坊主友達が数人いる。
坊主頭じゃなく 和尚と呼ばれる方の坊主(笑)
そのうちの一人は京都の歴史ある寺院の住職。
歳もあまり変わりなく兄貴みたいな存在。
脱サラして数年前坊主になったばかり。
その坊主 普段は殆ど音沙汰無しだが気が向くと突然メールを送ってよこす。
今日もそうだった。
「パドちゃん元気かぇ~?
僕いま東京モーターショーに来てるんやけど Ferrariの写真撮ったから送るわ~」
以前は
「買い物行ったら駐車場にFerrariおったから写真撮ったで。なんてゆうFerrariやの?」
とか
「目の前にエンツォおったからパドちゃんに見せとうて追いかけてんやけど 逃げられたわ。ごめんや~」
ある時は
「今たまたま行ってたライブ会場で ヒムロック見たでぇ~。生ヒムロック初めてや。カッコえぇなぁ」
などなど。
いつもそんな感じ。
どうやらFerrariを見る度に 私を思い出すらしい。(ヒムロックは滅多に露出しないのでw)
なんともこれ以上ないほど「俗」なご住職である。
こんなんでいぃんだろうか… ?
大丈夫なんだろか?
イヤ かなり怪しいもんだ(笑)
因みに彼の趣味は お大黒さんと一緒にテーマパーク巡りをする事w
私に対しての口癖は
「パドちゃんヤンチャやから怖いゎ。お手柔らかにぃ~」
である。
失礼な… (-"-;) (爆)
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香は、仏教と共にわが国に伝来しました。
日本書紀には、595年に大きな沈香木が淡路島に漂着したと記されています。
また、奈良時代中頃に渡来された鑑真和上によって、様々な香料の配合が教えられました。
10世紀になると高度な唐様文化を営む貴族社会に転機が訪れました。
わが国の風土に即した懐かしさや柔らかさこそが心に響くという実感が深まります。
古今集が編まれ遣唐使を廃止し熊野詣が始まりました。
和洋化がいよいよ開花する中で、貴重な香料の配合にも独自の工夫が施され、貴族達にとって欠かすことの出来ない生活の香りとして「薫物」が愛用されることとなりました。
源氏物語や枕草子などの王朝文学には、「追い風」 「誰ヶ袖」 「伏籠」など、香りを意味する美しい表現が伝えられています。
大陸では宋・元・明と多様に文化が発展し、わが国では鎌倉から室町へ武家の時代が推移しました。
天竜寺船など積極的な交易による様々な文物は、都に集る活力ある人々の耳目を魅了し、禅宗の影響と相まって新しい価値観の具現が次々と行われました。
婆娑羅と呼ばれる気風が三代将軍足利義満による北山文化として開花し、香においては、沈香木を直接に焚香することが流行します。
15世紀には応仁の乱が起こり、都は灰燼と化し人々は精神的に限界まで追い詰められました。
激動の社会環境の中、緑豊かな東山の閑静な地に義政による山荘が営まれ、同胞衆による文化のサロンが形成されました。
連歌の宗祇、茶の湯の珠光、立花の池ノ坊、古今伝授の三条西実降、佐庭の阿弥、そして聞香の志野宗信などが義政を囲んだと伝えられます。
北山文化では観阿弥と世阿弥が義満と出会い能楽を大成しました。
東山文化に源を発する多くの文化的潮流の一つとして香も知られ、実隆と宗信が聞香の始祖として名を残してます。
徳川家康による江戸開幕で太平の世を迎え、琉球貿易から発展した南蛮交易が大きく展開されました。
アジアの各地に日本人町が形成されたのはこの時代です。多様な文物と共に香木もたくさん舶載され、立花や茶の湯と共に聞香も堂上公家社会の興味を集めました。
寛永の文芸復興に大きく寄与した香は、高度な王朝教養文化と融合し、今日、香道と呼ばれる芸道文化を奥深い世界へと熟成させたのでした。
江戸時代を通じて、大名社会における女人の教養文化として認知され、豪商などを通じて徐々に町衆などにも知られるものとはなりましたが、鎖国の続く中ほとんど実際に手にすることは叶わず、「伽羅」 「栴檀」など貴重な香を意味する言葉が形容詞としてもてあそばれる様にもなりました。
江戸時代初期には、細く線状に作る線香の製造技術が伝来し、時を同じくして施行された檀家制度と相まって線香は広く生活の具として利用されるようになりましたが、香料の希少性が高まり、廉価なものとして普及してしまいました。
明治維新以降の西欧化の中、古典的な香の文化をいとおしむ人々は細々とその美しさを伝承してきました。
今改めて、わが国の文化が再評価される中、香の伝統も現代的な工夫と共に新たな愛好家を得ています。
[松榮堂社長・畑 正高氏]
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平泉町中尊寺の讃衡蔵館蔵品展「帰ってきた金字経」は二十六日、同寺讃衡蔵で始まった。
国内に散逸し個人が所有していたが、その後同寺に戻った紺紙金字経など中尊寺経十五点を展示している。
展示されているのは、藤原三代が同寺に奉納した紺紙金銀字交書経と金字経。
個人が所有するなどしていたものを、同寺が1980年代から集めた。
同寺に所蔵されている「中尊寺経」は国宝指定され、常設展では複製が展示されているため、実物を見られる機会は貴重だという。
中尊寺経の多くは近世に同寺から持ち出され、高野山金剛峰寺に所蔵されているほか、国内に散逸されているものも多い。
中尊寺管財部の菅原光聴次長は、「展示されているのは国宝級のもの。再び中尊寺に戻ってこられたさまざまなご縁に感謝し、藤原三代の写経の作善をあらためて顕彰したい」と、将来的に国宝への追加指定を求める方針だ。
「帰ってきた金字経」は11月18日まで。
27日と11月10日には、それぞれ午後2時から同寺仏教文化研究所の佐々木邦世所長らによる展示解説会が行われる。
[岩手日報より抜粋]
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ブチ切れた
怒鳴りつけた
走った
息が切れた
膝も笑った(全く笑えない)
またブチ切れた
久々に手が出そうになって参った(今更パクられんのもないだろw)
金で解決した(不本意だが)
ネイルとアイシャドウとヘアカタを衝動買いした(所詮泡銭だ)
フェラーリとスライドした(多分ダチ)
ショッピングセンターで拾いものをした(頂戴した)
スリッパの底がハゲた(買って間もないのに)
目まぐるしい1日だった28日
何かおかしな1日だった
こんな日もあるさ
お疲れ!
とりあえず乾杯しようぜ 相棒! (笑)
漆の生産量日本一を誇る岩手県二戸市浄法寺町の「浄法寺漆」は、世界遺産を構成する栃木県の日光東照宮の透塀や唐門、二荒山神社の本社、輪王寺の本堂などの修復に使われることになり、本年度から計約4トンの大量発注を受ける。(二十年ほど前の金閣寺の修復に使われた際は1.5トン)
日光社寺文化財保存会が国産漆の振興を目指し、漆掻き職人でつくる岩手県浄法寺漆生産組合に要請した。
浄法寺漆の年間生産量は0.8トンで、一団体からの注文としては過去最高。
国を代表する文化財への活用で、浄法寺漆を広くアピールするとともに、漆掻き技術の継承にも弾みがつきそうだ。
[岩手日報より抜粋]