平泉町中尊寺の讃衡蔵館蔵品展「帰ってきた金字経」は二十六日、同寺讃衡蔵で始まった。
国内に散逸し個人が所有していたが、その後同寺に戻った紺紙金字経など中尊寺経十五点を展示している。
展示されているのは、藤原三代が同寺に奉納した紺紙金銀字交書経と金字経。
個人が所有するなどしていたものを、同寺が1980年代から集めた。
同寺に所蔵されている「中尊寺経」は国宝指定され、常設展では複製が展示されているため、実物を見られる機会は貴重だという。
中尊寺経の多くは近世に同寺から持ち出され、高野山金剛峰寺に所蔵されているほか、国内に散逸されているものも多い。
中尊寺管財部の菅原光聴次長は、「展示されているのは国宝級のもの。再び中尊寺に戻ってこられたさまざまなご縁に感謝し、藤原三代の写経の作善をあらためて顕彰したい」と、将来的に国宝への追加指定を求める方針だ。
「帰ってきた金字経」は11月18日まで。
27日と11月10日には、それぞれ午後2時から同寺仏教文化研究所の佐々木邦世所長らによる展示解説会が行われる。
[岩手日報より抜粋]
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漆の生産量日本一を誇る岩手県二戸市浄法寺町の「浄法寺漆」は、世界遺産を構成する栃木県の日光東照宮の透塀や唐門、二荒山神社の本社、輪王寺の本堂などの修復に使われることになり、本年度から計約4トンの大量発注を受ける。(二十年ほど前の金閣寺の修復に使われた際は1.5トン)
日光社寺文化財保存会が国産漆の振興を目指し、漆掻き職人でつくる岩手県浄法寺漆生産組合に要請した。
浄法寺漆の年間生産量は0.8トンで、一団体からの注文としては過去最高。
国を代表する文化財への活用で、浄法寺漆を広くアピールするとともに、漆掻き技術の継承にも弾みがつきそうだ。
[岩手日報より抜粋]
堂入りの満行は6年ぶり、戦後12人目。
午前1時、星野さんは本尊の不動明王に供える水くみ「取水」のため、堂から姿を現した。
約40分かけて近くの閼伽井(あかい)を往復し、再び堂に入っって最後のお勤めをした。
このあと、堂に隣接する法曼院の井深観譲住職や信者が堂へ入った。
井深住職が結願の証明を読み上げた後、星野さんは断食後初めて薬湯「朴の湯」を口にし、本尊を3周して13日以来続いた行を終えたという。
午前3時前、堂の正面の扉が開かれた。星野さんのほおはこけ、両脇から僧侶に支えられて自坊へ向かった。
冷たい風が吹く中、縁者や信徒約600人が境内を埋め、「生き仏」となった星野さんに手を合わせた。
泣きながら不動真言を唱える女性も多く、厳粛な雰囲気に包まれた。
堂入りは、700日の回峰を終えた行者が堂にこもって不動真言を10万回唱え、不動明王と一体となることを目指す。
星野さんは来年、赤山禅院(京都市左京区)を往復する赤山苦行、最終年の前半は京都市内を回る「大廻り」に臨む。
合掌
天台宗の荒行「千日回峰行」に挑んでいる星野圓道さん(32)=延暦寺大乗院住職=が13日、比叡山の無動寺谷・明王堂(大津市坂本本町)で、「堂入り」の行に入った。
千日回峰行で最大の難関とされ、断食、断水、不眠、不臥で9日間こもる。
堂入りする行者は6年ぶり、戦後12人目。
堂入りは、千日回峰行の700日を終えた行者が不動真言を10万回唱え、本尊の不動明王と一体となることを目指す。
毎日午前2時ごろに近くの閼伽井にお供えの水をくみに行くが、それ以外は堂にこもる。
5日目から水で口をすすぐことだけが許される。
生死をかけて挑むことから「生き葬式」とも呼ばれる。
正午、白装束の星野さんは明王堂に隣接する法曼院で「斎食の儀」に臨み、酒井雄哉さんら大阿闍梨と最後の食事を取った。
午後1時ごろ、明王堂前に姿を見せると、縁者や信者が手を合わせて無事に満行するよう祈った。
星野さんは静かに入堂し、立ち会いの僧侶らが退堂し、正面の扉が閉じられた。
満行すれば、21日未明に堂から出る。
星野さんは東京都生まれ。
1990年に出家得度。花園大卒。
2003年に千日回峰行に入った。