ご近所でチワワを飼ってるお宅があるんだけど あまりきちんとは躾けられてないチワワちゃんで 生きている以上 物事に対して心は 常に動き 関わっている
とにかく些細なことでも吼えまくる
小学生の下校時間にも よく吼えてたりするから 結構 みんな迷惑してることと思う
先日 小4か小5くらいの男の子達が友達んちからチャリで帰ろうとしていたとき 例のごとくワンコが吼え始めた
その時に なんとなしに耳に入ってきた様子が とても面白い内容だった
一番初めに通った男の子は 吼える犬に向かって 「ウ”~! ワンワンッ!!」と暫く抗っていた
二番目の子は「わんわんわーん♪ わんわんわーん♪」と鼻歌交じりに通り過ぎていった
三番目は二人連れ
一人の子は「ココの犬さぁ いっつも吼えるんだよ~ 嫌になるんだよ~」 なんて半泣きになってる
連れの子は「えっ? でさ ○×*@・・・・」 自分の話したいことに夢中で 犬の存在も 友達の話にも気付いてない様子
そして 最後に通った子は 皆に遅れを取ったとでも思っていたのか 猛スピードで ただ通り過ぎていった
ひとつの出来事に対して こんなにも様々な反応がある
同い年であろう しかも好みの近い友達同士でも こんなに個性がある
とても面白いものを見せられた気がした
そして 私なら どうだろうな ... と考えたりした
それにどう関わり どんな風に動かすかで 人の器は決まってくるのかもしれないなと思った
何が正しいかとかいう話ではなく 与えられた己の人生に対してどう向き合っていくか
その課題は言うまでもなく生涯続くことであるから 怠ることなく 日常のささやかな現象にも心を配り
学んでいく姿勢が大切なのだと
もとより私など凡夫の極みであるから 全て受け入れることは正面衝突の大事故になりかねないだろう
かといって 何も受け入れず心を動かさないスタンスでいるのは 母性本能を失ってはいない私にはできなかったし
何より 他人の痛みがわからなかった過去の自分には戻りたくないから
鼻歌交じりにかわしていく しなやかさとしたたかさを備えるのが これからの課題かなと
小学生たちに学ばせてもらったのでした(笑)



ひとの生をうくるはかたく
やがて死すべきものの
いま生命(いのち)あるはありがたし
正法(みのり)を耳にするはかたく
諸仏(みほとけ)の世に出づるも
ありがたし
「法句経」182番
人間は生まれて育って毎日食べて寝て それが当たり前と思っています
よほど大病にかかって 死を予告された時とか 思いがけない災難に見舞われて 家を失ったり 両親と死に別れたりした時に いったい自分はどこからこの世に来て どこへ行くのだろうかと 自分の生死(しょうじ)の神秘さに思いをこらすのです
人間に生まれ 今命があり 生きていることがありがたいのです
しかもその命は必ずいつか死ぬ運命を持っている
だからこそ 今いきているのがありがたい
短い生涯に仏法の教えを耳に出来るのもありがたい人生です
尊い教えを始めてくださったお釈迦さまがこの世に生まれて下さったのも またありがたいことです
このありがたさをかみしめて 一日 一瞬を生きてゆきましょう
(師の法話より)
