こちらの作文は、今から6年前の小学4年生の時の夏休みに書いたものです。
当時のまま、10歳の少年の言葉です。
お食事中の方には不向きです(笑)
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「はじめての入院」
ぼくは、七月三十日にプールにいって帰ってきたときに気持ちが悪かったので、熱をはかりました。
すると37ど熱がありました。最初は明日には治っていると思っていました。
が、しかし、翌朝熱をはかると38度に上がっていました。
さらにはき気がして、何もたべたりのんだりできなくなりました。
そして、その日の夜にいえきが出て苦しくてよくねむれませんでした。
八月一日に病院にいきました。
病気の名前はただの熱ではなくて、アデノウィルスかんせんしょうという名前でこの病気を治す薬がまだない病気です。
ぼくはこの病気の重症でした。お医者さんがてんてきしたほうがいいといったので血えきけんさと、てんてきをしました。
そのあとちょっと元気になってのでスイカを食べました。しかし数じかんたつといえきとなってでてきました。
その次の日さらに熱が上がりました。
この日はじゅくの夏期こう習が始まる日でした。
ぼくは天気がいいのにどこにもいけずにただただねているだけだったので自由研究をしたいなーとかおじいちゃんとおばちゃんに会いたいななどどいろいろなことを考えていました。
そしてその夜またいえきをはいてしまいました。
この日もよくねむれませんでした。
その次の日まだ熱は下がらずにいました。
でもちょっとちょうしがよくなったので本当は熱をだしているときなどは見てはいけないゴジラなどのえい画のDVDをみました。
ちょっときもちが悪くなってきたのでとちゅうで見るのをやめました。
その次におなかがすていたまらなかったのでヨーグルトをちょっとたべました。
するときゅうげきにきもちがわるくなりはき気がおそってきました。
しばらくするとまたちょうしがよくなってきたのでおかしをたべました。
するとおならがへんな音ででました。
そしていっしゅんにしてケツがあたたかくなりパンツがねっちょりしてきました。
そうです。
うんこです。
ついにうんこがおならとなって現れたのです。
ぼくはなかなか出なかったうんちが出たのでちょっとうれしかったです。
しかしうれしいのとはうらはらに鼻をつんざくような悪しゅうが家中へ広がっていったのです。
お姉ちゃんはあわててげんかんの方へ、お母さんは鼻をつまみながら台所の方へにげていきました。
お母さんはめまいでにおいにびんかんですぐにはいてしまうのでうんこつきパンツくじょとケツ洗いはできません。
残されたのはぼくとお姉ちゃんです。
しかしお姉ちゃんにぼくのうんこでいえきをはかれてもこまります。
なのでお姉ちゃんにもできません。
こうなったら自分でなんとかするしかない。
男の中の男●●●(本名)はついにうんこくじょを熱があるにもかかわらず自分でするけっしんをしました。
そしてサダ子のようにはって便所付近まできました。
そして勇気ある男●●●はついにトイレへたどりいたのです。
そしてよごれたパンツはせんたくき付近におきケツを男らしく洗いねどこにもどったのです。
ぼくはこの大さんじをのりこえうどんを食べてねました。
翌朝きのうのじけんのせいか、とてもきもちが悪かったのでまた病院にいきました。
前いくときじてんしゃのうしろにのっていきだるいしケツは痛いしとてもつらかったのでこんかいはタクシーでいくことになりました。
そして病院につくとだっ水しょうじょうになっているということで入院が決定しました。
そのままタクシーで☆☆病院の4階のこ室に入院することになりました。
こ室いがいのへやは空いていませんでした。
ベットにねたらすぐにてんてきをしました。
チューブは入院している間ははずせないときいてちょっとびっくりしました
テレビがあってその下に小さな冷ぞう庫がありました。
テレビは千円でテレビカードというのをかってテレビをみます。
1枚で10時間見れてテレビは9時30分までしかみれません。
ちなみに9時半がねる時間です。
ほかにもシャワールームやトイレ、大きいいす、つくえ、大きい鏡などがありました。
病院からそのまま☆☆病院に入院したのでゴジラのフィギュアやたまごっちなどのおもちゃがなかったのでとてもつまらなかったです。
とつぜんの入院だったのでお母さんがおばあちゃんやお姉ちゃん、おじさんにぼくが入院したことを伝えました。
トイレや食事が一人でできないしぼくはマザコンなのでお母さんにつきそってもらうことにしました。
しかしそうするとお姉ちゃんが一人になってしまいます。
そこでおばあちゃんにきてもらおうと連らくしたらなんともうぼくの家におじさんとっむかっているというのです。
これにはとてもかんどうしました。
しかしおばあちゃんの家は群馬県にあるので2時間は来るのにじかんがかかります。
しかもぼくの着がえの服もないのでお母さんがぼくの家になんじかんか帰ることになりました。
かんごしさんがてんてきのようすを見に2時間に一回ぐらい来ます。
それ以外には何もなくててんじょうであみだくじをやったりしていましたが出きるはずがありません。
お母さんにおもちゃをもってきてもらう約束をしたので早く帰ってきてほしいと思っていました。
そして数時間後ついにお母さんが帰ってきました。
お姉ちゃんのたまごちっとまんげきょう、ゴジラのフィギュア、おもしろけしごむをもってきてくれました。
あとポケットティッシュしかもってなかったのでやわらかいティッシュやぼくがのみたかったのみものなどを病院の売店でかってきてくれました。
あとケータイでお姉ちゃんが鼻でオカリナをふいているムービをとってきてくれました。そして3時くらいになると牛にゅうとおやつをかんごしさんがもってきてくれました。
そして何分かたつとお母さんがてんてきがおちてないといいはじめナースコールでかんごしさんをよびました。
たしかにてんてきのえきはいってきもおちていませんでした。
かんごしさんは血かんががんこだといっていましたが、もう一人のかんごしさんはテープのはりすぎだとかほうたいのまきすぎだとかむきが悪いなどど言っていました。
はりがささっているのにもかかわらずはりをいろんなむきにかたむけたり動かしたりするのでとてもいたかったです。
そしててんてきのえきが入るむきになったときにだっしめんをはりの下の方に入れてえきの入るむきに調せつしてからまたテープやほうたいをまいててんてきのはりが動かないようにしました。
数じかんたつと夜ごはんがきました。おかゆと肉じゃがなどの夜ごはんがでました。
肉じゃが以外はとてもまずかったです。
おかゆにふりかけをかけてみましたが、味がうすまってとてもまずかったです。
その後、お姉ちゃんから病院のごはんはおいしいですかとムービーでおくられてきました。
そんあとすぐにおいしそうな料理とブドウの写メールがおくられてきました。
ぼくはこのときお姉ちゃんがとてもにくかったです。
しかもお母さんによるとメールやムービーでは大丈夫ですかとか心配してますとか送ってきたけど本当はまったく心配してなくて、むしろおばあちゃんがきてよろこんでいたとききました。
でもぼくは怒らないで、たまには一人でいたいんだと思いました。
しばらくすると、おしっこにいきたくなりました。
おしっこはお便所にちょくせつするのではなくビーカーにおしっこをして何ミリリットルおしっこがでたかたしかめ、おしっこを記ろくする紙にどれくらい出たか書きます。
そして何ミリリットル出たか分かったらトイレに流します。
おしっこをしてスッキリしてまたベットにねました。
もう夜の9時40分ぐらいだったのでねました。
次の日の朝7時におこされて着がえるのですがチューブにつながれているので、どう着がえるのかと思っていたら、かんごしさんが来てチューブのとちゅうをはずして服をぬぎました。
そして汗をタオルでふきました。
お母さんがおしりをふくタオルでぼくの顔をふきそうになったので、かんごしさんがそれはおしりをふくタオルですいいました。
ぼくはおやうくおしりをふくタオルで顔をふかれるところでした。
そして朝ごはんがきました。
朝ごはんはパンなどでした。
まずくはなかったけど、おいしくもありませんでした。
テレビをみたり、たまごっちをいじったりしていましたが、やはりあきてしまいとてもたいくつでした。
そしていっこくいっこくと時間がすぎていき、お昼ごはんの時間になりました。
昼ごはんもまずくはないけど、おいしくもなかったです。
しばらくしてお姉ちゃんから、またムービーがきました。
その内ようは、おばあちゃんが家中をきれいにしたという内ようで、げきてきビフォーアフターのナレーションのまねをしてムービーをおくってきました。
とてもおもしろかったです。
そのあと熱をはかったら、なんと熱が35度に下がっていました。
びっくりして本当にちゃんとはかれていたか心配になって、もう一度はかったけど同じ結果でした。
お姉ちゃんに急きょ熱が下がったと連絡しました。
そしておやつの時間になりました。
二日目のおやつはホットケーキでした。
ちょうどホットケーキが食べたいと思っていたのでとてもうれしかったです。
テレビを見たり、お母さんと話したりしているうちに、ばんごはんの時間がきました。
これもおいしくありませんでした。
そのうち鼻のかみすぎで鼻にかさぶたができてしまったので鼻がスッキリするきゅうにゅうというのをしました。
でも全然スッキリしませんでした。
そしてその夜お父さんが来てくれました。
お父さんとお話をしてお父さんが帰った後ねました。
夜も熱は上がりませんでした。
次の日の朝7時におこされて、いきなりきんがいないか血えきけんさのちゅうしゃをうたれました。
この日はお母さんとお姉ちゃんがようじがあって用意をしなければならないので、お母さんは早く帰りお父さんがきました。
何分かたつと朝ごはんがきました。
またまずかったです。
そしておしっこをしてから、しばらくして一週間ぶりに自分で起き上がりました。
そして昼ごはんがきました。
昼ごはんはそうめんと魚と水ようかんでした。
これはとてもおいしかったです。
そしてついに血えきけんさのけっかがついに出ました。
結果は非じょうに良いとのことでした。
完全にウィルスが消えているといっていましたが一週間ほとんど動かなかったので体力がついてないから、いきなり旅行などはだめと言われました。
そしてお薬の説明を薬ざいしさんにうけて、ぶじに退院して家につきました。
ぼくはこの一週間がなぜか一ヶ月のように感じました。
ぼくはこの病気のせいで、もともとよていしていた自由研究が出きなくなったり夏休みの予定がくるってしまいたいへんだったけど、この病気のかかったことはこの夏休みの一つの思い出だと思っています。
終わり