音してくれたUSBを送ってくれました。ありがとう)
すばる君は自分が結婚するなんて考えられない、想像も出来ないと話たのに対し章大君は結婚してみたいし、子供も欲しいと答えました。
そう答えていた理由は、家族を持った時、子供が生まれた時、その時に自分がどんな曲を作るのかが楽しみ!ということでした。
章大君は自身の経験から何かを学び、作品に反映していくタイプなんですね、きっと。だから、その作品の数々が感動を呼ぶのかな。
今回の事もベッドの上で「歌詞」を書いたと。
それが私達の所へ届けられるのかどうかは分かりませんが、メモしたのではなくて「歌詞」にして1つの形にして自身の糧にして成長し続けたいのでしょうか。
どんな事も受け入れて成長していく事が章大君の美学なのでしょうか。
ボク。では「その役に立てるのが僕の喜びにつながります。」と結ばれています。
章大君は地蔵菩薩のようなお方ですね、もう生き仏です。
そういえば、もう何年も毎日手を合わせて拝んで来ましたけどね( *´艸`)
章大君が今の様にボク。で自身の気持ちの割と深い所にまで触れてくれる事は無くても、それでも私達は十分に救われて来たし、これからもそうだと思います。
前に書いたかな?
私の手術は水曜で翌日の木曜日のヒルナンデスの生放送に章大君がゲストとして出演してくれました。可愛い笑顔で腕時計の説明をしてくれてのは今でもハッキリと覚えています。
手術の翌日は身体がとにかく辛くて、一秒一秒を耐えるのが大変でした。当然気持ちも恐怖と不安しかない状況の中で私はナースコールのボタンを押しました。
「テレビの音量を少し上げて画面の向きを変えて下さい」と小さな声でお願いする為に。
ベッドの上ではまだ手術着がふわりと身体に掛けられている時に!
章大君の声を聞きたくて、姿を見たくてお願いしたのです。そんな自分にふっと気付いたらとても気が楽に
なり、
あ!私は大丈夫だ!
と思えたのです。
あの日の生放送に章大君が出演していた事は私が生きる為の役に立ったんですよ。章大君は知らなかったでしょう~~!?本当に大助かりだったんですよ。あの状況の中で「私は大丈夫だ」と思えた事は、その後の私の生活の中の大きな柱になっています。今は私自身がその大きな柱のような体型になっておりますけども(笑)
わたし鏡に出会って以来、お月様を見たら章大君の事を思うという幸せも貰っています。
とにかくね、章大君からの愛を悲しみでスルーしないように生きるから。
まったくまとまらないけれど、そんな日ばかりだとしても、それが私なのだから仕方が無いよね。