DEEP SEAα

ココロの軌跡

Beautiful Colors

『白州正子』

2006-10-31 | 遠い日の海(過去エントリー)
彼女の事が,20代の頃から好きである。

好きと言うより,「憧れていた」と言った方が正しいかもしれない。

能,古典,古美術,食・・・

優れた著述で日本の美を伝えて下さった,言わば数少ない「本物」の人。

正真正銘の,セレブである。


ファッションに興味を持ち始める年頃が丁度バブル期に当たっていた私は,巷に溢れている一過性の流行より,もっと心踊る本物がないかと,探し回る癖がついてしまった。(元々へそ曲がりではあるが‥)

そんな私に,白州さんのコレクションや美に対する著述は,かなりの影響を与えた。

年齢の割に渋好みであったり,
[Ferrari以外の車ならば,クラウンも軽自動車も皆一緒]
みたいに極端な思考なのは,白州さんの影響も多々あるのかもしれない(笑


そんな憧れの白州さんと祖母との間に,親交があったのを知ったのはつい最近のこと。

どんなに話が聞いてみたくとも,今となっては二人とも黄泉の国の人である・・・。



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ふたつの知らせ

2006-10-27 | 遠い日の海(過去エントリー)
灰色の包装紙に包まれた贈り物と共に,届けられた挨拶状。


挨拶状には七七日の法要を済ませたお礼と,戒名が書かれていた。



私が密かに憧れていたお姉さんは,愛するご主人やお子さん達に,お別れの言葉を伝える時間さえ許されず,足早に黄泉の国へと旅立って行かれた。


届けられたご挨拶は,「余りある悲しみを受け入れて暮らしています…」との,ご家族の思いのように感じて,容赦のない時の流れの残酷さが,新たな涙を誘うのでした。



そして……


「無事,退院してきました。」


「おめでとう。
お身体労ってください」



先日出産した親戚からのTEL。



生まれ出る命と,去り行く命。



今日1日で,私のもとに届けられた知らせです。



そして,その狭間で継続している私の命。


神韻縹渺なる命の営み。




生きると言うことは…… 全て受け入れる事。



それは,逃れようもないことなのですね。




そして私は,「人の道」というものを学んでいくのです。。。。。

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初女お母さんの言葉

2006-10-25 | 遠い日の海(過去エントリー)

あるときに神父様から

「あなたにとって祈りとは何ですか」

と訊ねられ,とっさに

「私の場合は生活です」

と答えました。


私は,傍から見ていると,めったに座って祈らないといわれます。


でも,今ここに本当に食べられないでいる人,病んでいる人がいたときに,いくら手を合わせて祈っても,思いはその人にすぐには伝わりません。


手を合わせて祈るのは「静の祈り」,同じことを心に抱きながら,行動するのが「動の祈り」だと思います。



私は,この生きている瞬間瞬間が祈りだと思っています。


だから,お茶を入れて,おいしく一緒に飲みましょうというのも祈り。


私にとっては,生活全てが祈りです。






── 敬愛する,佐藤初女先生の言葉。

信仰は違っても,初女先生に教わった事は私にとって宝物です。


「薬ではなく食べる事で元気になれる」

「心の中が苦しみや悲しみで詰まっている人は,食べられない」

「食事は命の移し替え」

「癒されると言う言葉は嫌い」



私にとってはとてもショッキングな言葉でした。

道元禅師にも共通するその言葉のひとつひとつを,指針として暮らしています。

 

 

Comments (2)
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中尊寺(宮澤賢治)

2006-10-24 | 遠い日の海(過去エントリー)
七重の舎利の小塔に    
蓋なすや緑の燐光     
大盗は銀のかたびら    
おろがむとまづ膝だてば  

赭のまなこたゞつぶらにて  

もろの肱映えかゞやけり  

手触れ得ね舎利の宝塔   
大盗は礼して没(き)ゆる




白きそらいと近くして   
みねの方鐘さらに鳴り  
青葉もて埋もる堂の    
ひそけくも暮れにまぢかし 

僧ひとり縁にうちゐて   
ふくれたるうなじめぐらし 

義経の彩ある像を      
ゆびさしてそらごとを云ふ




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私と春と修羅

2006-10-24 | 遠い日の海(過去エントリー)

この不可思議な大きな心象宙宇のなかで

もしも正しいねがひに燃えて

じぶんとひとと万象といっしょに

至上福祉にいたらうとする

それをある宗教情操とするならば

そのねがひから碎けまたは疲れ

じぶんとそれからたったもひとつのたましひと

完全そして永久にどこまでもいっしょに行かうとする

この変態を恋愛といふ



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



もうけっしてさびしくはない

なんべんさびしくないと云ったとこで

またさびしくなるのはきまってゐる

けれどもここはこれでいいのだ

すべてさびしさと悲傷とを焚いて

ひとは透明な軋道をすすむ

ラリックス ラリックス いよいよ青く

雲はますます縮れてひかり

わたくしはかっきりみちをまがる





【小岩井農場】より

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