世の中には佛さまを信ずる人 神さまを信じる人もいれば 全くそういう存在を信じない人もいます
私は幸い寺で生まれましたから 幼い頃から何かしら佛さまや神さまから眼に見えない力を頂戴しているような感じをしていました
それは本堂の観音さまに手をあわせ拝んでいる両親の後姿を見ていたことが大きかったと思います
そして その思いは父が話をしてくれる観音さまのことが更に信仰につながったのではないかと思います
それが やがては「今現在生きていることは すべての出会った人や 眼にうつる沢山の物のお陰であり『めぐりあわせ』であるから」
そのことを最も大切にする意味からも 私達のまわりにいる人達には親切に 生きていくために必要な物にも感謝の言葉「ありがとう」ができなければなりません
「ありがとう」の言葉はまわりを明るくするのです
もう亡くなられましたが作家の外村繁さんが少年の頃お世話になっていた伯父さんが 蛇を飼っていて 毎日生きた蛙を餌としてやっているのを見て可哀想に思い 「伯父さん そんな酷いことをしないで」と頼んだが聞いてくれません
或る日のこと 「僕 もう 魚や肉を食べません 伯父さんも殺生しないで下さい」といった
伯父さんは「魚や肉だけが”命”であるのではないよ 毎日食べている米 野菜 果物もみんな”命”があるのだよ」といったそうです
このひと言で外村さんは「そうだった 僕の”命”はあらゆる物の犠牲によって生かして貰っているのだ」とわかり 外村少年の広い世の中を見る眼も「これからは『お詫びの心』と『ありがとう』の感謝の心で生きていこう」といっていたそうです
あらゆる物に恵まれて何不自由ない私達 その恩恵を裏切って欲望のため 凶悪の限りをつくし あまつさい大地や空を汚し無数の生き物を殺しても恥ずかしく思ってない私達 今こそ声を大にして「魚や 牛や 豚さん達 そして米や野菜や果物さん ありがとう」と叫びたい
三千院門跡門主 小堀光詮師・比叡山時報より