わが得しことは
薪こり
菜つみ
水くみ
仕えてぞ得し
(国王が教えを求めたところ仙人から申出があった。国王は位を譲り一奴僕となって仙人の為に仕えた。
水を汲んだり,薪を拾ったり,果実をとったりと,千年の間仙人に仕えることによって,妙法蓮華経の経法を得て仏になることができた。)
―提婆品―
『籠の中の鳥がなけば空の鳥が集まり
空の鳥が集まれば籠の中の鳥が出ようとするように
南無妙法蓮華経の呼び声によばれて
我々の心の内にある仏性が
かつて仏様の教えをうけた縁をもって
それが呼び覚まされる』
―日蓮聖人―
ずっとそう思ってた。
うるさくて,無礼で,残酷で。
色んな理由をつけた。
そんな私なのに,何故か子供は馴ついた。
あの子もこの子も。
でも・・・
子供なんて大嫌い。
数年前,[いわさきちひろ展]に誘われた。
『あぁ,あのわざとらしい子供の絵の人?』
嫌々ながら付き合った。
ボンヤリと観て歩くうちに,胸の奥から何か熱い物がこみ上げてくる。
柔らかな肌,フワフワした髪,濁りのない瞳,花びらのような唇,溢れる生命力。
『あなたもわかるでしょう。
子供はこんなにも可愛らしいのよ。』
ちひろさんの声が聞こえた気がした。
─ 私は,過去の忌まわしい記憶から身を護るために,子供を愛する感情に蓋をしてきたのだ ─
そう気付いた。
だけど,慕ってくれる子供達はその濁りのない眼差しで,とっくに見抜いていたのだろう。
ギャラリーを後にするとき,以前とは明らかに違う私がいた。
絵画とは,芸術とは‥時に根底から何かを変える事もある‥そんな力を持つものなのだろう。
その日から私の部屋には,楽しそうに海で遊ぶ可愛い可愛い子供達がいる。
今日2月22日は,私が大好きな山田恵諦大僧正の御命日です。
山田恵諦様は,延暦寺の第253世天台座主でした。
私達は親しみを込めて,『お座主さま』と呼んでいます。
お座主さまが御遷化なさったのは,平成6年,数え歳100歳の時でした。
今年は13回忌にあたります。
残念ながらお座主さまとお会いすることは叶いませんでしたが,分かり易い言葉で仏教を説いてくださるお座主さまが,昔も今も大好きです。
亡くなられた今でも,ご本でならばいつでもお話を聞くことができますから。
兎角,堅苦しく汲々に物事を考えてしまう私に,
『真実は白か黒ではないよ。柔軟な心を持ちなさい』
と,分かり易い喩えで諭してくださいます。
『明るく,楽しく,たくましく』と・・・。
勿論,仏教の真髄を噛み砕いての表現法であることは,言うまでもありません。
沢山の御著書が出版されていますので,興味を持たれた方は読んでみる事をお勧めします。
『この世もまんざら悪くないナ』と,思えるかもしれません。。。
ひと月振り位かな?
ここ何日かの陽気で,道路の圧雪もようやく無くなったので…。
これからの時期は,一年のうちで一番,海水の冷たい季節。
雪解けの水が入ってくるので,魚もほとんど釣れない。
そして,一番透明度の高い季節でもあって。
底までスッキリと見えて,それはそれは美しい三陸の海なのです。
何度となく深呼吸をして,エネルギーをチャージ。
ウミネコが帰って来初めていました。
春はもうすぐです。。。
午後は殆ど,クラシックを聴いて過ごす。
FMを流しっぱなしに。
別の番組が始まれば,CDで。
私が好んで聴くのは,アリアとピアノ。
平穏な時間が,曲と一緒に流れていく。
言葉の呪縛にかかる危うさを,アリアに乗せて流してしまう。
覚醒に伴う自虐な行為から,身を護るために見つけた習慣。
そして・・・
pm5:00
一人の時間を無事に終え,気だるくなった頭の中に新鮮な酸素を送る。
綿菓子のようにまとわりつく,甘い旋律を拭い去る。
いつものGrungeがリムーバー。
退廃的な音楽にこそ見つけられる己の個性。
一人の時は禁じている快楽の瞬間。
それが私の日常…