尊敬する尼僧の御一方である。
村瀬明道尼
庵主様を初めて存じ上げたのはいつ頃だったろうか?
辿るのも困難な程遠い記憶である。
私が庵主様をお慕いする理由のひとつに、庵主様がお作りになる精進料理の存在がある。
月心寺の精進料理は、あの吉兆でさえ唸らせる程の出来栄えであり、有名な胡麻豆腐は天下一と賞される逸品なのだ。
以前放送していたNHKの連続ドラマ「ほんまもん」の中の庵主さまは、明道庵主様がモデルとなっていたので、御存知の方もいるかもしれない。
私が精進料理にに興味を持つ事になったのは、月心寺の影響が大きい。
庵主様は体の右半身が不自由だ。
39歳の時に大変な事故に遭ったが、奇跡的に一命は取り留めた。
その時の後遺症で不自由なお身体になった。
しかしその自由の利かないお身体で、庵主様は天下一の御料理をお作りになる。
今の形の御料理になるまでにどれだけの苦労と努力があったかは、想像することさえ憚られる程だ。
庵主様の凛としたお姿が、どれだけ私を励ましたかわからない。
理解されない孤独に打ちひしがれた時、屈辱に苛まれる時、庵主様の御心に思いを馳せることによって、己を納得させてきた。
人となりを学ばせて頂いた。
同じ辛辣な思いをした庵主様でなければ、私にはダメだったのだ。
そんな仏縁を結ばせて頂いた事を、御仏に感謝をしながら歩んできた。
そして、これからも…。
生かされて過ごした、事故後2年をもう直ぐ迎える。
村瀬明道尼
庵主様を初めて存じ上げたのはいつ頃だったろうか?
辿るのも困難な程遠い記憶である。
私が庵主様をお慕いする理由のひとつに、庵主様がお作りになる精進料理の存在がある。
月心寺の精進料理は、あの吉兆でさえ唸らせる程の出来栄えであり、有名な胡麻豆腐は天下一と賞される逸品なのだ。
以前放送していたNHKの連続ドラマ「ほんまもん」の中の庵主さまは、明道庵主様がモデルとなっていたので、御存知の方もいるかもしれない。
私が精進料理にに興味を持つ事になったのは、月心寺の影響が大きい。
庵主様は体の右半身が不自由だ。
39歳の時に大変な事故に遭ったが、奇跡的に一命は取り留めた。
その時の後遺症で不自由なお身体になった。
しかしその自由の利かないお身体で、庵主様は天下一の御料理をお作りになる。
今の形の御料理になるまでにどれだけの苦労と努力があったかは、想像することさえ憚られる程だ。
庵主様の凛としたお姿が、どれだけ私を励ましたかわからない。
理解されない孤独に打ちひしがれた時、屈辱に苛まれる時、庵主様の御心に思いを馳せることによって、己を納得させてきた。
人となりを学ばせて頂いた。
同じ辛辣な思いをした庵主様でなければ、私にはダメだったのだ。
そんな仏縁を結ばせて頂いた事を、御仏に感謝をしながら歩んできた。
そして、これからも…。
生かされて過ごした、事故後2年をもう直ぐ迎える。