尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

生きている顔は、生きたいという顔である

2010年03月19日 22時35分10秒 | 詩の習作
今日はあまり大きな声で
言うべきではないことを書いてみよう

さまざまな顔があるけれど
究極的には
二種類の顔しかない
生きている顔と
死んでいる顔である

何時の頃からだったろうか
たぶん自分というもが
世界とよばれるものから切りはなされている
と感じたと同時にであろう
さほど辛いことがなくても
死にたいと思ってしまうことがある
その思いを騙し賺(すか)し
ここまで歩いてきたのだと思う

こういうことを考えていると
さまざまな顔が浮かんでくる
肉親もいれば友達もいるし
飼っていた犬もいる、カマキリだっている
写真に撮った薔薇だって顔だ

生きている顔は
みな、いろんなふりをしながら
生きたいということでは
一つの顔である
死んだ顔は
もう生きたいと思はないさまざまな顔である
死んだ顔も
どこか救われていてまたいい…

いろんな顔が浮かんでくるうちに
たぶん僕は死んだ顔のふりとか
狂った顔のふりもしているのである
そうしているうちに
つまいさまざまな顔の経験をしているうちに
僕の顔にも生気が戻るのだ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少年は放電する

2010年03月19日 08時21分27秒 | 詩の習作

教室とは
もっとも不幸な一人の人間が
より幸せな四〇人に
復習する場所です

少年は優しく帯電する
男や女の満員電車の中で
青くさびしく光を帯びてくる
動物の中におかれた
考える野草のように

真夜中です
おっさんは
切れかけの蛍光灯のように
点滅しながら
詩を書いているのでは
ありません
少年が
放電しているのです

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする